Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

食と農の行方

2007-02-13 08:17:37 | 農村環境
 「日本の食と農はどこへ行く」(『生活と自治』1月号―生活クラブ事業連合生活協同組合連合会)の対談で、農民作家山下惣一氏のコメントは共感できることばかりだ。日本の食料自給率が下がった原因として、「牛飼い農家は牛ばかり、コメ農家はコメばかりというように他のものをつくらなくなったから」という考えは、わたしの考えと等しい。わたしの生まれたころは、農家の自給率が60パーセントくらいだったというが、今は12パーセントだという。農家だからといって自給自足ではないのだ。現実的な条件から、コメを作ることのできない立地もある。しかしそうした地域であっても主食としてコメではないものを利用して暮らしてきた。ある意味でそれを「貧しい」という捉え方もあるかもしれないが、農で暮らすということは、その立地のなかで工夫して生きることなのだ。しかし、コメというものが魅力あるものとして捉えられるとともに、日本全土でコメを作ることが推し進められた。自給自足もコメ主体と言うひとつのパターンができていったわけだ。それもまたひとつの過程であったのかもしれないが、生産調整とともに、そのパターンは効率的な収入を得るという、経済主義と同じ観点に陥っていった。だからこそ、わたしの周りでゆけば、果樹農家は果樹だけを作って金儲けをしていったわけだ。その果樹が下火になったときに、「もう農業はダメだ」と意識してしまうわけだ。同じようなことがあちこちで起きていった。これでは今がっんばっている農業者も、いつかは同じことに陥ることになる。

 山下氏はこうも言う。「今の日本では〝業〟の部分だけしか評価されない」。この業の説明をしており、〝農〟は金にならない仕事の部分(水路や里山などの環境や景観の保全や地域社会の維持)、〝業〟は経済効果を生み出す仕事、という。この比率が9対1といい、〝業〟の部分しか評価されないから農業そのものが価値観を見出せないでいるという。費用対効果を問う時代に、無秩序な公費の垂れ流しはできない、という考えは間違ってはいない。しかし、そういう考えを農業に当てはめてしまうと、まさに〝業〟の部分の評価につながるわけで、継続できなくなるのは目に見えているわけだ。そうした農政が長年続けられ、そして時代ごとに政策はころころ変わったのだから、「農民は翻弄された」ということになるのだろう。「農地・水・環境保全向上対策」が始まる今年、この制度そのものがわたしには〝業〟の部分をぼかすために取り入れられた施策のように見えてならない。また例えで言うなら、こんなことも不合理なことである。ダム論議でわく長野県において、河川沿いで農地を持っている人たちは、〝業〟の部分で文句を言いたくなる。もともと河川には遊水地があって、そうした土地はいっぽうで肥沃な土地となった。だからこそ、河川沿いに農地を求めたわけだが、そうした河川沿いは、治水のために場合によっては堤外地になってしまったところも少なくない。まさに河川内農地なんだから、洪水に見舞われても文句は言えない。しかし、本来はあちこちに遊水地があったなら、集中的にそうした農地が被害を被ることはなかった。この場合は河川内であるからまだしも、ケースによっては、堤内地であっても随時遊水地状態になるような農地も珍しくはない。昨年の梅雨前線豪雨の際の、天竜川中川村小和田地区なんかは、まさにそうした水没常習地である。そうした水害を防ぐためには、結局堤防を高くしたりダムを造ったりと、効果が目に見えて敏速に見える施策がとられてゆく。しかし、長い目で見るといたちごっこになってしまうわけだ。何をすればよいか、などという愚問の前に、緊急性の高い方策をとらざるをえなかったのは、〝業〟を優先しようとする〝意識〟なのだ。農民もその〝業〟のために惑わされるから、〝農〟を見失いがちなのだ。しかし、責任問題を問われる行政は、そうした目に見えたものを推し進めるしかない、ということもなんとなく理解はできるわけで、日本人のすべての人たちの意識が変わらない限り、この構図は変わらないのだ。

 先ごろ書いた「食育の課題から」でも触れたが、食育のことについて、山下氏はこう言う。「1965年から1975年以降に生まれた人たち、ファミリーレストランで食事をして育った、いわば一番恵まれた世代が親になっている。和食離れが進み、コメを食わなくなった。出来合いの惣菜や弁当の方が安くつくし、食べ残しや野菜くずが出ないと買う」。このような世代やその次世代は、食べるものにお金をかけないで、ケイタイ電話の通話料には金を使う。そして「だけど、そういう親たちを育てたのは私たちの世代です。つらい農作業や家事は手伝わせないように。貧しいから自分たちは麦飯食っても、子どもにはウィンナーソーセージやチョコレートをと。良かれと思ってしてきたことだったんだよ。どうしてこんなことになっちゃったんだろうね」と本音を言う。まさにこのとおりだとわたしも思う。良かれとおもってしたのに、どんどん悪い方向へ向っていった。それもすぐには気付かないわけだ。世代を越えて現象が明らかにされていったから。おそらく地域によってその年代に違いはあるのだろうが、おおよそは山下氏の言うとおり。山下氏のいう1965年から1975年以降という枠にわたしは入らないが、その雰囲気は近い世代だからわかる。自分の親、そしてそれから少しあとの親、似ていてもどこか違っていたのだろう。簡単にいえば、やはり戦争を知っている世代(この場合の知っているとは、戦争に関わったという意味での「知っている」である)か、そうでない世代かによるような気もする。知っている世代は、良かれと思う前に、子どもたちには口うるさく家業を手伝わせたように思う。

