Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

雨宿り

2009-05-08 12:38:18 | つぶやき
 車で移動しているのだから「雨宿り」ということはないのだが、ドアを開いて雨音の聞こえる外に出た。そこにあるかつては停留所として利用されたであろう待合所は、今は利用されることはないのだろうが、無住の家ばかりの集落にしてはこぎれいにされていた。川沿いにあるここの待合所は、訪れると必ず覗いて様子を伺う。意味はないのだが、人の気配をそこに求めている自分がいる。この集落は廃屋ではないが無住の家が数軒川沿いに寄り添っていて、かつて家があったであろう屋敷地に、蔵だけ残っている姿もある。ところが完全に無住というわけではなく、よそから移り住んだ人なのかかつての家構えとは異なる建物もあって、いかにも山奥の珍しくない風景を描く。



 待合所の壁に架けられた「告知板」に最近文字が書かれた様子はまったくない。板の表面は木目が綺麗に浮き上がり、かつてここに文字が躍っていた雰囲気は微塵もない。



 告知板とは対照的に、壁には錆付いた看板が掲げられている。伊那信用金庫の広告版から察するにいつの時代のものなのかわたしには予想もつかない。待合所の中にずっと掲げられていてこれほど錆付いたともなれば、昭和30年代ころのものなのだろうか。それとも当初は外に掲げられていたものなのだろうか。もちろん今は「伊那信用金庫」時代ではなくなった。



 こぎれいな待合所のベンチに腰を下ろしてみる。雨粒がひっきりなしに落ちてくる外界は霞んでいる。川端に安置された石碑群には毎年注連縄が張られ、けして朽ちかけた様子を見せないのが、わたしをここに誘う。



 なぜこの道沿いから高く離れた位置に作られたのか、そこには小さな倉庫のようなものが建つ。集落の共有のものなのだろう。川沿いでは万が一のことがあったときに流されてしまう。それを避けるという意図があったのだろうか。

 (2009.5.7 荊口赤坂にて)
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