Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

お見舞いから

2007-02-12 09:40:43 | ひとから学ぶ
 昨日はお見舞いに信州大学付属病院まで行った。見舞った方は、昨年末の深夜に心筋梗塞になって、近在の病院に行ったものの、手におえないということで、信大病院まで運ばれた。奥さんとの二人暮しで、高齢であった。〝おかしい〟と気が着いたとき、「救急車は呼ぶな」と言ったという。その理由は、「それほど大げさにしたくない」、あるいは「それほどたいしたことはない」という意識があったようだ。深夜と言うこともあって、地元のタクシーはすでに営業していなかった。病院のある隣の市にあるタクシーを呼ぶが、折からの雨でタクシーすべてが出払っていたようだ。おそらくそれらのタクシーが空いて向ったとしても、病院から20キロ近くあることから、病院に着くのに早くとも40分以上掛かるとタクシー会社からは言われたという。しかし、それを待った。それでもそこの病院で処置ができればよかったが、できずにさらに50キロ程遠い松本市まで移動することになったところから、この待っていた時間がどれほど長かっただろうと察知する。「なぜ、救急車を呼ばなかった」と奥さんは責められることを十分承知しながらも、夫の言う言葉に従ったわけだ。自らそのことを責めざるを得ないほど、後の症状を間近にしたとき悟ったことだろう。

 世の中では、救急車をタクシー代わりに呼ぶケースも多いと聞く。自分のことは自分でけじめをつけるという意識は、年配の方ほど強い。ことにこの方は戦争に10代で志願して行ったほどの方である。「なぜ救急車を使わなかったのか」と問われようが、それが人としてのポリシーなんだと教えられる。体が不自由で今はリハビリに入っているが、選択が良かったとはとても言えなくとも、古き時代の方たちの強さを知らされたわけだ。若い世代には絶対ありえない選択であるだろうが、そんな選択をする人たちがいることも事実である。だからこそ、日ごろそうした意識を持っていることを念頭に、周りにいる人たちも気を使う必要があることを、また教えられる。そんなことを考えさせられたお見舞いであった。
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