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旧丸子町西内の自然石道祖神③

2024-05-28 23:43:59 | 民俗学

旧丸子町西内の自然石道祖神②より

 過去の記事を振り返ってみて、もしかしたら続きがないから完結していないのかもしれない。こういう記事は、本日記にはいくつもある。先ごろも記したが、「後で」と思っているとそのまま途絶えてしまう。2018年に『長野県道祖神碑一覧』を長野県民俗の会で刊行した。その編集に際してデータを利用して本日記で道祖神についていくつも報告している。その際県内4ブロックごと碑石の種類をグラフ化して示しているが、東信のものが見つからない。そうして振り返ってみると「長野県の道祖神碑」と題した記事が4回目で途絶えていて、以降中断していることに気がついた。周辺のものを検索してみたが、おそらく中断しているとともに、当時「長野県中信地域の道祖神を料理してみる」といったタイトルで地域ごと「道祖神を料理」していて碑石の種別をグラフ化していたが、「長野県東信地域の道祖神を料理する」にはそのグラフが掲示されていない。

 そこで、丸子町西内の自然石道祖神の背景を知る意味で、ここに東信のデータをグラフ化したものを見てみる。実はこのグラフは既に当時作成してあったもの。ただし、東信の道祖神については悉皆的なデータがないため、双体道祖神以外の碑石についてデータが漏れている。したがってこの数値そのまま東信の実態だと捉えるには問題があることは前置きしておく。

 これを見る限り、多くの自治体において双体道祖神割合が圧倒しているが、繰り返すがデータ不足である。ほとんどの町村でいわゆる石造文化財の報告書が発行されていない。ようは把握されていないということになる。佐久地域については岡村和彦さんという方が私家版の石造文化財調査報告をされているが、このデータを採用して一覧化することは叶わなかった。そのため双体道祖神を扱った刊行物から一覧化したため、当然双体道祖神しかデータが無いというわけである。したがって双体道祖神以外の碑石が掲示されている町村は、それ以外の刊行物が存在してデータ化できたというわけである。このことは、福澤昭司氏の「自然石道祖神」(『長野県民俗の会通信』258 平成29年)でも触れられている。グラフの中で南牧村と両相木村だけ異質な色合いを見せている。この3村は石造文化財報告書が刊行されている。したがってこの3村の周囲の町村は、おそらく同じような種別を示すのが実態かもしれない。ようは石祠が目立つわけだが、意外に石祠の道祖神が多いのではないかと想像する。また同じような色分けで見づらいが、丸子町から下、武石村や長門町に自然石道祖神が多いのも特徴的だが、和田村には自然石の道祖神がまったく見られないことから、隣接かつ同一空間地域でありながら存在しないのはどのような理由があるのか、気になるところである。いずれにしても、東信地域の道祖神は全容がよく見えていないのも事実である。そうしたなか、依田窪と言われる丸子町から武石、長門、和田といった地域には自然石道祖神が多いことは判然としている。

続く


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