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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

旧丸子町西内の自然石道祖神④

2024-05-30 23:13:50 | 民俗学

旧丸子町西内の自然石道祖神③より

 

穴澤公民館北辻の道祖神

 

茂沢の道祖神

 

平井区公民館の道祖神

平井区公民館の五輪塔残欠

 

宮沢公民館の道祖神

 

 穴澤の公民館から国道を挟んだ南側の道祖神から直線距離で30メートルほど北側、公民館の北側辻にも自然石道祖神が祀られている。北側にあるお宅の石積が2段に積まれていて、1段低いところにこの道祖神の「祭壇」がしつらえられている。一瞬そのお宅の宅地空間に収まっているように見えるのだが、この石積、その家の北側の道路まで連続している。同一時期に積まれたものとすれば、この石積はどういった主旨で積まれたものなのか、ちょっと不思議な石積である。いずれにしても宅地の石積と同時に積まれた石積みの上に道祖神が祀られる。お宅の方に聞いてみると、自分の子どもの頃からこうだったから、よくわからないとも。小林大二氏が昭和47年に著した『依田窪の道祖神』に掲載されている写真を見てみると、やはり石積の上に祀られているが、現在のような石積ではないので、その後に整備されたよう。ここにはで大小10個ほどの石が祀られているように見えるが、さらに小さなものも転がっていて、どこまでが道祖神なのかはっきりしない。前掲書の写真と少し並びも違っているようにも見え、時代によって道祖神の配置はもちろんだが、その数も違っているようだ。そもそも石積に使われている石も、もしかしたらかつての道祖神だったのかもしれない。

 穴澤の集落から国道を北へ進むと旧道と分岐する。集落はもちろん旧道沿いにあり、その旧道に入ってすぐのところに「茂沢」のバス停がある。その手前の辻の一角にゴミ集積所があって、その隅に道祖神が祀られている。この一角は三角地帯で、主たる空間はゴミ集積用の建物が占有しているが、郵便ポストのほか、消火栓やそのホース格納箱、さらには電柱も立っていて、さながら公共空間のようにも見える。その裏には水路が流れていて、ゴミ集積場になる前は、いわゆる集落の共有空間だったのかもしれない。5個ある石は、いずれも下側にモルタルが付随しており、現在は土の上に置かれているが、かつてはモルタルで固定されるような場所に祀られていたとも捉えられる。

 茂沢から旧道を東へ進むと、戸羽の集落があり、平井区公民館の庭の一角に道祖神が並んでいる。それこそ自然石で囲まれた祭祀空間に4つ、それらしい石が並ぶが、囲んでいる石も自然石だからすべて道祖神だと言われてもそれらしく見えてしまう。ただゴツゴツした石は4つだから、地元ではこの4つを道祖神として認識しているのだろう。志津は気になるものがもうひとつ。少し離れて同じように公民館の擁壁に沿ってお地蔵さんが2体祀られている。そのお地蔵さんの前に五輪塔の残欠のような石が6個ほど並んでいる。転がっているというよりは並べられているので、これも何らかの祭祀対象物とも捉えられる。まぎれもなく五輪塔の残欠とも言えるものもあり、この光景は長野市鬼無里などで見られる道祖神の光景にとても似ている。五輪塔の残欠となると道祖神なのかどうか。ほかの事例にも注目しながらこの地域の道祖神をみていかなくてはならない、そう思わせる遺物である。

 平井から内村川を少し下ると宮沢である。国道から左手少し入ったところにやはり公民館が見える。その庭の西隅に、やはり自然石の道祖神が並んでいる。ここもまたしっかり石で囲まれた祭祀空間の上にそれはあり、その数は4つ。最も大きなものに注連縄が掛けられている。いくつかある石の中でも主たる存在の石に注連縄が掛けられる光景は、この地域では多い。ここでは庭石のような祀られ方で、自然石の周囲に小石が敷かれている。

続く


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