Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

繰り返される日々に

2009-05-28 12:25:30 | ひとから学ぶ
 電車の中と会社と、そして自宅。ほぼ同じように日々は繰り返される。電車で通わずにマイカーで通ったとしてもさほど見える世界は変わらない。ようは本人がいかなる意識を持つかというところで日々の動きに変化は生まれる。逆に言えばくだらいことにくだないことを考えでもしない限り、なかなか思いつくものが見えないというのも問題なのかもしれない。そのくだらない出来事に意図を見出そうとするから、日々の繰り返しもなんとなくではあるが、変化が見える。何をくだらないことを、と思うがそんなことを繰り返しながらわたしの日々は過ぎていく。

 3年目を迎えた電車通勤。先日新しい定期券を購入した。もう半年もすると自家用車の車検が切れるが、この2年の間車を通勤に利用しなかったおかげでまったく距離がのさなかった。車検の際に夏タイヤで持ち込んだら「このタイヤでは車検が通らない」と言われて冬タイヤに換えてもらって車検を通した。もちろんすでに春を迎えていたからすぐに車検の通らなかった夏タイヤに交換したが、そのままそのタイヤを今も利用している。なにしろ車検以来3千キロ程度しか乗っていないのだから。このままずっと同じ生活なら車の維持費はずいぶんと少なくて済む。これぞ流行の「エコ」なのだろうが、同じことはいつまでも続かない。

 3年目ということで、電車内の顔ぶれもこの春で模様替えとなった。いつもわたしが座ろうとしているあたりに乗車していて、わたしの座るポジションを制御していた公務員らしき男性は、市役所の職員かと思っていたらこの春から姿を見せなくなったからもう少し広域的な公務員だったのだろう。男性と同じ駅で降車した同じく公務員らしき女性も、この春から姿が見えなくなった。彼女はよく窓越しにケイタイで風景の写真を撮っていた。いっぽう利用を始めたころに乗っていた車両で毎朝顔を合わせた女性は、わたしが乗る車両を変えたため顔を見ることはほとんどなくなったが、帰宅の電車で稀に顔を合わせる。朝はずっと同じポジションに乗っているのであろう。彼女は明かに公務員ではなさそうである。高校生は毎年入れ替わっていく。それでも3年間は通うわけで、同じ顔をずっと見ている高校生もいる。日記でも何度か触れた松本まで通っている男子高校生は、必ず文庫本かノートを開いてうつむいている。盛んに勉強をしているノートをも見る限りそれほど難しいレベルのものではない。きっ出来が悪くて遠くの学校に通っているのだろうが、その必至さにいつも気を惹かれる。この春で姿を見せなくなったいっぽう新たに毎日のように顔を合わせる人、人。人を見つめながら彼は、また彼女は何を思う、とまた日々が繰り返される。
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