「伊那谷の南と北」のなかで触れているように、伊那と飯田が相容れないとしても、枠外からみれば、そこは伊那谷の中の一地域にすぎないわけだ。自宅のありかを聞かれて伊那と飯田の両者を使う理由は、正確な場所を認識してもらうにはそのどらでもないからかもしれない。伊那と飯田の中間という立地は、どちらを言えば聞いた人がイメージできるか、とわたしが意識するからだ。「伊那」の位置を特別に認識している人なら「伊那」と言ったほうがわかりやすいだろうし、「飯田」の位置をより強く認識している人には「飯田」と言った方がわかりやすいだろう、なんていう気をきかせてしまうからそういうことになるのだ。もちろん、伊那周辺の人が「飯田」という人もいないだろうし、飯田周辺の人が「伊那」ということもないだろう。それがわたしのような曖昧な位置に住んでいる者の宿命なのだろう。しかしながら、両者の周辺に住んでいる人たちには、そんな気を回す必要はないのだ。なぜかもっとも近い「駒ヶ根」を位置情報として利用することはない。マチの大きさと知名度というものを、あるいは位置情報として自らの中でさらなる曖昧な情報なんだろうと認識しているから使わないのだ。きっとこんな曖昧な応え方をする人はわたしだけで、具体的に「○○町」と現住所を言う人の方が多いのかもしれない。そしてその場所が聞いた人にイメージできない場合に、「伊那と飯田の真ん中あたり」なんていう表現をして説明するのだろう。
長年県内を歩き、前述のような質問を何度も受けた経験が、曖昧な回答をするようになった原点かもしれない。現在住んでいる近隣の人たちは、おそらく「飯田」という人が多いのだろう。いずれにしても人によって位置情報をどう表現するのか、そんなところを意識してみると面白いものだ。
さて、引継ぎを終え、自宅に向かおうとすると、間もなく始まるこの地での人とのやり取りをどう予想すればよいだろう、なんて思うほど西の空は焼けていた。雑木林の向こうの様子をうかがおうと、その林を越えると、中央アルプスの将棋頭から茶臼山の残雪に夕焼けが映えていた。間もなくその焼けた空も、闇にかき消されて行ったが、晴れ晴れした明日が始まればよいが・・・。