Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

警笛鳴らせ

2009-05-13 12:51:12 | ひとから学ぶ

 どんぐりさんのエッセイを読んでいたらこんなことが書いてあった。「クラクション・・・私が車には不要だとおもっている機能のひとつである。都会のドライバーはとかくイライラしている人が多い。必要もないのにクラクションをブーブーと鳴らす人ばかりである」というものだ。ご存知の通りクラクションは、見通しの悪いような場所で鳴らすものであって、歩いている人に意図的に聞かせる道具ではない。そして歩いている人ばかりではなく、前を走っている車に解らせようと鳴らすものでもない。もっといえば、譲り合ってくれた相手にお礼の意味で鳴らす道具でもない。そう考えてみると、かつては「警笛鳴らせ」という看板を地方や山の中で見受けたものだし、専用の規制標識もあった。しかしどうも最近とんと見たことがない。なぜかといえば地方でも道路がだいぶ整備されて、警笛を鳴らさなければならないような見通しの悪い箇所がなくなったということだろう。当然見通しの良くない場所は地方の山間ばかりでなく都会の真ん中でもあるのだろうが、看板の氾濫している都会に「警笛鳴らせ」などという標識はいらない。

 ということでどんぐりさんが言うように、クラクションはもはや無用の道具なのである。わたしも久しくクラクションを鳴らしたことがない。わたしが免許を取ったころは譲り合いのお礼にクラクションを鳴らすというのが当たり前だった。ところがそのうちに手で合図するようになって、さらにはパーキングランプを点滅させるなんていうのも登場した。ますますクラクションの必要性が低下したわけである。あまり利用しないからとっさに鳴らそうなどとすると失敗したりする。どんぐりさんもそのことを言う。「私も小さい音でお礼のクラクションを鳴らしたいのだが、これがなかなか難しい。力加減がよくわからなくて全く鳴らなかったり、うっかり大きな音が出てしまったりする」と。これは意外にだれにも経験があることだ。鳴らそうと思ってハンドルのど真ん中を押しても音がしない。せっかくお礼をしようと思ったのに相手を不愉快にさせる。そうかと思えば鳴らなくて急いでもう一度押してとても大きな音が鳴ったりする。こんなことで焦って事故でも起こしたら大損なのだが、実はこんなことで事故を起こすなんていう事例もないことはないだろう。「これだけ電子化されているのだから、クラクションのボリューム調整やバリエーションがあってもいいのではないか」と言うのも最もだ。今でもクラクションの構造は大昔と同じなのだろう。車の中でけっこう昔と変わっていない部位の一つかもしれない。ただし、これを電子化なんてすると、世の中に改造してさまざまな音を鳴らす輩が登場するかもしれない。そもそも譲り合いのお礼のためにあるものじゃないのだから、なくなってもちっとも問題のない道具だとわたしは思う。

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