 最後に山下氏はこんなこともいう。「私は、生き残れるのは兼業農家だと思います」と。農外収入を得ながら、農業をする。ようはかつての農業に近いわけだ。農業だけでは現金収入を得られないから、農外の収入を得ようと、いろいろ工夫していた。かつてと違うのは、この時代は、より一層農外の部分で現金を得ないと、兼業ではやれないかもしれない。そこのところで、そうした環境に馴染むことができるかどうかが、わたしたちに問われるわけだ。そういう意味で、退職後の年金をもらいながら農業に従事する人たちは、ある意味で兼業農家の一種となるのだろう。しかし、そうした人たちだけに託すのではなく、多くの農業から離れていった農家出身者が、兼業農家を見直すことができれば、〝農〟の部分は生き長らえるような気がするのだ。ただし、今の農政はまったくこの方針とは正反対だ。国に頼らずに生きてゆく強さがあるか、そんな時に、古臭い意識が立ちはだかるわけだ。さて、行方はどこへ・・・。
コメント

お見舞いから

2007-02-12 09:40:43 | ひとから学ぶ
 昨日はお見舞いに信州大学付属病院まで行った。見舞った方は、昨年末の深夜に心筋梗塞になって、近在の病院に行ったものの、手におえないということで、信大病院まで運ばれた。奥さんとの二人暮しで、高齢であった。〝おかしい〟と気が着いたとき、「救急車は呼ぶな」と言ったという。その理由は、「それほど大げさにしたくない」、あるいは「それほどたいしたことはない」という意識があったようだ。深夜と言うこともあって、地元のタクシーはすでに営業していなかった。病院のある隣の市にあるタクシーを呼ぶが、折からの雨でタクシーすべてが出払っていたようだ。おそらくそれらのタクシーが空いて向ったとしても、病院から20キロ近くあることから、病院に着くのに早くとも40分以上掛かるとタクシー会社からは言われたという。しかし、それを待った。それでもそこの病院で処置ができればよかったが、できずにさらに50キロ程遠い松本市まで移動することになったところから、この待っていた時間がどれほど長かっただろうと察知する。「なぜ、救急車を呼ばなかった」と奥さんは責められることを十分承知しながらも、夫の言う言葉に従ったわけだ。自らそのことを責めざるを得ないほど、後の症状を間近にしたとき悟ったことだろう。

 世の中では、救急車をタクシー代わりに呼ぶケースも多いと聞く。自分のことは自分でけじめをつけるという意識は、年配の方ほど強い。ことにこの方は戦争に10代で志願して行ったほどの方である。「なぜ救急車を使わなかったのか」と問われようが、それが人としてのポリシーなんだと教えられる。体が不自由で今はリハビリに入っているが、選択が良かったとはとても言えなくとも、古き時代の方たちの強さを知らされたわけだ。若い世代には絶対ありえない選択であるだろうが、そんな選択をする人たちがいることも事実である。だからこそ、日ごろそうした意識を持っていることを念頭に、周りにいる人たちも気を使う必要があることを、また教えられる。そんなことを考えさせられたお見舞いであった。
コメント

今、何をするべきか

2007-02-11 10:17:41 | ひとから学ぶ
 「環境によく見えるものが、とんでもなく大きなリスクを招く場合もある」、そんなことが本当はいろいろあるのだろう。環境と言う名のもとなら、経済至上主義も認められる、そんな錯覚に陥りがちだ。何度か触れてきた風力発電もそんな口かもしれない。どこでも造れば良いというものではないだろう。環境を保全する技術を否定するものではないが、それよりもエネルギーの消費を減らすことを真剣に考えるべきだ。と、そんなことを思うきっかけはバイオエタノールである。先ごろNHKの特報首都圏において、このバイオエタノールを特集していたが、ガソリンと混合して利用できることから、代替エネルギーとして注目され、その分野へ進出して生き残りを図ろうとしている業界もあるようだ。いわゆる農産物がその原料となるわけだが、技術としては廃木材などを利用する方法も開発されているという。しかし、世界ではトウモロコシを原材料としてバイオエタノールを精製しているのが一般的のようだ。聞くところによると、アメリカ国内で生産されるトウモロコシ全量をバイオエタノールに充てたとしても、アメリカで年間消費される石油量の10パーセント程度しか補えないという(『生活と自治』1月号「バイオエタノールは夢のエネルギーか?」より)。石油原料の高騰などがあいまって、代替エネルギーに向けた取り組みはより一層加速しているのだろう。しかし、食料とされている材料をエネルギーに変えるのか、それとも世界での食料不足に充てるのか、という選択も出てくるのだろう。日本のような飽食国家には、さらさら現実味のない話ではあるが、食料自給率の数値からいけば、まったく関係のない話ではない。

 世界中が異常気象に見舞われているこのごろ、ずいぶん昔から言われていた「輸入先が不作のとき日本は大変なことになる」という現実が、地震よりもすぐそこに接近しているようにも思う。地震の対策はできていても、そうしたことへの対策はどうだろう。金があればどんなに食料が不足していても、外貨を得ようと輸出する国も出てこよう。北朝鮮ではないが、弱者は餓死するしかないだろう。そういう意味でも、リスクを招かない代替エネルギーを探すことが、金持ち国が真っ先に取り組まなければならない課題だと思う。いや、取り組む以前に、エネルギー消費を少なくする技術ではなく、生活の見直しをする必要があることは確かなはずだが、消費を減らしながら同じ生活を保持しようとするから、相変わらず経済成長しか頭にないわけだ。エルニーニョがなんたらかんたらいうが、「大変ねー」とか「困ったねー」とは言うが、自らの生活にかかわってくることだとは誰も思ってはいない。人事なのだ。
コメント

