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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

何が「不公平感」か

2024-06-13 23:34:16 | ひとから学ぶ

 先ごろ、8日の信濃舞知日新聞中信地域版のページに「不公平感ないか?」 塩尻安協の賛助金、朝日支部は村が公金支出 他支部から疑問もという記事が掲載された。「塩尻交通安全協会(塩尻市、朝日村)が全11支部に上納を求め、協会の運営費として使う「世帯割賛助金」について、朝日村全域を範囲とする朝日支部(事務局・朝日村総務課)は本年度から、村が支出する補助金を充てることにした。」というもの。集金する安協担当者の手間を省く意味で「公金支出」となったのだが、それに対して「疑問」という声を記事は取り上げている。「疑問」の意図は、ようは賛助金、いわゆる赤い羽根や緑の募金のように、募金的意味合いがあるものを一律公金支出では、「出したくない」人の意見が無視されることにならないか、というわけである。確かに一理あるものの、記事の内容を読んでいくと、むしろ違う意味の不公平感が浮かぶ。ようは徴収率の問題である。

 塩尻の安協では「支部に集金を求める世帯割賛助金は以前、所有する車の台数や運転免許証を持つ人の数に応じて、各支部が独自に世帯当たりの額を決め、集金していたという。だが、支部により額が異なることから「不公平ではないか」との声があり、塩尻市と相談し、一律千円を目標に集めることにした。」という。その上で世帯数に対する徴収率は、「2023年度は高い方から順に、楢川支部(76%)、洗馬支部(73%)、朝日支部(64%)、北小野支部(60%)。低い方からは片丘支部(15%)、広丘支部(22%)」などだったという。この徴収率の違いは、隣の動向をうかがいながら行動する田舎らしいパターンを映し出している。そして田舎というか山間部ほど徴収率が高く、都市部は著しくその率が低下する。面白いのは徴収率の低い片丘支部では、「6~7年前、住民から使途を問われた集金担当者が明確に答えられなかったのを機に、ある常会がそっくり支払いをやめた。「払わなくてよいようだ」との話が広がり、現在の低徴収率につながった」らしい。ようは個々の家で隣をのぞいたのではなく、集団で隣の様子をうかがって、「あそこで出さないのなら、うちも出さなくて良い」という感じの行動が起きたというわけである。こう見てみると、一律公金支出の方が、よほど講へ宇世が保たれていると見える。募金とか賛助金について、どこの地区がいくらだから、ここではいくら、みたいなことにならないように、あまり地域ごとの金額を告知しない傾向もあるのかもしれない。しかし、そもそもその賛助金とは「何なのか」ということになる。

 実は2015年1月30日の日記「集金常会・中編」に、同じ塩尻市の安協の話題を記している。塩尻市「声のひろば」というページに「常会の役員が交通安全協会の費用というので、毎年千円集めていますが、あれは何のことでしょう。常会を通して、赤十字とかいろいろの費用が集められ、公共の費用をこういう形で集めれば、反対のしようがないですが、再考していただくわけにはいきませんか。常会役員をこういう形で使うのは、どういうものでしょうか。」というものがあって、その回答についてわたしは日記に記している。そもそも安協の担当者は常会で決められていて、常会に入っていない人から集金する必要はない。裏を返せば、いわゆる自治会に加入しなければ、このような賛助金に限らず募金の話もないわけで、それが納得できなければ自治会を脱退すれば良い、という短絡的なことに繋がりかねない(実際、そういう事実もあるだろう)。そう考えると、そもそも自治体がらみでこのような集金を、個々の家に求める手法そのものが言及されるべきこと。しかし、いまだに地域社会はそこまで異論は発していないのも事実。そして都市化した地域ほど協力者は減る。わかりきったことではあるが、「どこかおかしい」ことに変わりはない、そう思う。


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