久しぶりの更新です。猫ブログですが、今回は猫ネタではなく、たっちーのもっとも古い友人の話。先日、ガンで亡くなりました。どうにも、僕の中で鬱々としたモノが抜けないので、気持ちを整理するために書きました。読む人によっては不愉快な話かもしれません。近々、愉快な(?)猫ネタもアップするので飛ばしいただいて構いません。
彼との出会いは小学校のとき。5年生・6年生で同じクラスでした。経緯はすっかり忘れましたが、殴り合いの大ゲンカの末、大の仲良しになりました。
中学は学区の関係で別々でしたが、示し合わせたわけでもないのに同じ高校を受験。クラスは分かれましたが、再び同じ学校に通うことになりました。高校入学と同時に二人でバイトを見つけて、同じレストランで働き、溜めたバイト代で一緒にギターを買いに行きました。
一時は同じように調理師の道を歩き、その後、同じように人生に迷い、それぞれ別の道をゆきましたが、その後もなんとなく連絡を取り続けていました。
お互い、地元から少しずつ離れたこともあり、会うのは数年ごと。だけど、会うとまるでつい、この間まで会っていたように冗談を言い合える、そんなかけがえのない友人でした。
久しぶりに会いたい――そう思っていた矢先、別の友人から「倒れた」という連絡を受けました。同時に余命は3カ月とも聞かされました。見舞に行こうと思っていたらコロッと退院。電話をすると彼は、ガサガサの声でいいました。
「大丈夫、大したことないよ。でも気が付いたら病院だった。全然意識がなかったよ。お前も気を付けたほうがいいぞ」
このとき、余命の宣告を彼が知っていたかはわかりません。僕は「近いうちに、会おう」そう言って電話を切りました。
その後、自宅兼職場で過ごしていましたが、様態が急変して再入院した翌日になくなりました。
結局、電話での会話が彼と交わした最後のやりとりになりました。
実は、久しぶりに会って話をしようと思った理由があります。
まだ、だいぶ(?)先ですが還暦になったら、祝いに旅行に行こうと提案しようと思っていたのです。
生まれ月が同じ5月。6月に行くなら梅雨のない北海道? 梅雨が終わってからでもいいけど夏はどこに行っても込みそうだ……アイツはなんていうだろう?
「おっさん2人じゃ、絵にならない。やだよ」
「だから、それまでにもう一度結婚をしとけ。俺も女房を連れて行けばいいだろう」
「そのときまで、お前が結婚しているという保障はない」
「いや、今度はきっと大丈夫。でも、やっぱり念のためおっさん2人で旅行して羽目を外すということをキホンにしよう」
そんなやりとりをするはずでした。
通夜で訪れた斎場。パーテーションに小学校のころの写真が、何枚か貼ってありました。そのすべてに僕も写っていました。
寂しいというか、切ないというか、空疎というか……なんだか、今までに経験したことのない感情が、僕の奥深くに住み着いてうごめいています。
彼の死はかけがえのない友人を失った、という意味だけでなく、僕に「寿命」という二文字を突きつけました。
たしかに、彼の死は早すぎるものではありました。しかし、同時に今後僕が見送るであろう大切な人との別れの、いわば先陣を切った別れのような気がしたのです。
これから僕は何人の大切な人を見送るのだろう。そして、僕は何人の大切な人に見送られるのだろう。そんなことを意識させられたのです。
彼は人生を終え、僕は生き続けていて、事故でもない限りまだ当分死にそうもありません。
僕が生きる続ける意味はなんだろう? まだまだ人に尽くせ、世に尽くせ、ということか? 生きるって結構しんどいなぁ……などと、この曲を聴きながら、ぼんやり考えています。
ちなみに写真のにゃんこは、本文とは関係ありません。写真だけでも猫にしようと思って使いました。
大切な人に逝かれたあとの 自分の心の中の空洞は
一生 埋められないんだよね。
時間はその空洞に蓋をつけてくれるけど
埋めてくれることはないんだよね。
でも、その空洞ときちんと向き合っていくことが
残された者の使命なんだと思うんだ。
たっちーさん、辛いけど その痛みと虚無と悲しみに
今は逃げずに向き合ってください
がんばって、辛いけどがんばって・・・