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武石の自然石道祖神をもとめて 中編

2024-06-12 23:29:41 | 民俗学

武石の自然石道祖神をもとめて 前編より

 

下小寺尾中居「道祖神」

 築地原の集落入口あたりから武石川を渡って左岸へ行くと上小寺尾、下小寺尾の集落が展開している。集落中央の道をゆっくり下って行っても、道端で道祖神らしきものを確認することはできなかった。下小寺尾から再び武石川を渡って右岸側へ行く橋があるが、渡らずに少し武石川左岸の水田地帯を遡っていくと、集落手前の水田地帯の傍らに道祖神らしき祭祀空間が見つかった。周囲を石で四角く囲ってあり、その中にいくつかの石が置かれている。中央にあるのは「道祖神」の文字碑であるが、それほど大きいものではない。三角形に近い素性の良い形をしているから、もともと自然石の道祖神であったという風でもない。年号などは刻まれていないが、手前にある石ころ三つは周囲の石と同じ意図のものか、それとも祭祀物なのかははっきりしない。なんとなくではあるが、もともとは自然石が祀られていたところへ、文字碑が祀られたというようにもうかがえる。祭祀空間の手前には、どんど焼きをしたと思われる炭の痕跡が残っている。

 小林大二氏が昭和47年に著した『依田窪の道祖神』によれば、上小寺尾も下小寺尾にもいくつか道祖神があると思われるのだが、この日は小寺尾ではこの1箇所しか見つからなかった。

 

唐沢公民館の双体道祖神

 再び上小寺尾から武石川を渡って右岸側を下ると、すぐ県道左手に唐沢公民館が見えてくる。その西側の庭に双体道祖神が2体祀られている。背後はネットフェンスになっていて、その直下にはかんがい用の水路が流れている。向かって左側の双体道祖神は横に割れ目が合ってまっぷたつに分離している。いずれも年号の銘文はなく、このあたりの道祖神には年銘の入る者は極めて少ない。

 

三叉路西の双体道祖神

 唐沢公民館からしばらく県道を下っていくと、三叉路があり、茂沢川の谷に入る道が分岐している。その道を茂沢川に沿って少し上ると、道端に比較的新しい双体道祖神が祀られている。見た目新しく見え、さらに前掲書には記載のない道祖神と思われる。ようはここ半世紀以内に建てられたものと推察される。

 

堂坂の「道祖神」

 前述の三叉路から東へ県道を下ること100メートルほどのところ、県道端左手に3体の石碑が建っている。真ん中に祀られているのが「道祖神」であり、「弘化四年」(1847年)の建立のよう。

 

堂坂の双体道祖神

 さらに県道を下ること100メートルほどのやはり左手に双体道祖神がほかの石碑2体とともに建っている。年銘はなく、前述の道祖神とかなり近いところに存在している。武石村の谷では、道祖神が接近している傾向は強く、そのため祭祀空間の数は多い印象である。

 今回は下小寺尾の道祖神祭祀空間に自然石らしきものは見えたが、「自然石道祖神をもとめて」はいるものの、他は自然石らしきものが見えなかった。旧丸子町西内とは少し傾向が異なることに気づく。

続く


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