Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

水際で防ぐ

2009-05-14 12:34:08 | 民俗学
 「水際で阻止する」とは最近よく聞く言葉である。新型インフルエンザが世界的に流行りそうななか、日本に患者がいないうちには「水際」で止めようという対策がニュースに盛んに流れた。そしていよいよ患者が出ると、水際が病院へと場面が以降していく。すっかり新型インフルエンザも水際という映像も慣れてきているこのごろである。

 妻が「水際という言い方は日本だけのもの?」と口にした。一般に水際というからには海外から入ってくるものを浜で阻止するというイメージを持つ。しかし実際は空からほわとんどの人がやってくるから水際という例えは日本固有のものとすれば正しくなくなる。

 この水際についてはインターネットの質問ページなどにけっこう登場してくるものの明確なものは見受けられない。「上陸させない」という意味で「水際」て防ぐということになるだろうから、やはり{水」をイメージしていることは確かである。日本人には{上陸」という言葉のイメージに「海上からやってくる」という形を想像するだろう。質問ページにもあるが、日本というひとつの国になっていなかった時代には、国境が地続きだったから今で言う「上陸」というイメージはなかっただろう。そして地続きだったから「水際で阻止する」という言葉もなかったのかもしれないが、海ではなく川に置き換えてみれば、確かにこれも水際であることに違いはない。ただし国境が必ずしも川にあったわけでもなく、そのあたりはどう捉えられるだろう。いずれにしても第二次世界大戦において海軍優位だった日本にとっては「上陸」という言葉も「水際」という言葉もそれらしい言葉に映る。ようはこの戦争のもたらした言葉が今も盛んに使われているということになるのだろうか。

 ちなみに「水際作戦」という言葉はこの戦争からきているもので、大辞泉によれば「上陸してくる敵を水際で撃滅する作戦。転じて、病原菌・害虫・麻薬などが国内にはいり込むのを防ぐこと」という説明が見られる。そもそも海の上に浮かぶ国に対して攻め入る方法は、飛行機のなかった時代には船しかなかっただろう。そういう意味で元来この国にやってくる敵は海からやってくるという意識が備わっていたはず。もちろん前述したように国というものがどういう枠のものであったかも含め、今とは考え方が異なっていたとは思うが、海端の地域にとって国とはいわずともその村が外敵から攻められるとすれば海からやってくることが予想されたわけである。水際はようは境界線のようなものなのだ。当然のごとく日本がひとつのまとまった国ともなれば、この境界線を越えられるのは一大事だったのである。そして同じような意識を地続きの国に当てはめれば、やはり水際ではなく「国境」ということになるのだろう。そして海の上に浮かぶ国でなくとも海岸線を有している国なら、自ずと水際という意識は理解できるものと思われ、日本特有のものであるとともに、他国にも同じような言い回しがあっても不思議ではないということだろうか。いずれにしても周囲を海で囲まれている暮らしには、国だろうが村だろうが、そして島だろうがこの意識が存在し、さらには海岸線という意識を強く持った文化が生まれるのだろう。

 とはいえ、実際の国境が海岸線というわけではない。よく言われる海域という意識からみれば実際海端で暮らしている人たちは海岸線が国境とは誰も思っていないはず。そうすると地続きの国の「国境」とわたしたちの意識している「水際」ラインは明らかに意味が違うことが解る。ようは「水際で防ぐ」とは、国境を越えてきてもこの一線が越えられることは一大事なのだというぎりぎりの線ということになるだろう。そういう意味では飛行機でやってきた外敵は、すでに国境を越えてきているわけで、それを防ぐラインが空港の入り口ということになるのだろう。伸縮性があるもののこれが最後というライン、それが「水際」ということになるわけだ。
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