食育の課題から

2007-02-10 09:55:59 | ひとから学ぶ
 2001年、今から6年ほど前になるのだろうか、日本フードシステム学会が「2010年食品産業の展望と課題」プロジェクトを行い、2010年の食生活予測をしている。すでにそれから6年、実態はどこへ向っているのか、正確なところはわからないが、その後2005年に食育基本法が制定されて国民に対して改めて食育の重要性とそのための具体的方策が示されることになった。こうした動きに対して、『農業構造改善』(日本アグリビジネスセンター発行)2007年2月号において、東京農業大学の上岡美保氏が「食育推進における課題と食育への期待」と題してコメントされている。ほぼ10年後に対しての6年経過という時間的移動による実態について、そこでは触れられていないが、当時想定された2010年の姿を上岡氏のコメントからのぞいてみよう。

 食生活・外食分科会の食生活予測によれば、加工食品と外食に関する項目で「ハンバーガーなどのファーストフードが大好きである」、あるいは「カップ麺などのインスタント食品をよく食べる」という項目において、利用増加予測がされている。このことについて、①「こうした「食の外部化」は、調理技術の低下を招くだけでなく、食材となる農産物や農業に対する関心の薄れとなり、結果的に食品ロスの増加につながりかねない」と述べている。

 また、「朝食と夕食はご飯を食べる」、あるいは「和風の味付けの魚と野菜中心の料理が好きである」可能性は低く、「エスニック、国籍不明の味付けに慣れている」、あるいは「丼物、チャーハン、混ぜご飯など、主食とおかずが一緒になった料理が好きである」可能性は高くなると評価されている。ここから②「子どもの栄養の偏りが将来に渡っても続く可能性があることを示唆している」と述べ、さらには子どもたちの孤食の実態予想から③「食卓のコミュニケーションの場としての役割の低下が懸念される結果となっている」と指摘している。栄養バランスといった食の基本的な部分はもちろん、食による間接的な精神面の健全化という面では、今の食生活の背景に大きな問題があることを知らされるわけだ。

 予想もでき、実感としても感じてきていることではあるが、あらためて課題をあげられると、認識を新たにする。①でいうなら、食の外部化は調理技術の低下を招く、ということである。かつて「おふくろの味」と言われていた言葉は、今の子どもたちに継承されるのだろうか。弁当を作れずに、コンビニ弁当を子どもに手渡す母親が多い。そうしたことを繰り返すうちに、子どもにとってもそれが当たり前となり、それを望む声が聞こえる。意識としてそれが良いとはとても思えないのだが、常態化していることは確かだ。そして食品ロスである。食が外部化することによって、食材に対しての大切さは失われる。たとえ話をしてみよう。単身赴任しているわたしは、食材を持って長野へ向かう。その食材は、冷蔵庫というありがたい電化製品が守ってくれるわけだが、できればすべての食材を使い切りたいと思うし、生ゴミにしたくない。そういう意識は生まれて当然だと思うのだが、既成弁当だったら、一つの枠の中に入っているものだけを消化すれば、ゴミは包装のみである。むしろその方が食品ロスは少なく感じるが、意識としてはどうかということになる。そうした意識の集積がロスにつながる。加えて、このごろの消費期限切れ材料の問題である。外部化されれば自ずと食材に対しての期限の責任も外部化される。ところがそれぞれが調理してれば、食材の期限が少しくらい切れたとしても、前述のとおり、意識として手元にあるものは有効利用しようとする。だから、期限はあくまでも個人の責任で目安となるだけのことである。いかに意識ひとつが、悪影響を広めてゆくかが解る。

 ②についても外部化されることにより、混在した食べ物が常態化する。食卓にご飯、汁物、おかず、と並んでいる姿と、コンビニで売られている弁当などでは、姿が違うことは歴然としている。まだ主食としてのご飯の意識はあるかもしれないが、いずれどうなるかはわからない。

 ③に至っては、家庭とは何なのか、という根本的なことにつながる。本来家庭で教えられるべき基本的人としての実習が、家庭の崩壊という現実からできなくなってきていることは、多方面で指摘されている。こと食育に限らず、基本的人としての常識という面ですら、家庭は教育を放棄し始めている。そのうちに家庭から食卓というものがなくなるかもしれないと、危惧する。個人個人がそれぞれ食の場を持つのなら、家庭にリビングは要らないし、食卓は必要ない。これらは住空間とも関連してくるが、住居と言えば常識的に台所、居間といったスペースがあった。しかし、食の変化は、そうした空間の必要性にまでかかわってくる。「あなたの家に食卓はありますか」なんていう質問を、将来するようになるかもしれない。

 法制化したほどだから国は重く食の問題に取り組もうとしているのだろうが、果たして受け入れる側の人々にどれだけ伝わるだろうか。大きな問題だけに、複雑にさまざまな業界と絡んでいるだけに流れ始めた水は簡単には堰きとめることはできないだろう。
コメント

ムラ境の店

2007-02-09 08:15:37 | 農村環境


 写真の家は境屋商店という。その名の通り、「境」にあるからそう名前をつけたのだろう。上水内郡小川村と中条村のまさに境にある店である。虫倉山の麓の傾斜地に立地し、手前の小さな沢が小川村と中条村の境になる花尾沢という。横に走る道は県道でもなく、ただの村道であるから、集落同士を結ぶ小さな道である。向こう側が小川村、こちら側が中条村であるわけだが、手前側にも家が点在する。たまたまこの沢がムラ境となっているのだが、意識しなければどちらも同じムラと思う。向こう側の集落は、夏場になると周りが緑で覆われるから、はっきりと家の姿は確認できない。よーく見ると尾根の向こうに家の姿が見えるのだが、最初にわたしがここを訪れた時は、沢向こうが違うムラだとは言うものの、「境に一軒だけ向こうのムラの家があるんだ」と思ったものだ。加えてただの家ではなく、店を開いているというのだから、この沢を挟んだ両者のムラはどういう関係なんだ、なんて興味が湧いたのだ。

