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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

旧丸子町西内の自然石道祖神②

2024-05-27 23:40:12 | 民俗学

旧丸子町西内の自然石道祖神①から

 

鹿教湯温泉の道祖神

 

大塩の道祖神

 

穴澤公民館南の道祖神

 

 松本市から三才山トンネルを越えて最初にある集落らしいまとまりのある空間は鹿教湯温泉である。湯治の温泉として知られるから、あまり観光で訪れる人は多くないのかもしれないが、県内でも古くから開湯された温泉。この温泉郷の中ほどに「温泉祖神」という祠がある。その祠の前の道端にゴツゴツした石が横たわっている。注連縄の掛けられている最も大きな石でも、大きさにして50センチほどのもの。その周囲に小さな石が置かれているが、どこまでが道祖神かははっきりしない。この道祖神について福澤昭司氏の「自然石道祖神」(『長野県民俗の会通信』258 平成29年)には、道祖神のまつりについて「道祖神のそばに、昔は木で組み立てて小屋を、今はテントを作って、通る人に甘茶をふるまったり、お札を配り獅子舞をやりながら、全戸を回る」という。家々を回る際には「風邪の神たたきだせ、福の神たたきこめ」と唱えるらしく、節分の雰囲気がうかがえる。祭りの実施時期について触れられていないが、西内の道祖神祭りは、2月8日ころに実施されると言うから、その頃なのだろう。いわゆねコトヨウカといえば、下伊那地域のカゼノカミオクリにも共通している。このゴツゴツした石、一見礫の集合体のように見えるが、礫層の中で固まったものなのか…。周囲にころがっている石には溶岩も見え、必ずしも統一した石質ではない。石質については課題である。

 さて、鹿教湯から下っていくと、「大塩温泉」という看板が見えてくる。ここを右折して集落内の方へ左折すると、宅地の石垣の一角にそれらしい祭祀空間が設けられ、「道祖神」碑が2体祀られている。その文字碑に囲まれるようにゴツゴツとした自然石が3つ並んでいる。小林大二氏が著した『依田窪の道祖神』(昭和47年)に写真が掲載されているが、文字碑らしきものは写り込んでおらず、昭和47年以降に文字碑は建立されたのかもしれない。また現在のように自然石3つと明確には判断できず、今のような祭祀状態になったのは石垣が整備された際なのかもしれないが、そうはいっても石垣もかなり時を経ている。なお、グーグールマップで確認すると、自然石は4つあるようにも見える。グーグルマップは随時更新されてしまうので、現在のグーグルマップの写真を保存しておいた方が良いかもしれない。

 大塩から内村川沿いに下っていくと穴澤の集落である。内村川を渡ったところに穴澤の公民館がある。公民館と県道を挟んだ反対側に北西に向けて石垣が組まれた上にやはりゴツゴツした石が祀られている。ただし中央にあるのは石祠であり、一応ここではこの石祠が道祖神の中心になるのだろうか。大雑把に捉えるとここには5体の祭祀物があるように捉えられる。向かって左端と左から4体目がゴツゴツした石。3体目が石祠。2体目は文字らしきものがあるがはっきりしない。右端はいったい何か。五輪塔のようにも見えるが完成形ではない。加えて小さな丸井石がいくつか置かれている。これらも道祖神なのかどうかははっきりしない。いずれにしても祭祀物よりは石垣がちゃんとしつらえてあるから、道祖神とわかる。それは大塩の場合も同様であり、おそらく昔はそうした空間が整備されていなかったから、そこらにごろごろしていた、とも言えそうだ。

続く

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