Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「民主主義への挑戦」か

2022-07-08 23:54:54 | つぶやき

 テレビ東京は安倍元首相死去報道について、各局が報道特番に切り替えたのに対して、通常放送を基本に随時臨時ニュースを挿入したという。長野県内にはテレビ東京を流すキー局がないため、NHKはもちろん民放もすべて特番だった。刻一刻と状況が変わる災害報道と違って、今回の銃撃事件は繰り返しの多い報道で、どの局もそれほど変わるものではなかった。そしてどの画面でも「民主主義への挑戦」という同じ言葉をコメンテーターが口にする。もちろん政治家の口から出る単語も同じ。ここに抱く違和感はかなり強いものだった。たまたま選挙期間中であったことを理由に、「民主主義」を取り上げるのは、どうかと思う。

 今日、安部元首相が銃弾により命を絶たれた。歴史上でも国のトップにおられた方が、いわゆる「暗殺」というかたちで命を落とされた例は多くなく、この半世紀はなかったといって良い。その背景について今後明るみになるのだろうが、時代の変化に当てはめるのは早い。もちろんこれをもって、政治家がさらに「遠い」存在になるのは、正しくないと考えるが、警備の問題点を指摘する報道が盛んに語られているので、世論はその方向に向かうのかもしれない。これもまた特番の描き出したイメージ創出でもある。

 なにより安部元首相のご冥福をお祈りするが、そもそも銃撃というスタイルをこの国では描いていなかったと思われる。素手でかかってくる、とか声を上げてくる、などという襲撃をイメージしていれば、銃弾に抵抗はできない。テレビドラマではないが、狙撃されれば、今の日本の状況下では簡単に目的は達成できるのかもしれない。今回はプロの「殺し屋」ではなさそうだ。とすれば、逆恨み的なものだろうから、従来にもいくらでもあったスタイルだろう。たまたま銃弾が安倍元首相の急所に当たった。偶然としか言いようがない。

 あらためて考えれば、逆恨み的背景には、言論では打開できないという鬱積がある。したがって言論の自由という言い方は、このケースに当てはまらない。著名なコメンテーターと、一般国民が議論して、後者が勝てるはずもない。ましてや、虐げられた者、蔑ろにされている者が、打開策として暴力に頼る例は、このごろ増えたわけでもなく、従来から存在していたもの。ただ、今の世では情報が伝わるのが早い上に、それに対する反発も早い、そして強い。ちょっとしたことで攻め続けられ、世の中から排除されるのも簡単だ。この状況下では、解決策を見出せずに悩む人間は多いだろう。裏を返せば以前にも記した通り、シロクロはっきりさせようとするこの世の流れに組み込まれないことが「世渡り」となってしまう。ようはそこには言論の自由への壁が生まれる。「矛盾ばかり」と当事者は捉えるだろう。暴力はあってはならない、当たり前ではあるが、そこに逃れざるを得ない人がいても不思議ではない。


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1 コメント

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Unknown (イチゴ)
2022-07-12 23:28:39
胸がすーとしました。本当の民主主義も分かっていないと思います
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