 自ら川端に生まれ育ち、境を意識して育ったためか、こんな立地を目にすると気になるのだ。店をしていなくとも、向こう側の集落が密集していなくて、こんな具合に一軒だけムラはずれに家があったりすると、なぜここに家を構えたんだろう、なんて思ったりするのだ。だから、特別このケースが珍しいわけでもなんでもないのだが、それぞれのケースごと、そのムラの、あるいは家の思いがあるんだろう、と思ったりするのだ。

 沢に架かる橋の名を「界橋」というらしい。橋の銘版にそう記されている。界橋なのだが、店は境屋なのだ。店に架かる二つの看板とも酒の銘柄があるから、その通り酒屋さんである。境屋さんという酒屋さんなのである。ぼーっとしていると、境も酒もおなじように見えてきたりする。道端に「塩」と「たばこ」という小さな看板もあって、昔ならスーパーみたいな店だったわけである。

 昔ながらのこんな単純な店の名が楽しい。飯田市千代野池に辻商店という店がある。まさに辻にある店で、山間の店だから今は他にはめぼしい店がない。姉妹店のような店がそこから上久堅へ向かう道の途中にもある。同じ「辻」商店という。あまりそんなことを意識する人はいないだろうが、ふたつの店が姻戚関係なんていうことは、地元の人しか知らない。昔よくあった「現金屋」とか「金玉屋」なんていうのも不思議とおかしい。まあそれはともかく、境らしくもない空間なのに、境を意識する店の名をつけているのが、また楽しい。「へー、ムラ境なんだ」と。
コメント (2)

福寿草が咲く

2007-02-08 08:13:29 | 自然から学ぶ


 「在来タンポポが厳冬に咲く」で触れたように、世の中冬だというのに在来タンポポが咲いている。黄色い花を見るとタンポポか、なんて思ってしまう。中条村と小川村境の標高750メートル付近に太田という集落がある。そこの県道を走っていたらその黄色い花が見えたから、タンポポかと思って車を止めてみた。タンポポにしてはまぶしいほど黄色い。福寿草である。そこから長野市七二会にむけて県道を走ったが、ところどころでこの福寿草が咲いている。ちまたでも福寿草の話題がニュースになるくらいだから、そんな季節なんだろう。

 福寿草は、キンポウゲ科フクジュソウ属の多年草である。晩秋に芽を出して冬に花が咲き、晩春には種を落とし枯れる。ガンジツソウと呼ぶ地域もあるという。旧暦の正月ころ咲くことからそんな呼び方があるのだろう。花らしき花としては、ちまたでは最も早く咲く花かもしれない。まさに春を呼ぶ花、という印象がある。これほど黄金色に光っていると、冬という雰囲気ではない。今年の咲き具合は、やはり暖冬のせいか、一週間くらいは早いということをよそでは聞く。この花を見つけた中条村太田というところは、村内でも標高の高いところである。南向きの日当たりの良い斜面であるが、雪が少ないといわれる今年ではあるが、だいぶ雪が残っている。まだ田んぼの面にも雪が残る。昨年ならこのあたり、今ごろ1メートル近く積雪があったのかもしれない。だから昨年にくらべたらずいぶんと早く咲いたにちがいない。福寿草たけではない。そのまわりの草のなんと青々した姿だろう。まさに春そのものである。

 長野県では福寿草が咲いたというニュースをよく聞く。それだけ福寿草の群生地がけっこうある。わたしの知っているところでは、諏訪と伊那を結ぶ有賀峠から少し南側に下ったところの群生地を訪れたことがある。まだあまり福寿草の群生地があまり知られていなかった時代であった。「信州の福寿草SPOT」というページがある。ここで紹介されているもの以外にももっとたくさん群生地があったように記憶する。黄色い花は福寿草の季節に限らず、一年中多種多様に咲くが、この花は輝いているといった方がよいかもしれない。それほどどの黄色い花よりもまぶしい。写真のものは、よそで見た花よりも大輪であった。たくさんの株はなかったが、本当に県道沿いの目立つ場所に輝いていた。まさに「見てほしい」という感じに・・・。
コメント

消えた村をもう一度⑰

2007-02-07 08:12:57 | 歴史から学ぶ
 牟礼村は、長野市の北隣にあった村で、北信五岳のひとつ飯綱山の東麓に広がる北東に傾斜して展開する地域である。長野市から見ると、北側の尾根向こうという感じで、背後にある村という印象である。鳥居川をはさんで北側に位置する三水村とは密接な関係にあって、中学は組合立の飯綱中学がある。飯綱山の麓にある飯綱高原を観光の中心として位置付けてきた。昭和59年に送っていただいたパンフレットの表紙を飾るのは、その麓にある霊仙寺湖であり、遠望するのは北信五岳の黒姫山や妙高山である。B5版×4を折り込んだもので、8ページある。表紙を開くと丹霞郷(たんかきょう)の写真が広がり、次いで春夏秋冬の歳時記が綴られている。この当時は霊仙寺湖畔に温泉施設はなかったが、後に天狗の館と言われる温泉施設が開業された。

 パンフレットでも紹介されている丹霞郷は、長野市境にある平出地区にある。昭和8年にこの地を訪れた日本画家の岡田三郎助が、「丹い(あかい)霞がたなびくようだ」と、その景色を絶賛したことから「丹霞郷」と名がついたという。そのあかい花とは桃の花のことをいう。例年、5月の連休ころから花が咲き始めるようだが、平出で仕事にかかわっている同僚に、丹霞郷のことを訪ねると、リンゴのイメージしかない。当時のパンフレットには桃の花2万本とあるが、現在の飯綱町観光協会のページから調べると、平出の桃は10ヘクタールに1700本とある。2万と1700ではその数がだいぶ異なる。しだいに桃からリンゴに転換してきたのだろうか、わたしにもリンゴのイメージが強い。

