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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

志久見川沿いの集落景観 後編

2024-05-12 22:43:45 | 民俗学

志久見川沿いの集落景観 前編より

 

切欠墓地とお堂

 長瀬から県道507号を1.5キロほど下ると、また集落に入る。切欠の集落である。切欠は県道の左手窪地に見えてくる。そして県道の左脇、集落から望むと小高いところに集団の墓地があり、その墓地脇にやはりお堂らしきものがある。残念ながらお堂への道は雪で覆われていて、近くまで行くことはできなかったが、お堂であることに間違いはないと思う。これもまた次回への宿題とする。

 

 

柳在家

 切欠から下ることわずか400メートル。柳在家である。やはり県道の脇にお堂が見えてくる。今回は周囲に墓地はない。堂を覗くと天井から千羽鶴がいくつも掛けられていた。祭壇上の額には「浄聖観世音」と書かれている。観音堂なのかどうか、祭壇両脇には木造の十王像が勢ぞろいしている。集落ごとに必ずこうしたお堂が建っているのに見事としか言いようがない。

 

 

志久見

 柳在家からさらに700メートルほど下ると、右手に墓地が見えてくる。集落は志久見にあたる。墓地の反対側山つきにお寺がある。曹洞宗の林秀庵である。並立するように南側には神社が建つ。ここの墓地にもお堂が隣接している。中を覗くと刈払木機などの共同作業用の道具が格納されていた。地域の物置場のように利用されているが、祭壇の上には木造の十王のほか奪衣婆はもちろん地蔵菩薩や人頭杖も祀られていた。“「廃れきった十王堂の話」-『伊那路』を読み返して56”で述べた通り、お堂が祈りの場ではなくなったとしても、容易に仏像を破棄することもできず、「残存している」という光景でもある。

 

 

雪坪

 柳在家の北に雪坪の集落が隣り合わせるように続く。500メートルほど下ると再び右手県道端にお堂が…。ここも周囲には墓地はないが、覗くと切欠同様に天井から千羽鶴がいくつも下げられている。平成元年の「南無観世音大菩薩」という奉納旗が吊るされている。ここには十王像はなく、石造の地蔵菩薩が祭壇両脇に並んでいる。数えれば六地蔵であり、もう2体は馬頭観音であった。1体は「明治四拾年未年」銘があり、もう1体は「文政九年」銘がある。雪坪を下ると志久見橋を渡って津南町、ようは新潟県に入る。

 このように坪野から雪坪まで、下る道沿いのほぼ全ての集落にお堂があったことになり、志久見川沿いの集落の景観上の特徴である。栄村のほかの地域をグーグルマップで彷徨ってみても、これほどお堂が集落ごと存在する地域は無いように見える。それも含めて、周辺地域とともに後の宿題としたい。

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