Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

人柄が違う(飯田と伊那)

2012-01-13 12:44:45 | ひとから学ぶ

 ダイヤモンド・オンラインの12日版に「ヤマト運輸が届けてくれた感動が」という記事があった。タイトルでなんとなく予想がつくだろうが、日本の宅配業者のサービスのすごさを例に日本的サービスの総体のレベルの高さを書いている。雰囲気として国柄が大きく異なることは、国々を行き来している人たちにはよく解っていることだろう。民族の違い、言葉の違い、いろいろな違いが国柄に、そして人柄にも現われるものだ。でももっと狭いエリアでも人柄の違いを意識させられることは多くあり、それを地域性といって捉えてわたしも日記には幾度となく触れてきた。「伊那谷の南と北」などはその代表的なものだ。

 わたしは妻に雰囲気で飯田という地域の違和感を口にするといつも戒められている。もちろんほかの地域と飯田地域を比較できる環境にいなければ、その違いを体感することもできないが、わたしは飯田での勤務は都合12年、伊那での勤務も10年を数える。同じ年に両方の出先にいたわけではないが、必ずどちらかの空気しか体感していない。したがって20年以上という年月の中で世情の変化もあって一概に同じ条件で比較することはできないが、どちらかに前半10年、いっぽうに後半10年在籍していたわけではなく、混在していたから一応そのあたりの差異はバランスが取れていると思う。さらに生まれたのは伊那エリアである上伊那、高校は飯田市内、永住の地は飯田エリアである下伊那、そして長野県という環境は南から北へ動きを見せるから、ふだんの暮らしの中でも充分に両者の中に身を置いている。このブログの副題に記しているように、伊那谷のちょうど真ん中辺りで、そして境界域という見下された位置に身を置きながら両者をかなり客観的に捉えてきた存在で、わたしのような人生を経た者はそう多くないと自負している。そんな中で、雰囲気でしかものを言えないのが、説得力不足につながっている。

 両者の人間性の違いを示すひとつだけ「これは」と思う事例がある。以前にも触れたことがあるかもしれないが、車を運転している際の経験である。ほぼ同じくらいの年数を両地域の出先で働いてきて、怖い思いをしたことは伊那では一度も記憶にない。ここでいう「怖い思い」とは、極端に煽られて争いごとになりそう、あるいはなったという経験だ。プライベートな時間を含めると飯田地域に身を置いている時間の方が明らかに長いから同等の比較とは言い難い面もあるが、それらはみな仕事帰りで起ったことである。例えばガソリンスタンドから国道に出た際にあまり余裕がなかったために、やってきた車に煽られるどころか混雑しているのにわざわざわたしの車の横に停止して罵声とつばを吐く。対向車のことなどまったく無関係な彼ら(2人乗りの男)とわたしだけの世界が路上に展開された。またある時はこちらが少し前の車両に接近していたことに怒りを買い、国道上で停止したためこちらが追い越して行くと、見事におっかけが始まった。暗かったこと、当時はディーゼルにのっていたことなどから「逃げられない」と思ったわたしはよその家の庭に逃げ込んで様子をうかがったことがあった。同じようなことは何度となくあって「飯田は怖いところ」という印象は今もこころの片隅にある。その最たる例が、暴力団と絡んで追っかけられて彼らの車にぶつけたときだった。しばらく穏やかな日々は来なかった。こうした経験は伊那エリアでは本当に一度もない。飯田集中というマチの景色と分散している伊那という地域との差なのかもしれない。わたしは伊那谷以外にも松本や長野といったところでも働いていたが、マチに近いところでこうした経験をしたことは一度もない。唯一飯山に行き来していたころ、国道19号線で真夜中に同じように追っかけられたことがある例だけだろうか。いずれにしてもこれを名古屋的車社会とは言わないが、運転していることで対人とのトラブルを引き起こしやすい空間であるということは確実なのである。もちろんその背景に人柄があることは言うまでもない。


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