Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

交差点の物語

2009-05-02 20:40:03 | ひとから学ぶ
 自分は極力そういうことの無いようにこころがけているが、歩いていると、あるいは交差点で止まって観察していると、交差点をめぐる物語は実に非常識であり、またさまざまな思いが見えて楽しいものである。右折車線のある信号機の設置された交差点には、交差点手前にも狭い交差する道がある。信号機が赤ならそれ以上進めないのだから狭い道から出ようとしている車の前を塞ぐ必要もない。右折車線に入っている車にとっては、右折しようとしている以上左から入ってくる車に対して意識が低くなることはしかたないにしても、基本的に交差する道路がある以上、対向車線の車が右折してその道に入ろうとすることもあるわけだから、交差点部分の車間を空けておくのが当たり前である。ところが次から次へとやってくる車は、交差点手前の狭い道から右折しようとして入ってくる車にはお構いなしに車を進める。いつまでたってもそこから右折しようとする車が出られないのである。いわゆる教科書どおりの運転なら、開けて止まってくれない以上いつまでも出ることはできない。したがって教科書どおりではない形、①頭を少しずつ出していって「しょうがねーな」と止まってくれる車を待つか、②無理に出ようと僅かな車間をついて突っ込んでいくしかない。

 なかなか入れない車の思いもむなしく、少しずつ進んでいた本線側の車は、交差点側から停止する車が後ろへと繋がり始め、入ろうとしていた車のまん前で本線側の車も停まった。まさに最悪な状態。入ろうとしていた車がやくざ風の人だったら「空けろ」とばかりにクラクションを鳴らされるところである。入ろうとしている車も、ど真ん中で停まった車も若い女性の運転手である。停まった車から交差点側にドライバーを見ていくと、女性ドライバーが続くが、若いにいちゃんもいる。いつになく渋滞している交差点に行ってみると、右折後の先に大型バスが路肩に停まっているせいか、車がつながっている。しかし、その脇を通れないわけではない。十分に通れる幅のある道路なのに、なかなか流れが悪いのである。その理由をうかがうと、少しばかり狭いだけなのに通れると判断できずに躊躇している車が多いこと、それと反対側車線も交差点を手前にして渋滞しているのに、車線の左に寄って対向車に融通してやるという気がなく、センターライン寄りに停止している車がいること、そんな理由なのだ。状況さえ把握すればなんでもないことなのに、なかなかそれができないのかしようとしないのか、といったところなのだ。ど真ん中に停まった車の運転手の様子をまじまじのぞいてしまうわたしは、趣味が悪いのかもしれない。

 交差点で渋滞する理由のほとんどは右折しようとしている車にある。それは運転していればわかっているはずなのに、なかなかそれを解消しようとする実践ができないものなのだ。そして右折専用の信号があっても、赤になった信号を右折を続ける車は多い。このケースでは右折専用信号が赤色になった後、スクランブルの横断歩道が青色に変わる。わたしの横で横断しようと待っていた公務員。見た目は頑丈そうなおじさんである。右折専用信号の青が消えたから横断歩道が青になることは解っている。当然のように青になっておじさんは渡り始めるが、まだ右折しようとしている車がいる。もちろんおじさんはもう少しのところで大声を上げるところだったが、かろうじて小声でよそには聞こえない程度に文句を言っていた。横断歩道を渡る側もまだ交差点に車がいることは見えているはず、それを知っていて文句言いたげに渡る輩はけっこう多い。どのケースも正式にいけば右折しようとする車に問題があることは十分に解る。しかし、十二分に彼らの、彼女らの気持ちが解るのは、同じことを誰もがしているからだ。しかし解っていても文句言いだけに行動を起こすあたりに、「正義」を盾にする悪人を垣間見るのである。
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