 中学に限らず農協なども「飯綱」という一体的な地域名を使ってきたこの牟礼村と三水村は、2005年10月1日に飯綱町となった。7600人余の村は、合併して13000人余の町となった。もともとそうした一体感があったからすんなり合併したかというと、そうでもない。牟礼村の合併に向けた足跡をのぞいてみると、2004/7/25における合併の是非を問う住民投票の結果は次のようであった。

    「三水村と合併」 2208票
    「自立」       1480票
    「長野市と合併」 827票 投票率は71.35%

 その後、2005/3/11における村議会では、村から提案された三水村との合併の是非を問う住民投票条例案に対して、賛成7、反対7の賛否同数となり、議長裁決で否決とされた。住民投票と議会のねじれ現象で揺れ、一時は合併は無理かと思えたが結果的には合併にこぎつけた。住民投票の結果にもあるように、長野市とも隣接していて、そう遠い地域ではない。いずれ長野市へ・・・という流れもあるのだろう。ちなみに、合併相手の三水村の北端にはやはり北信五岳のひとつ斑尾山がそびえる。二つの山の相向かいの傾斜地の村がひとつになったわけだ。

 写真は、飯縄山の麓の高坂という集落の戸隠道の入り口に立つ馬頭観音である。碑の高さは70センチ近くあるものの、像そのものはとてもコンパクトなもので、風化していて表情までは把握できない。稚拙といえば稚拙であるが、風貌はどうみても鉄腕アトムといったところだ。かろうじて「昭和廿四年」と読める。牟礼村には馬頭観音が多いが、わたしの住む伊那谷のものとは表情が異なる。加えて、像を象ったものが多い。



 消えた村をもう一度⑯
コメント

韓国の恋人記念日

2007-02-06 08:29:27 | 民俗学
 倉石美都さんの「十四日は君がいるからカップル記念日―韓国カップル記念日事情」(『長野県民俗の会通信』197―長野県民俗の会)は大変興味深い内容だ。韓国では11,14,22,24,50,100という数字に記念日があてられているという。そして、そんな日に、大きなぬいぐるみや花束を抱えた男性が、ソウルの人ごみのなかで見かけられるようだ。記念日の恋人へのプレゼントを手にしているわけだ。1/14ダイアリーデー、2/14バレンタインデー、3/14ホワイトデー、4/14ブラックデー、5/14ローズデー、6/14キスデー、7/14シルバーデー、8/14グリーンデー、9/14ミュージックフォトデー、10/14ワインデー、11/14ムービーデー、12/14ハグ・マネーデーと、14日に対しては、1年中記念日がある。そしてこれ以外にもつき合い始めて22日をトゥトゥーデー、50日を50日記念日、100日を100日記念日などと続く。そしてそういう日を意識していないと破局しかねないらしい。頻繁に贈り物をする以上は、財力なくしては続かない。結局財力なくしては愛情は示せない、ということになるのだろうか。

 なぜこうも記念日が多いのか、というところで、倉石さんは徴兵制度に触れている。二十歳になった男性は2年間の徴兵の義務がある。この徴兵期間に別れるカップルも少なくないようだ。軍隊に行っている間に、他の男性に乗り換えてしまうこともあるようで、いかに恋人がいることが重要かということなのだろう。2年間の間、強い結びつきを継続するためには、それ以前のより一層の愛情が必要となる。そうした環境が記念日の重要さを示すことになる。

 とまあ聞いていると、別れの期間があるからこそ、愛情は深くなるというようにも聞こえる。そしてそれを示すしぐさとして、表現は大きく、そして何度も繰り返されるということになるわけで、日本の若者ような愛情表現の浅さはないということになってしまうが、逆にいえば、そこまでして毎月しなくては愛情が確認できないのか、ということにもなる。徴兵とはいえ、戦場に行くわけではないから、我が国における先の大戦の出兵とはわけが違う。たかが2年の徴兵でそれほどまで深い意図があるのかどうか、韓国のことであるから本音のことはわからない。ただ、徴兵というものがあることにより、己を振り返る機会になっていることは確かだろう。それもまだ若いうちの2年は、短いようで長いのかもしれない。

 今の日本の若い人たちが、どうなのか無知であるが、韓国のこの記念日好きは、きっと日本人にも好まれるかもしれない。たまたま記念日がないだけのことで、例のごとく、商売好きの人たちが画策すれば、きっと韓国特有のものではなく、日本でも受け入れられるような気がするがどうだろう。
コメント

怪しい会社を導入した自治体

2007-02-05 08:15:41 | ひとから学ぶ
 日本空間情報技術という飯田市にある会社が破産手続きに入ったという報道は、地元信濃毎日新聞の第1社会面を2日続けて彩った。旧社名ジャステックというこの会社は、近ごろはめっきりGISにのめっていた。報道で旧社名を併記するほど旧社名時代の伸びによって現在の地位を築いていたということなのだろうが、まだ現社名になってから長い歴史がない。旧社名を併記しているが、この会社の旧社名というと、ジャステックよりもさらに前の信濃写真工房という名のほうが、わたしには印象深い。もともとは今のようなコンピューター処理が一般化する以前の時代、大判の写真コピーや編集という部分を担っていた。設計図がキャドで書かれるようになる以前の、いわゆるアナログ時代、手書き時代のコピーが主な仕事だったように思う。

