Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

記念碑の銘文

2007-03-08 08:09:32 | 歴史から学ぶ
 チャンネル・ユーという下伊那郡松川町のケーブルテレビで放映されている日々の話題が、同ケーブルテレビのホームページにおいて動画配信されている。最近そこで扱われたものに、「役場跡記念碑」というものがある。同町は昭和の合併で誕生した町であるが、 旧上片桐村と旧生田村の役場跡地に、町政施行50周年を記念して碑が建てられて、その除幕式が行なわれたという話題である。 その映像を見ていると、両村の碑の除幕式が放映されているのだが、とくに旧上片桐役場を扱った映像では、碑の表面に「上片桐役場跡地」と見えるが、背面などに銘文があるのかないのかまったくわからないのである。碑のことを扱っているのだから、もうちょっと裏に何も書いてないのならともかく、書いてあるのなら「裏も見せろ」と思わず声が出そうなくらいである。もしかして表面にしか文字がないのか・・・なんて心配になってしまうのだ。50周年記念なんていって、町で補助をしているのか、それともただ冠をつけているだけなのか知らないが、どうもやたら50周年と強調するのは気になって仕方ない。

 そこで先ごろその碑の建っているところまで、ちよっと遠いが犬を連れて散歩に出かけたのである。まさか、とは思ったが、裏にも銘文があってほっとしたものである。そこに書かれている銘文は次のようなものである。

 「明治22年4月1日上片桐村発足 役場はこの地に建設された。その後大正初年上片桐3306番地に移転され23年間の幕を閉じ移転された役場も昭和31年旧大島村と合併し66年の役割を果たし上片桐支所となる。   平成18年建立 上片桐区会」

 ちょっと大きめな文字が彫られているのだが、文の内容にいまひとつ納得できないのである。「大正初年・・・3306番地に移転され23年間の幕を閉じ」とあるが、23年後に合併したわけではなく、何が幕を閉じたというのだろう。「この地から移転された」ということを言いたいのだろうが、なぜそれが幕を閉じた、という言い回しなのだろう。あくまで町制50周年記念で建てられた、という冠に気がとられてしまうからそう思うのかもしれない。考えてみれば50周年にあたって建てた、などとはどこにも触れられていない。「上片桐役場発足記念跡地」というのがこの碑の建てられた場所の正しい言い回しなのかもしれない。「旧役場跡地」というのなら、むしろ長く置かれた3306番地の方が、きっと年寄りの人たちもしっくりくるはずだ。すでに発足当時の碑の建てられた場所に役場があったことを知る人は数少ない。だからこそ発足当時の場所に建てたのかも知れないが、どうも銘文は言葉足らずである。字数で金額が変わったのかどうか知らないが、せっかく造るのならこの碑でそこそこのことが理解できるように造ってもらいたいものだ。

 ところで、旧村役場跡地などという碑には何が書かれているものなのだろう、とよそのそうした石造文化財を少しではあるが調べてみたが、意外にも旧村役場跡地なる石碑は例が少ない、というよりちょっと調べた限りでは他には見えなかったのである。そこで記念碑としてみてみると、 たとえば、下高井郡野沢温泉村にある「野沢菜発祥の地」の記念碑は、昭和57年に建造されたもので、そこに書かれている内容は、①野沢菜発祥の由来、②建造年月、③建造主、④書者である。かつてよく建てられた道路開通記念碑とか土地改良記念碑なんていうたぐいのものには、○○知事とか、国会議員の名前なんかが書かれていたりして勘弁してもらいたいが、最近の記念碑からはそんな嫌らしい名前が消えてきている。そういう意味では、けして今回の役場跡地の碑文は嫌らしさはないが、もう少し詳しく書いてもらいたい。建造年月日までしっかり記録して欲しいし、合併して松川町になった、とはどこにも書いてない。何年か後、現在の町がなくなっていたら、この碑文からは何という村がなんという町になったのかまったく解らないのだ。
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