Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

食育の課題から

2007-02-10 09:55:59 | ひとから学ぶ
 2001年、今から6年ほど前になるのだろうか、日本フードシステム学会が「2010年食品産業の展望と課題」プロジェクトを行い、2010年の食生活予測をしている。すでにそれから6年、実態はどこへ向っているのか、正確なところはわからないが、その後2005年に食育基本法が制定されて国民に対して改めて食育の重要性とそのための具体的方策が示されることになった。こうした動きに対して、『農業構造改善』(日本アグリビジネスセンター発行)2007年2月号において、東京農業大学の上岡美保氏が「食育推進における課題と食育への期待」と題してコメントされている。ほぼ10年後に対しての6年経過という時間的移動による実態について、そこでは触れられていないが、当時想定された2010年の姿を上岡氏のコメントからのぞいてみよう。

 食生活・外食分科会の食生活予測によれば、加工食品と外食に関する項目で「ハンバーガーなどのファーストフードが大好きである」、あるいは「カップ麺などのインスタント食品をよく食べる」という項目において、利用増加予測がされている。このことについて、①「こうした「食の外部化」は、調理技術の低下を招くだけでなく、食材となる農産物や農業に対する関心の薄れとなり、結果的に食品ロスの増加につながりかねない」と述べている。

 また、「朝食と夕食はご飯を食べる」、あるいは「和風の味付けの魚と野菜中心の料理が好きである」可能性は低く、「エスニック、国籍不明の味付けに慣れている」、あるいは「丼物、チャーハン、混ぜご飯など、主食とおかずが一緒になった料理が好きである」可能性は高くなると評価されている。ここから②「子どもの栄養の偏りが将来に渡っても続く可能性があることを示唆している」と述べ、さらには子どもたちの孤食の実態予想から③「食卓のコミュニケーションの場としての役割の低下が懸念される結果となっている」と指摘している。栄養バランスといった食の基本的な部分はもちろん、食による間接的な精神面の健全化という面では、今の食生活の背景に大きな問題があることを知らされるわけだ。

 予想もでき、実感としても感じてきていることではあるが、あらためて課題をあげられると、認識を新たにする。①でいうなら、食の外部化は調理技術の低下を招く、ということである。かつて「おふくろの味」と言われていた言葉は、今の子どもたちに継承されるのだろうか。弁当を作れずに、コンビニ弁当を子どもに手渡す母親が多い。そうしたことを繰り返すうちに、子どもにとってもそれが当たり前となり、それを望む声が聞こえる。意識としてそれが良いとはとても思えないのだが、常態化していることは確かだ。そして食品ロスである。食が外部化することによって、食材に対しての大切さは失われる。たとえ話をしてみよう。単身赴任しているわたしは、食材を持って長野へ向かう。その食材は、冷蔵庫というありがたい電化製品が守ってくれるわけだが、できればすべての食材を使い切りたいと思うし、生ゴミにしたくない。そういう意識は生まれて当然だと思うのだが、既成弁当だったら、一つの枠の中に入っているものだけを消化すれば、ゴミは包装のみである。むしろその方が食品ロスは少なく感じるが、意識としてはどうかということになる。そうした意識の集積がロスにつながる。加えて、このごろの消費期限切れ材料の問題である。外部化されれば自ずと食材に対しての期限の責任も外部化される。ところがそれぞれが調理してれば、食材の期限が少しくらい切れたとしても、前述のとおり、意識として手元にあるものは有効利用しようとする。だから、期限はあくまでも個人の責任で目安となるだけのことである。いかに意識ひとつが、悪影響を広めてゆくかが解る。

 ②についても外部化されることにより、混在した食べ物が常態化する。食卓にご飯、汁物、おかず、と並んでいる姿と、コンビニで売られている弁当などでは、姿が違うことは歴然としている。まだ主食としてのご飯の意識はあるかもしれないが、いずれどうなるかはわからない。

 ③に至っては、家庭とは何なのか、という根本的なことにつながる。本来家庭で教えられるべき基本的人としての実習が、家庭の崩壊という現実からできなくなってきていることは、多方面で指摘されている。こと食育に限らず、基本的人としての常識という面ですら、家庭は教育を放棄し始めている。そのうちに家庭から食卓というものがなくなるかもしれないと、危惧する。個人個人がそれぞれ食の場を持つのなら、家庭にリビングは要らないし、食卓は必要ない。これらは住空間とも関連してくるが、住居と言えば常識的に台所、居間といったスペースがあった。しかし、食の変化は、そうした空間の必要性にまでかかわってくる。「あなたの家に食卓はありますか」なんていう質問を、将来するようになるかもしれない。

 法制化したほどだから国は重く食の問題に取り組もうとしているのだろうが、果たして受け入れる側の人々にどれだけ伝わるだろうか。大きな問題だけに、複雑にさまざまな業界と絡んでいるだけに流れ始めた水は簡単には堰きとめることはできないだろう。
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