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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

志久見川沿いの集落景観 前編

2024-05-01 23:14:36 | 民俗学

 先月「あのころの景色⑧」で触れたことだが、栄村の志久見川沿いの典型的景観、そして民俗についてここで触れたい。支流天代川沿いにある坪野の集落。最も奥に小さなお堂があり、よく見るとさらに奥隣に坪野の神社がある。これより奥(上)にかつて家があったかどうかは定かではないが、現在は無いようだ。そのお堂の景観をグーグルマップから引用するとこうだ。坪野の集落を語る景観とも言えるのだろうが、見る限り信仰篤く見守られているという雰囲気はない。坪野の場合、この周囲に墓地は見られないが、川を下っていくと墓地の中にこうしたお堂が配置されている集落をあちこちに見る。

 

笹原のお堂

 まず県道507号線沿いに見えてくるのは、笹原の集落を過ぎたところ、ようは笹原の入口にあたるのだろうが、写真1枚目の光景である。お堂とともに広くはないが墓地がある。道から見るとお堂も墓石も背面になり、東側を向いている。当たり前にお堂であることに気がつくが、覗いてみるとお堂の中は荒れている。お地蔵さんらしき石仏が何体も安置されていたようだが、床が破損したのか棚が破損したのか定かではないほど屋内は荒れている。そして石仏はひっくり返って重なり合っているものもある。茅葺の屋根にトンタを被せた建物で、高い位置に棚があってその中には木造の十王像が並んでいる。数えると全て揃っていないが、棚もそのうちに壊れそうな感じで、この堂があとどのくらい維持されていくのかと不安を抱く。堂内にはかつて葬列に使われたと思われる輿や竜頭が朽ち果てた状態で残されており、墓地内であること、十王が安置されていることなどから、ここが集落における葬送の場であったことがわかる。笹原の集落にあることから笹原の葬送場と捉えるが、笹原はそれほど大きな集落ではなく、見るからに数軒程度というのが現状である。すぐ上隣の当部集落にもお堂らしき建物がグーグルマップで確認できるから小さな集落ごとにこうした空間があったのではないかと推察されるが、そこまで詳細に当たってこなかった。志久見川沿いだけなのか、それとも栄村の特徴的景観なのか、さらには奥信濃の特徴なのか、できればこの後確認してみたいものであるが、いずれにせよグーグルマップは、そうした集落景観を事前に確認するには好都合である。

 

長瀬のお堂

 さて、笹原からさらに下っていくと長瀬の集落である。県道端に郵便局があるほど、少し大きな集落である。下って行って最初に同じような光景が見えてくるから、笹原とは違って最も集落の奥側にお堂があることになる。ふたつお堂らしきものが建っていて、覗くことができなかったが、下側のお堂の脇には棺桶を置くにはちょっと小さな石台が残っていた。その堂は東を向いているが、もうひとつの堂と墓石は西を向いている(墓石はすべて西ではない)。ここも葬送場であったことはすぐにわかる。

続く

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