 その後測量部門に手を広め、公共事業の右肩上がり時代に後発ではあったが規模拡大を進めていった。ところが我が社もそうだが、長野県の財政難に合わせたようにそうした仕事は激減。加えてこうした委託業務の入札率は50%近いところまで落ち込み、かつての倍の仕事を行なわないと前と同じ収入を得られない状態になっていった。そんななか、この会社はGISに県内の会社ではいち早く手をかけ、独自のGISのシステムを構築していった。独自のものだから開発費に多大な投資をしたに違いない。今から3、4年前のまだジャステック時代のことであるが、給与の支払いが滞っているなんていう噂をあちこちで聞いた。当時から大丈夫なんだろうか、なんていう雰囲気があったが、いずれにしてもすでにGIS主体の業務に転換していた時期なのだろう。

 2/2の信濃毎日新聞朝刊によれば、GISのシステム保守をどうしたらよいかと、この会社のシステムを導入した自治体が困惑しているようだ。お膝元の飯田市や豊丘村のほか、長野市もそのシステムを導入していたことを知った。世の中はこうした情報技術の部門でさまざまなシステムが氾濫している。そうしたシステムがたとえばマイクロソフトのOSのようにかなりの部分で汎用化している場合はまだしも、さらなる専門的なシステムに依存している場合は、その後の管理をどうしていくか、という部分で複雑な問題が多いことを示している。お役所ごと導入するシステムは異なるし、その導入に際してその後のシステム更新をどう継続してゆくかという部分は、導入段階での大きなポイントとなる。いざ導入先が破産するという現実を見て、我が社でも同様なシステムの提供をしようとしているが、果たして我が社は未来永劫継続するかは怪しい。営業は一種の詐欺のようなものだ。話術の上手いやつは仕事をとってくる。しかし、大雑把にいえば詐欺師のようなものだ。そこで会話された内容がどれほど正確かは、当事者のみのわかるところだ。そういう意味では、もともとわたしには怪しいイメージのあったこの会社のシステムを導入した自治体は、どこまでこの会社の姿を把握していたのだろうか。

 まったくもって中央で同じことをしている会社が、長野県のような場所で同じ仕事をしても見合う収入はない。それほどもの作りではない世界の仕事は複雑化しているし、対価が正当なのかどうかも解りづらくなっている。

 ところで、外国労働者に働かせる、あるいは外国にもの作りの場を求めていった原点に、対価の安い場所としての地方がそうでなくなったことがある。もともと地方とは、中央にとっての後進国だったわけだ。コストを下げる目的がその目的を達せられなくなって外国へ流れ出た。その先も対価が上がってゆかない補償はない。とはいえ、だからといって地方は中央にとっての後進国という位置関係はいまだにかわらない。きっと中国並みの労働対価で働く地域が日本に現れたら、その地域に一流企業は工場を設置するのだろう。工場誘致したいのなら、労働対価を押さえた地域システムを作る、そんな時代がやってくるのかもしれない。いや、すでにそういうことになっていて、わたしが知らないだけなのか・・・。
コメント (1)

節分に鰯

2007-02-04 10:25:54 | ひとから学ぶ
 「鬼の目を突く柊と鰯の煙で邪気を払う―節分いわし」という名前で売られていた鰯を、妻は買ってきた。実家は農家だから、節分と言えば〝いわし〟を食べるというのが当たり前と考えている。だから妻は買って来いといわれて買っていったのだ。ところが、あまりわが家では鰯を喜ばないので、妻は実家で「持っていけ」という鰯を「いらない」と言ってもめているのである。無理やり持たされた鰯は、わが家の食卓に並ぶわけだ。昨年も「節分」で触れたが、わたしの育った空間では、節分と言えば「かに・かや」だった。もちろん豆を撒いたのも子ども心に思い出すが、そこそこ歳を重ねてくると、「鬼は外、福は内」という掛け声をかけるのが恥ずかしくなるものだ。田舎だから、隣までは100メートルもあるから、誰がその声を聞くというものでもないのだが、なぜか恥ずかしかったことを思い出す。自分がそう思ったとおりに、わが息子もこのごろは声を出さない。「鬼が来るよ・・・、学校受からないよ」と母は声を出すように催促するのだ。

 さて、わたしの実家では鰯を神棚に進ぜるということをしたかどうかよく覚えていない。豆を撒く前に進ぜることはしていたが、どうも鰯は浮かんでこない。もしかしたら秋刀魚だったかもしれない。地域によってさまざまなはずなのだが、このごろは、みんな買って済ませるから、どんどん流通にあわせて儀礼は統一化してゆく。冒頭の鰯には、さらに「節分いわしの由来」という説明文が記述されている。節分の由来や鰯が節分に登場する由来が書かれている。「〝焼嗅がし〟と言われる臭気の強いものを焼いて邪気を追払ったり、鰯の頭を火にあぶって燃やしたところへ唾をはきかけつつ害虫の名を唱えて一年間の虫の活動を封じる呪法である〝虫の口焼〟やその鰯の頭を柊といっしょに串にさした物を魔除けとして戸窓に刺す風習があります」とある。この鰯の販売元は尾鷲物産という三重県尾鷲市の会社である。気の利いたことに、鬼の目を突くといわれる柊が、竹串に刺さったものが一本封入されている。まさに節分用に販売された〝鰯〟なのである。

