Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「日本製」

2009-05-19 12:30:55 | つぶやき
 時間などあまり気にしなくてもよい環境に暮らしているから、それほど時計が必要というほどではない。しかし、電車に乗るようになってからはけっこう時間を気にすることは多くなった。必ず毎日行き来する電車の時間は記憶からはずすことができないし、その時間に近づけば時計を何度も見ることになる。実はそんな束縛を好まないのは誰しも同じなのだろう。電車に乗らなかった時にはほとんど気にしなかったことが、増えるわけだから煩わしいと思って当然のことである。

 先日、そんな時間を気にするために利用している腕時計の秒針の動きがぎこちなくなった。今でも町の片隅にある時計屋さんに持ち込むと「電池だね」とあっさりと言われた。電池を交換してそれほどたっていないという印象があったから電池のせいだとは少しも考えていなかった。長く使っていていわゆる老化によって電池を消耗する抵抗が大きくなっているようだ。オーバーホールすれば改善すると言われたが、すでに電池を交換してからのことだったからとりあえず次の交換時期まではこのまま利用する。時計屋さんが言うには前回交換したのはちょうど1年ほど前のことという。さらに1年ほど前に交換しているからほぼ1年ごとになっているようだ。一般的には2年は持つといわれているようだから確かに寿命が短くなっている。オーバーホールすればまだまだ大丈夫と言われるから次回は忘れずにいなくてはならない。

 腕時計とはいっても腕にはつけていない。いつも左側のスラックスのポケットに入れている。さすがに小銭と一緒にポケットに入れていたら傷だらけになるだろうと小銭をよく入れる右側ではなく左側に突っ込んでいる。こんな使い方をしている人も珍しいだろう。もともと腕につけるのは好きではなかったこともあって、若いころには持ち歩かないこともあった。時間が知りたければ「今何時」と周囲の人に聞いたものだ。今でも時間を聞かれることはあるが、昔に比べればそういう会話は少なくなった。今はほとんどの人がケイタイを持ち歩いているから、時間を人に聞かなくても解るということなのだろうか。腕時計などというものを見なくなっても仕方のないことである。

 さてわたしの所有している腕時計は会社に入って15年のときにいただいたものである。もう15年ほど利用していることになるだろうか。時計の必要性がそれほど無いということもあって、わざわざ腕時計を買うなんていうことはまずない。このまま動きさえすれば一生ものになるのかもしれない。そう考えると年老いてくると長年使っているものがけっこうある。暑くなったと思ってシャツ1枚で通っていたら急に霜が降りるほど寒くなって上着を着るほどでもないと思って綿のベストを引っ張り出した。着るのはしばらくぶりだが、なかなか着る機会がないものである。まだ20代のころに購入したものだからそれこそ30年近く利用している、というか所有している。まったく利用しなかった年がその半分くらい、いやもっとあるかもしれない。利用しなかったからそれほど痛んではいない。だから古臭ささえ感じなければ十分今でも利用できる。着るものはぼろぼろになってもさ「作業着に使えるから」といってなかなか捨てないものだ。だからけっこう古いものを所有している。それでも人前で利用できるものはそれほどないものだ。このベストの縫製を見ると「日本製」とある。懐かしい表示である。今では「made in ○○」という表示が普通で○○製などというものはない。もちろん前者の○○の中には「china」とよく入っているのはご存知のとおり。「日本製」という表示をみるほどに、よりいっそう捨てがたい品物になるのは間違いないのだ。
コメント


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****