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続 祢津東町歌舞伎

2024-05-02 23:56:25 | 民俗学

 先日の祢津東町歌舞伎において、歌舞伎なるものと(地)芝居の違いについて話題になった。どちらも同意であるが、「歌舞伎」と称すと格調高いものと捉えられがちである。それはいわゆるプロの歌舞伎が知られているためで、容易に「歌舞伎」と称するには戸惑うという面もあるのだろう。そもそも地方で演じられたものを「歌舞伎」と称すようになったのはいつなのか、どうもはっきりしない。もちろん今では「○○歌舞伎」と称するものが地方にいくつもあり、当たり前に歌舞伎と認知されてはいるものの、やはり芝居を「歌舞伎」と称してよいものかどうなのか、明確には説明しづらい。

 『信州の芸能』(1974年 信濃毎日新聞社)において解説をした三隅治雄氏は「地芝居」とも「歌舞伎」とも称し大鹿歌舞伎を説いている。項のタイトルも「大鹿の地芝居」としており、両者の呼称が混在している。さすがに現在大鹿歌舞伎を地芝居と称す例は少なく、「歌舞伎」と当たり前に称されているが、かつてはやはり「地芝居」という言い方の方がしっくりしたのかもしれない。「地芝居ポータルサイト」という詳しいページがある。そこでは「地芝居とは」のなかで「地芝居とはアマチュアの人々が行う歌舞伎のことを指します」と記している。逆説すればプロが行うものを「地芝居」とは絶対称さないということになるのだろう。こうした呼称に関する解説への疑問について詳細に説いているものに、中村規氏の「地芝居考―江戸元禄期の地芝居・地役者をめぐって―」(『まつり』75 まつり同好会 2015年)と「地芝居考Ⅱ―『広辞苑』の地芝居解釈をめぐって―」(『まつり』77 まつり同好会 2015年)がある。前者冒頭で中村氏は次のように記している。

「地芝居は『民俗学辞典』に民俗語彙として地狂言の項に「地芝居・村芝居ともいう。盆・村祭などにおこなう素人の演ずる芝居」と解している。『藝能辞典』には地狂言の項に「地芝居ともいう。」とあって、両辞典とも地芝居の項はない。それは地狂言と地芝居・村芝居を同義語あるいは同意語とし、地芝居は民俗語彙としての扱いはなく民俗関係辞典の索引にあってもその説明は省かれている。
 地芝居を『広辞苑』で確かめてみると、『民俗学辞典』の解釈を踏襲し、「農村など各地の民間に伝承され、祭礼などの際に地元の人々によって演じられる芝居。村芝居。地狂言。田舎芝居。農村歌舞伎」とある。いっぽう、地狂言をみると「①能狂言のうち、舞や喋子のない、台詞本位のもの、②歌舞伎狂言のうち、台詞・仕草本位の部分、③その土地の人が演ずる素人芝居。地芝居」とあり、さらに素人芝居をみると「本職の俳優でない者が演ずる芝居。素人狂言」とある。つまり、能・歌舞伎の台詞と歌舞伎の所作の部分が地狂言で、土地の人が演じる素人芝居が地芝居というのは、玄人でも素人でもできる芸能だから「地」を冠して狂言と芝居を使い分けたように思われる。

このように地芝居と歌舞伎以外に地狂言や村芝居といった呼称も登場しきて、さらにややこしくなる。わたし的には、芝居をそのまま歌舞伎と称すことはないだろうから、「歌舞伎の所作」があること、それが歌舞伎へと繋がっていると捉える。

 そもそもかつて村芝居、ようは小さな地域で行われる舞台芸や大衆演劇的なものも「芝居」と総称されていただろう。したがって、やはり現在地歌舞伎と称されているものはある程度形が定まっていると言える。何よりわたしの生家のある地域でも立派な廻り舞台が残っている。かつて子どものころの「遊び場」であったが、何をして遊んだかというと「ピンポン」である。子どものころは回り舞台に卓球台が常設されていて、毎日のようにピンポンをした時期があった。このことは地元の『本郷区誌』(平成9年 本郷区)の「舞台と芸能」の中で「舞台は演劇のほかに、明治期には青少年の会合の場所になったり、戦後は厚生授産所・保育園・公民館などの候補場所や、青少年のピンポン場になったりしたことがあったが、今は神社の専用となっているる」と記している。この記述でもわかるように、立派な廻り舞台がありながら、本来の使い方がされてこなかった様子がうかがえる。実は、農村舞台の数は長野県内には多い。前掲の中村氏の論文に「農村舞台と地芝居の分布」という表が掲載されており、それによると、全国で1511箇所の舞台があり、そのうち長野県では202箇所数えており、最も多い兵庫県の234箇所に次いでいる。しかし地芝居の分布数は7箇所とそれほど多くはなく、いったい夥しい舞台は何に使われたのか、ということになるだろう。その背景は『本郷区誌』の説明からうかがうことができるが、それは後編に譲ることとする。

 さて、「歌舞伎の所作」とは何か。Wikipediaには「所作事」について「歌舞伎演目中の舞踊的な部分を指す。大きく舞踊そのものと舞踊的な演劇とに区分することができ、伴奏が、前者の場合には長唄、後者の場合には義太夫節・常磐津節・清元節などの浄瑠璃となる。ただし両者のあいだの明確な区分は不可能であり、なかには『娘道成寺』のように途中で地方(伴奏)が義太夫節から長唄に変る例もあり、境界線はきわめてあいまいである。なお浄瑠璃による所作事を浄瑠璃所作事という。」とあるが、そのまま「歌舞伎の所作」と解して良いかは別である。歌舞伎と言えばやはり「見得」である。いわゆる「見得を切る」所作が特徴であるが、そうした場面で地芝居ではハナが投げ入れられることが多い。盛り上がる場面であり、地芝居らしい場面でもある。以下に今回の祢津東町歌舞伎での「見得を切った」場面をとりあげるが、実は子ども歌舞伎の中にその所作が連続した。指導されている方が「見得」に意識を持たれているせいなのかどうかはわからないが、数えきれないほど見得を切る場面が登場した。いっぽう本番の歌舞伎の中では、それらしい(大げさに見得を切る)場面は極めて少なかった。5枚目の写真は幕が引かれる最後の場面のもので、これも見得なのかもしれない。

 

続く

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