 そこでそんな鰯を売っているんだと思い、昨日自宅への道すがらイーオンに寄ってみた。さすがに節分ということで、食品売り場の口元に「節分」コーナーが設けられている。落花生のほか、大豆や鰯、そして鬼の面まで並んでいる。今や大豆を炒って豆を投げる家は少ない。我が家もこのごろは落花生である。棚に並ぶ落花生も、中国産と千葉県産が同じくらいの数並んでいるが、倍と半分くらい値段が違うから、同じ数でも中国産の方が量は張っている。並んでいるとその違いがはっきりわかる。中国産はそろっていて美しい。そこにゆくと千葉県産は黒っぽいあざがたくさん着いていて見てくれは悪い。もちろんわが家は中国産なんか絶対買わない。が、棚に並んでいる様子を伺うと、売れ行きはどちらも同じくらいだろうか。まさか投げる豆は中国産、食べる豆は千葉県産、なんて分けてはいないと思うが、果たしてどうだろう。

 この日、もっとも賑わっていたのは、太巻きのコーナーだ。このごろ急にメジャーになった太巻き。大阪発の流行は、東京ではどうなんだろう。「大阪発」に抵抗がある人は買わないのだろうか。この日ばかりの太巻きコーナーは、品薄どころか販売用トレイの地肌が出ている。よく売れているのはネギトロ巻きやサラダ巻きだ。買うつもりなど全くないが、そんな様子をしばらく眺めていた。鰯も入り口のコーナーのほか、あちこちで売られていたが、冒頭のような説明書きのある〝節分いわし〟の姿はなかった。あちこちに鰯の売られている姿が見えたから、「節分に鰯」はかなり知られているようだが、売れ行きはとてもはかばかしくなかった。売る側は何を思ってこんなに並べたんだろう、なんて考えてしまうほどだった。
コメント

猫の目農政

2007-02-03 12:06:24 | 農村環境
 「地域発!どうする日本―誰が支えるあなたの食卓」というドキュメント番組をNHKでやっていた。茨城県の農家が、消費者のニーズを求めて、惣菜屋へ野菜を提供している姿を映し出していたが、まさに工業製品の世界である。惣菜屋さんに細かい注文を受けて生産はしても、生物の農産物はなかなか同じ品質で提供してゆくのは難しい。それよりもなによりも、農業が消費者のニーズに惑わされてゆく姿は、豊食のなにものでもない。なぜそこまでして要求を満たしていかなくてはならないのか。いや、経済社会の人々は、そんな生ぬるいことを言っているから農業がダメになったんだというかもしれない。しかし、農業は広大な空間と集落を構成している。潰れたからといって逃げ出していったら、すべての地域とは言わないが、とくに山間に近い地域は死んでしまう。

 集落営農組織によって日本の農業を継続してゆこうとする農政は、意図としてはよくわかる。しかし、番組を見ていて気がついたのは、それまで規模拡大を目指して個人から土地を借りて農業を後押ししてきた専業農家にとっては、まったく正反対の施策となる。ようは集落営農組織を組もうとする側は、より多くの土地を求めて、貸していた土地を返して欲しいということになる。したがって規模拡大をしていた専業農家にとっては、それまでの苦労は泡と消えるわけだ。農業が国の施策によって落ちぶれたことは言うまでもない。農業がだめになると、芋づる式に奈落に落ちてゆくものがさまざまある。集落がなりたたなくなれば、地域もダメになる。地域がダメなら土地は荒れ放題となる。土地が荒れれば国土防災は成り立たない。そんなことはちょっと考えれば誰でもわかることなのに、みな口にはしなかったし、行政も「なんとかなるさ」程度に思っていたに違いない。

 松岡農水大臣が登場して「小農を潰すための施策ではない」と言っていたが、国の施策は誰が考え出しているものなのか、農業者の声は聞こえていないのか、なんていうことを思うばかりだ。番組の最後に農業を営む人以外の人たちを取り込んだ農業施策を提案していたが、最近の施策には既にそういうものが明確に示されている。たとえば農業用施設の管理を農家以外の人たちも含めて、地域でやっていこうという取り組みはそうしたもののひとつだ。しかし、たとえば水田は集落営農で集約化し、余剰の農家は他の作物へ転換してゆく。そして非農家には農業の一端に関わってもらう、そうした流れは役割分担としては良いように見えるが、独自性に欠けていると思うとともに、その流れに乗ったとしても生業として成り立つ農家は限られるだろうし、加えて猫の目農政にいつまでついて行けるかは疑問である。さらには一時的によくても、次の世代へ継続できるかと言う点でも問題を抱える。

 付加価値の高い作物で成功を収めている地域は、どうしても地域としての関係は希薄になる。集落営農によるさらなる付加価値への道は、農家ごとをつなぐ糸口にはなるが、さまざまな点で農家ごとの差が生じる。農業を継続させる目的が達成されたとしても、そのとき地域は生きているだろうか。
コメント

暖冬と世界遺産

2007-02-02 08:09:17 | ひとから学ぶ
 暖冬というかなんというか、雪が降らなくて催しができないとか、催しを開くために苦労しているなんていう話がよく聞こえる。気温だけをみるとそれほど暖冬とも思わないのだが、それでも昔に比較すれば暖かいのだろう。豪雪地の飯山市でも市内にはほとんど雪の姿が見えないようだ(1/31現在)。そんなことで2/10,11に開かれる飯山雪まつりの雪像ができないと嘆いているようだ。大型ダンプで20キロも遠いところから雪を運んでいるという。地球温暖化だというのに、エネルギーを使って雪を運んでいるのもどんなもんだろう。雪がないときには雪がないことを逆手にとって催しを行なったらどうだろう。いっそ中止するという方法もあるだろうし、「雪まつり」という名でも雪のない祭りをしたっていいんではないか、と思ったりする。

 真剣に温暖化対策を考えるのなら、もう無駄なことは辞めたらどうだろう。そういうことを言うと、それにかかわって稼いでいる人たちに批判を受けるが、真剣にそう思うのなら、生活以外の娯楽を削ってゆくしかないはずだ。

