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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「光橋」東の道祖神

2022-07-18 22:21:54 | 地域から学ぶ

 徳次郎から犀川の白鳥湖へ向かおうとしたが、やはり災害のため入ることはできなかった。この日は作業着ではなかったこと、また長靴を用意していなかったことで、現場へ向かうのは諦めた。そもそも現状はどうなのかを知りたかったため様子をうかがったにすぎないわけだが、それでもと思い、今度は犀川右岸側へ。右岸側も旧豊科町田沢の光である。「光」と書いて「ひかる」という。左岸側から右岸側へ渡る光橋ができたおかげて「世に出た」という感じだが、もともとここには光橋という橋はあった。ただ、現在のように一気に段丘上まで飛び越す橋ではなかったので、世間にはそれほど知られていなかった。国道19号沿いに「光」という集落があるが、あらためてこの集落の中を車で走ってみて驚くのは道の狭さだ。道幅が2メートルもない道も珍しくない。段丘崖を下って川端まで下りてみたが、そこには犀川発電所の取水口がある。かんがい用と共用の取水口であるが、明科まで導かれ20メートルほどの落差を利用して発電している。目立つ発電所ではなく、あまり知られていない。今でこそ取水口の堰上げによってできたダム湖が白鳥が飛来するようになって知られるようになったが、発電所施設そのものは大正12年に造られたもので、けっこう古い施設。現在は中部電力が所有している。

 

光南村の道祖神

 さて、道の狭い「光」をうろうろしていると道祖神がよく目に入る。もちろん双体道祖神である。昭和44年に刊行された酒井幸男氏の『安曇野の道祖神』に、「北アルプスがよく眺められる」と紹介された南村の道祖神は、県道豊科大天井岳線の光橋を渡った道が国道19号に擦りつけられているが、その道の北側の四辻に立っている。掲載されている写真では常念岳がよく映り込んでいるが、現在は当時からすると少し移動されたようで、建物の陰にあって常念岳が写り込まない。当時の写真の解説にも「もとは道の右側にあって、南を向いていたと近所の人が話てくれた。道を広げるについて東向きになってしまった。」のだという。とはいえ広げられたと思われる道も、今ではそれほど広いものではなく、この写真が撮られた時より、さらに道祖神は移動している。「弘化五申年四月吉日 南邑中講中」とある。1848年造立となる。

 

光野田中の道祖神

 いっぽう四辻から南へ進むと、県道の下を潜り抜けひ「光」の野田の集落に入る。集会所の前の四辻の脇に、生け垣に囲まれた空間に道祖神が祀られている。野田中の道祖神で「文化五戌辰十一月日 野田中」と銘がある。1808年だから南村のものより40年古い。

 

光野田北の道祖神

 四辻から野田集会所前を通り北へ戻ると、やはり四辻に比較的真新しく見える道祖神が安置されている。真新しく見えるのは覆屋のせいだ。「明治廿六年 二月吉日」と前面にあり、背面に「野田北耕地中 帯代百円」刻まれている。前掲書を記した酒井氏もこの道祖神の写真のキャプションに「「光」というところは、道がこみいっているので、何度行っても間違える」と記している。込み入っているというよりも、何より道が狭い。これでも広げられたのだろうが…。


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