Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「信州風林火山」

2007-03-15 08:08:29 | 歴史から学ぶ
 入力間違いで「不倫火山」と書いてしまって笑ってしまった。それはともかく「風林火山」の影響で話題がことかかない、今年の長野県である。そんななか、信濃毎日新聞3/11朝刊の東信版に「佐久地方思い複雑」という記事が目立っていた。大河ドラマ「風林火山」を利用して観光客を誘致したいという意図には、長野県も加わって、長野市や千曲市などが盛んだ。「信州風林火山」が不快だという印象で語られたブログ内コメント(「脱・脱ダム宣言_浅川ダム」のコメントの中にあり)もあったが、考えてみれば、武田信玄は信濃の国を草刈場とした。信濃を手中にすることで、その先を目指していったわけだ。とくに山本勘助が登場する時代は、戦といえば信濃の地が主な舞台となる。諏訪氏とのかかわり、そして上杉との戦いと、ことごとく信濃の地が関わってくる。それほど信濃という地には一国を治めるほどの主がいなかったということになるのだろうが、裏を返せばそれほど地形が複雑でまとめるには難しい地域だったということになるかもしれない。そんな地がよくぞひとつの県になったとは思うが、そんなまとめられない地だからこそ、よそには相手にされずにひとつになったのかもしれない。ということは、それぞれの地域を尊重している地域、あるいはそれぞれがそれぞれで良い、というおおらかな気持ちがそこにはあるのかもしれない。

 さて、風林火山に登場する場面として、信濃の国がメインとなる。そんななか、佐久は武田に攻め滅ばされた地ということで、観光PRもしないという。滅ぼされた地が観光に乗るのも気が滅入るのはよくわかる。武田の舞台としての信濃は、そのものが攻め滅ばされた場所だから佐久と同じような気持ちはあるだろうが、いざ観光となれば別である。とくに上杉謙信との合戦場だった川中島に関しては言うまでもない。にもかかわらず、甲斐の国の餌食となった史実が伝承されている佐久は複雑だと言うのだから、いかに歴史が後世まで引きずられるかを垣間見る。どうしてもドラマとすれば攻める方が格好もいいし目立つ。だから滅ぼされる側を扱った歴史ドラマなんてあまり見たことがない。格好よく滅ぼされるものはあっても、格好悪く滅ぼされるのは自慢にもならない、ということなのだろうか。しかし、こうした背景に何があったかということを含めて、その地にとっての生き方を問う、あるいは考えるよい機会でもあるだろうから、25日に佐久創造館で開かれる「風林火山」の講演会は、そんな視点では意味あるものだろう。

 NHKが「作品の舞台はほとんど信州」と言うように、実はこの大河ドラマは甲斐のものではなく信濃のものということがよくわかる。だからこそ長野県も率先して「信州風林火山」なんていう意味の不明なテーマを掲げたわけだ。不快感を示した方たちにもう一度、実はまさに今回のドラマは「信州風林火山」なんだよ、と言いたいわけだ。
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