Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

傀儡子

2009-05-16 21:41:41 | ひとから学ぶ
 傀儡子(かいらいし)という言葉はかなり専門的な言葉だ。わたしもこの言葉を知ったのは民俗芸能でいう人形芝居を知ってからのことである。「人形遣いの古称」というのがこの言葉の意味である。ここ2日ほどこの「傀儡」という言葉が囃された。この難しい言葉がきっとこの2日間ほど辞書で引かれたに違いない。鳩山由紀夫はよゆうは人形使いに使われているという意味でこの言葉があてられた。ようは小沢一郎氏の操り人形ではないかという揶揄なのである。盛んに鳩山氏は「そんなことはない」と口にする。もちろんそれを証明するためには今後の鳩山氏の行動によるのだろうが、どう考えても小沢一郎氏の傀儡というものではないだろう。ただし小沢系の行動に一致していたことは確かだろう。したがって顔は変わっても小沢一郎氏が説明責任を果たさなかったイメージはそのまま残る。さらには小沢一郎氏の処遇しだいでは「なんのために小沢一郎は代表を辞任したのか」という怪しい雰囲気はよりいっそう深まる。戦いやすいと口にする自民党の気持ちも解らないでもない。逆を言えばその怪しさが払拭できないのだからそこを突かれても仕方ないということだ。だからこそ小沢氏と距離を置いていた岡田氏が代表になるよりイメージが重なっても仕方ないことなのだ。

 代表当選を果たした鳩山氏は「岡田さんは立派な政治家ですから」というが、「立派な政治家」なんていう言葉を掛けられるとよりいっそう腹立たしくはないだろうか「岡田さん」。実は言葉として表される単語を並べていくと、どうみても鳩山氏の方が曖昧というか意味不明な点が多い。ようは現実には目を伏せ、選挙目的で国民のニーズに合わせようという意図が見えみえなのだ。「政権交代後の日本を、愛のあふれた社会に築き上げたい」という鳩山氏の「愛のあふれた」とはなかなか見事な言葉である。「いったいそれは何」と誰もが疑問に思う。「友愛というが友愛のイメージがつかめない」という質問に「友愛という言葉が死語になっているところが日本の最大の問題ではないか。そのように、私は真剣にそう思います。従って、友愛外交とか友愛の経済。ボランタリー経済というようなものが、私はひとつの友愛の経済学だと思います。あるいは、コミュニティーソリューション。これはちょっと、なかなかはやらない言葉でありますが、コミュニティーで問題を解決していく経済、あるいは社会保障。こういったものが、ひとつの友愛の形だと」言う。きっと多くの国民は鳩山氏の言葉から具体的なイメージはつかめないだろう。そして強いて言えば、本当は鳩山氏の言うところが大事なんだろうが、おおかたの国民はその次元に至っていないというのも事実。意図は解るが、この方法はむしろ混乱を生むことになる。やはり曖昧な人ということになるだろう。世の中は白黒はっきりさせる時代である。もちろんそれが良いというわけではないが、もしの話であるが民主党が政権をとって鳩山首相が誕生しても「長くはない」というのが現実の姿かもしれない。そしてそれを長らえることができたとしら、日本国民は本当の意味で「変わった」といえ時なのかもしれないが、一長一短に変わるものではないことを、誰もが知っているし、誰もがそこまでは望んでいない。時代と国民の求めるものを政治家は認識していないし、国民も自らのことしか考えていない。
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