 南アルプスを世界遺産に、という運動が始まった。伊那市では長谷総合支所(旧長谷村役場)で開いた長谷地域協議会で、登録に向けた活動や目的などを説明したという。しかし、そこに生活の舞台を置いている地元の住民には、登録による規制強化に対する懸念があって、慎重に検討するべきだという意見も出ている。〝「世界遺産反対」から〟でも紹介したように、熊野古道における反対運動はかなりのもののようだ。「世界遺産」とは何なんだということになる。文化遺産にしても自然遺産にしても、指定されることで人の進入が規制されて、遺産が保護されるというのなら指定の主旨として理解できる。しかし、現実は違うようだ。観光客目当てであったり、地域名のブランド戦略にもとれる。「世界遺産」という看板が欲しいばかりなのだ。それを誘導する自治体の有力者や地域の有力者は、世界遺産を有している地域のトップにいる、というレッテルが欲しいかのような積極さがある。日本人によくあるパターン、「外国高級車好み」と同じような感覚なのだろう。

 これもまた、温暖化だというのに、他方ではエネルギーを使いまくっているのと同じだ。そこに暮らす人々の生活を犠牲にしてはならないが、だからといって貴重なものを残すという行動も大切なものなのだろう。ところが、なにもかも打算的な背景が見え隠れしたりするから、犠牲に本当になってしまったらやるせない。富士山の世界遺産指定に向けた取り組みのなかで、富士五湖を含めて登録地域にしたいという山梨県の意向に、地元の河口湖町が大反対したという報道があった。年間900万人という観光客が訪れる地域だけに、指定による規制強化を懸念してのものだ。この場合は、むしろ指定されることで自然が保護される可能性もある。ケースバイケースという感じで、指定による影響は、一様ではないということを教えてくれる。すでに観光で十分安定した暮らしをしている地域は反対し、名声を上げようとする地域は賛成する。お分かりのように、目先のことだけを見ているわけだ。
コメント

わが家の自給率

2007-02-01 08:12:27 | つぶやき
 いつものように翌日の弁当の準備をしようとして気がついた。「米がない」のである。単身赴任ではあるが、毎日弁当を詰めてゆくのが日課である。銭がない、というのも理由だが、会社で注文している弁当を一度食べてみたが、いまいち気に入らない、ということも理由のひとつだ。一食300円もしないくらいだから、「銭がない」というのも理由にはならないのかもしれない。人に言わせれば、作るより安いなんていう。しかし、妻もわたしも実家は米を作っているし、農産物は身近だ。もちろんわたしも農作業をするし、妻の職業は「農業」である。ということで、米がないことに気がついたものの、買うことはためらいがある。米を作っている農家が米を買うなんていうことは許せない。なんとか一週間は米を使わずに過ごすことにする。現場にも弁当を持参するが、今週は外食にすることにする。

 さて、今日はたわずか一合弱あった米を使って弁当を作った。自ら米を炊くのは今日だけである。 「外食をとるなら諦めろ」で触れたように、知らぬ間に外国から輸入されたものを食べていることはよくある。今日の弁当をそんな視点で探ってみよう。米は僅かにあった自家の米である。ちょっと米がいつもより少なかったので、おかずを多めに作った。まずは毎日の弁当に欠かせない①玉子焼きである。自家(この場合の自家とは妻の実家のことである)で鶏を飼っているからもちろん自給である。冷凍ものの②鮭を焼いて入れるのも、ほぼ毎日のメニューである。鮭がないと餃子を入れたり嵩の張る野菜炒めを入れるが、今日は鮭である。さすがにこれは購入品である。どこのものだろうと調べてみると、一応「北海道産」と表示されている。あくまでも表示が正しいというのは前提である。だから国産である。いつもは鮭を入れれば一緒に入れることはない、やはり冷凍ものの③ハンバーグを焼いて入れる。表示を見る限り原材料とされているものは、ほとんど「国産○○」という表示がある。おかず入れには最後に④ホウレンソウを炒めて入れる。もちろん自家の畑のものである。米がいつもより少ないということで、別のおかず入れに⑤野菜炒めを入れる。ご飯の入れ物、おかずの入れ物二つという豪華な弁当である(中身はともかく)。野菜炒めは、キャベツ、ニンジン、タマネギにモヤシを入れる。冷凍もののスライスされた豚肉を少し混ぜる。なにしろ肉よりは野菜の方が好きなこともあって、面倒くさいときは肉を入れないが、今日は今週自家から持たされた肉を利用した。

 以上で総メニューである。おかずのうち、鮭とハンバーグ、豚肉とモヤシは購入品である。料理後の重さでゆくと、30%くらいは購入品だろうか。しかし、おそらく国外の材料はないと思う。国外比率0%といってもよいだろう。そして自給率からゆけば、米を加えると、重さなら10%くらいが購入品ということになるだろうか。歳をとったせいか、毎日似たような弁当を詰めてくるが、とくに他のものを食べたいとはそれほど思わない。マグロの捕獲量が制限されるというが、中国人がマグロに味をしめてきたようだ。大国中国は、世界の食糧事情さえ左右しそうだ。わたしもマグロは好きだが、だからといって別に食べなくても生きて行ける。贅沢日本人はもっと「質素にしなさい」、なんて言うと、影でまたまた稼げない人が出てきて大問題なんだろう。経済社会ってイャだねー、なんて言っているわたしは何者・・・。

 そんなことで、米がなかった今週、現場に出ることが多くてちょうど良かった。そんな現場を引き上げようと思って撮った写真には、冬の空とは思えないような雲が浮かんでいる。山なみが鱗のように浮かぶ。遥か先は松本に続く。

コメント


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****