Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

記されなかった「昭和62年の記憶」

2024-06-02 23:55:30 | つぶやき

 “空白に見る「その時」”に記したように、昨年は空白だらけの日記だった。ということは、いずれ後になって困ることになるのだろうと、相変わらず古い日記を検索していて気づかされる。

 毎日持ち歩いているメモリーの中を、あらためて覗いていて気がついたのは、2021年ころの日にちをタイトルにしたフォルダがいくつもあったこと。毎日持ち歩いているのに、ふだん覗きもしなかったのは、もちろん忙しくて覗く暇がなかったということになる。そうしたフォルダ内にフイルムをスキャンした写真が何枚も入っていて、見た瞬間には、かつて日記で利用した画像だろうと思った。ところがその画像をここで検索にかけると日記に登場してこない。何故だと思い、スキャンしたころの日記を紐解いてみると、当時も空白の日がけっこう多い。例えば2021年の9月だ。記録されているのは13日。ようは月の半分にも達していない。前月の8月は数えるくらいしか空白が無いのに、9月に入って多出している。やはり秋になると生業が忙しいことと、このころにも会計検査が入るといって準備をしていた。そして今回検索しようとしたキーワードは「安源寺」である。中野市安源寺で行われる獅子舞について検索しようとしたもので、当時「昭和62年の記憶」というタイトルで連載日記をしるしていた。最終ナンバーは51番である。安源寺にも昭和62年に訪れているため、その記事がきっと「ある」と思って検索したのに無いのである。

 ということで「昭和62年の記憶」をナンバー51番から遡っていくと、41番の前「木曽の石仏」の日記がない。そして遡ること33番まで空白なのだ。ようやく32番に「中谷大宮諏訪神社例祭」が登場する。それ以前はすべて記録されているようだ。この状態から思いついたのは、空白の日に割り当てていたのに「書けなかった」ということだ。あらためて何を書こうとして準備していたのか、2021年のメモ帳を開いて見た。すると空白ナンバーには次のような記事を予定していた。

33 飯山市桑名川名立神社例祭・補追
34 霊諍山石仏群その4
37 上松町若宮八幡獅子狂言
36 安曇野
37 安源寺獅子舞
38 飯山市富倉ひゃっとう 
39 千国諏訪神社獅子舞
40 木曽の石仏

 やはり「安源寺獅子舞」を予定していたというわけである。連載物でも完結していないものも過去にあるが、それらは継続中のつもりであって、このような途中を抜いている例があったのは、すっかり忘れていた。当時のメモ帳には、これら連載日記以外のものについても、日を決めてタイトルが記されていたが、多くは記録されることなく今に至っている。今さらこれら記事を書くつもりはないのだが、連載物については空白を埋めた方が良いのだろう、とは思っているが、全てを埋め尽くすのは無理かもしれない。「毎日持ち歩いている」、ということはいつでも遡って書くつもりでいたのだろうが、今ごろ気がついているという情けない話である。


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