Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「伊那谷の南と北」序章

2007-02-16 08:20:10 | 民俗学

 郡境域に生まれ育ったことにより、他地域と比較してさまざまな違いを語ると、自らそれほど意識はしていなくとも、人はそれを歪んだ考えだと言うこともある。そう言われるから、またそれを意識してしまい、自らに問いただす暮らしを、もう何十年も続けてきた。飯田市で行なわれたある研究会での発表に際し、飯田の人たちとよその人たちの意識の違いに触れて、そういう違いを暮らしの中で感じたことはないか、と投げかけたことがあった。その席である地方自治にかかわった方は、そうした意識の違いがあることをあまりそれまで考えてこなかったような発言をされたのである。境界域に生まれ育った者と、地域の中心で育ったものでは、他人に対しての第一歩がすでに違うのである。そうした同じ地域にあってもどこに立地するかによって意識が違うのだから、広範な地域を対象に相違点を上げれば山ほどあるわけだ。

 伊那谷というひとつの空間は、そういう意味ではあきらかにひとつではない。それは南北100キロほどという広範なエリアにあるのだから、当たり前といえば当たり前なのだ。このエリアだけでひとつの県として存在していても、少しも不思議ではない大きさである。この伊那谷を南と北という捉え方で発表されている論文、あるいは随筆などは極めて少ない。おそらく個人的なあまり公になっていないものにはそうした視点のものもあるのだろうが、なかなかそうしたものを目にしたことはない。「南と北」という捉え方をされた方の代表に、民俗学者の故向山雅重氏がいる。東の文化、西の文化の接点という視点で伊那谷を南北に分けて捉えているわけで、多くの人たちがそうした違いを体感しているはずだ。しかし、このごろは文化の接点というよりも、郡の違いという意識の方が先にあって、その違いを探し出す方法として、南北が語られる場合は多い。だからわたしに言わせれば、それは体感ではなく、単なる相手に対しての無知な上に生まれる相違点としかいわざるをえない。向山雅重氏の扱った「南と北」については、後に触れるとして、ここでは、南と北ではなく、上と下という伊那郡の違いに少し触れてみることにする。

 上下伊那のリーダーによる伊那谷を語ったものとして、大変興味深い取り組みが数年前にあった。「伊那谷を語ろう会」というもので、主催しているのは国土交通省の出先機関である天竜川上流工事事務所や三峰川総合開発工事事務所、飯田国道工事事務所、天竜川ダム統合管理事務所である。平成13年から14年にかけて、懇談会を11回開催して、伊那谷を単位として自立と継続的発展を目指し、次世代に誇れる伊那谷の将来像を描いていこうと企てたもののようである。いかんせん、地域のリーダーだから、下々の本当の意識というものが反映されているとはいえないが、両者を互いがあまり認識していないもの同士でやりとりしているという会議はあまりないことから、議事録を読んでいると興味を引く部分が多い。

 平成13年12月13日に行なわれた第8回議事録にこんなことが書かれている。松崎愉さん(有限会社システムアスカ)という方が、「上伊那は下伊那を理解できてないし、下伊那は上伊那を理解できてないというところがあると思うんです。産業にしても多分、飯田・下伊那の方が多種多様な産業が入り乱れていると思うんです。ですから、ある業種の不況によって急激に落ち込むということに対しての強さが、飯田の方は多分あったような気が自分としてはあるんです。それはやはり産業構造とかいろんなものが違うという意味で、こういう「まるごと博物館」(この会議では、たびたび伊那谷全体をまるごと博物館に、という意味でこの名前が登場する)というものを、この地域全体で考えたときには、そこで広域的に考えて、例えば下伊那を知らしめよう、上伊那を知らしめようとかいうようなイメージがどこかにあるとしたら、下伊那には上伊那を知ってもらうべき支所みたいなのがあって、上伊那には下伊那を知ってもらうような、それは形のある建物でなくてもいいんですけれども、そういう丸めた一本の情報をぽんと流すのではなくて、自分は下伊那の人間なので、上伊那のことはよく分からないので、きっと上伊那の情報を欲しいだろうと思うんです。」と述べている。たいへん率直な意見で、ようはこの方は下伊那の人で、上伊那のことはよく解らないので、伊那谷全体という捉え方で何かをしようとするのなら、もっと両者を理解できるお互いへのアプローチがあってしかるべきではないか、というようなことを言いたいようなのだ。これに対してそこに出席されているほかの方たちは、どちらかというとグローバルに伊那谷を見ていて、知らないことがあってもそれが多様であってそれを受け入れていけばよいじゃないか、みたいなことを言うわけだ。しかし、松崎さんは、そんなに理解していないのにグローバルな視点ばかりで言ってもイメージがつかめないと言っている。まさにわたしはこの松崎さんの意見こそが、中央と地域の意識差に似ているように思うわけだ。きれいごと言っても現実的には上辺だけになってしまうから、地道にお互いをまず認識しなければ前には進めないのではないか、という意識が見えるわけで、上下伊那の関係には、まさにそうした現実が横たわっていると思うわけだ。

 松崎さんの言葉に興味が湧き、氏の発言を追ってみると、こんな言葉も出てくるのだ。「町村合併があって、行政区の仕切が変わろうが、町が市になろうが、どうなろうが、この地域全体として私はここが好きだよとか、住んでいるこの辺、例えば中川村あたりに住んでいる人だったら、上伊那と下伊那の両方にいるわけで、どうしてもそこで線を引かれてしまうと、持っていきようがないんだけどというものもあるでしょうし、・・・」と、雰囲気としてこの曖昧な捉え方は現実を映し出している。とくにこの言葉の中にある「上伊那と下伊那の両方にいるわけで、どうしてもそこで線を引かれてしまうと、持っていきようがないんだけど」という部分は、自らそんな意識がわかっているかのような言い回しである。上下に分けられているから、その中に横たわっている人たちは、その枠に入っていることで割り切っているだろうが、上伊那郡でありなが、方向性は下伊那である中川村の人たちは、本当は上下の境界がそこにあって欲しくないと思っているひともたくさんいるはずなのだ。これは、曖昧な境界に暮らしている人たちしか理解できないはずだ。他の方の松崎さんへの言葉を紹介しながら説いていくと、もっと他の人たちと松崎さんの間に壁のようなものがあることがわかるのだが、ここでは松崎さんの言葉だけで、上下伊那を捉えてみた。

 

 「伊那谷の南と北」第1章

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