Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

諏訪湖の漁業

2007-03-07 08:09:44 | 民俗学
 さて、前回に続き、下諏訪町立諏訪湖博物館館長さんの話を続ける。

 諏訪市の湖南ではゲンゴロウを食べたというように、このあたりでは諏訪湖で捕れる魚介物は何でも食べたようだ。今もスジエビやテナガエビを捕って食べるようだが、大町から来たS氏は、大町の仁科三湖ではエビを食べないという。こうしたゲテモノ食いもそうだが、地域性を語る例えはいろいろあるようだ。例えばかつてのこの地域の家の作りは、高冷地でありながら大変質素で寒さに耐えていた暮らしぶりがうかがえるという。勤勉な暮らしぶりは、浅草海苔が諏訪からの出稼ぎなくしては成り立たないとまで言わしめたわけだ。

 諏訪湖といえばワカサギで知られているのだが、このワカサギは大正4年に持ち込まれたもので、その後の諏訪湖の漁業の中心をなしていった。一時は全国的にもワカサギといえば諏訪湖というほど、ここからワカサギが出荷されたというが、ここ2年ほど生息数が極端に減っているという。漁協で放流してはいるものの、なかなか増えないということで、最近は禁漁状態だという。諏訪湖一帯ではワカサギの料理が定着していたわけだが、禁漁になってその料理が食べられない状況が続く。そうした減少の理由は、ブラックバスやブルーギルといった外来魚によるところが大きいというが、明確な理由はわかっていないようだ。ワカサギとともにいなくなったものにエビ類もあげられるという。

 館内に展示されている舟はマルタブネとワノセマルタブネである。明治時代に主であったマルタブネに上乗せした縁をつけたものをワノセマルタブネといい、大正のころに使われたという。どちらもカラマツ材で造られた構造船で、安定性を与えるために、自動車のタイヤのように、下側が広がっている。風に強い船を意図しているようだ。船を使う漁としては、うなぎの流し針漁があった。江戸時代には漁を許された集落があって、現在の岡谷市花岡や諏訪市高島城あたりにある小和田(こわた)などはかなり専門に漁業をしていた集落のようである。こうした漁を許可された人たちにエリアが決められていたわけではなく、諏訪湖ならどこでも捕ることができたようだ。また、実際は許可されていない人たちにも、漁業を副業的に行なう人たちはいたようである。

 掻き具漁はシジミを捕る漁法である。琵琶湖の瀬田のシジミを持ってきて諏訪湖で育てると、シジミが丸くなると言われた。出格子漁は、地元ではロウヤ(牢屋)と呼ばれたもので、格子状の筌に魚の入る返しがついていて、この返しから入った魚が出られないようにするのが技術だったようだ。この返しの部分をノドといい、それを付けることをノドツケといったもので、漁師それぞれの秘伝であったようだ。中には息子にもこの技を教えなかったという逸話もあり、このノドツケによって収量が大きく異なったという。

 ヤツカ漁は諏訪湖では典型的な漁法として知られている。冬期、氷の張った諏訪湖で行なわれるものだが、ヤツカそのものを仕掛けるのは湖が開けているうちである。30センチほどの角張った石を約300から400個運び、水深2メートルほどの湖の底に積み上げる。この積み上げた石の間に魚が入るわけで、その魚を捕るのは、湖面が凍結した冬期となる。1人で10から20個のヤツカを作るといい、最盛期はこうしたヤツカが諏訪湖には千個近くできたという。氷を直径2メートルほどに割り、そこにすだれ状の囲いを円形に作り、石をひとつずつ輪の外に拾い出して移動するのだ。行き場を失った魚は、円形のすだれの一部に付いている筌に追われ、そこで捕獲されてしまう。不思議なのは、開けの海で設置された自分のヤツカをどう氷の上で探し出すか、ということである。設置したヤツカの位置を2方向に目安をつけて、その交点を自分の場所とするわけだ。それにしてもたくさんのヤツカの中から間違えずに自分のヤツカを探し出すのは容易ではないように思うのだが、それが技術なのだろう。

 さて、魚場としてよい場所とされたのが、現在の下諏訪町分の諏訪湖のあたりという。伊那風と言われる伊那の谷からの風が吹くと良いとされ、その風が下諏訪町富部(とんべ)のあたりに向って吹いてくるわけだ。富部の人たちばかりではなく、諏訪湖周辺からその魚場を求めて漁に来るわけだ。

 このほかえび押し網漁や押し網漁などの道具が博物館には展示されている。長野県内でも淡水漁業の道具をもっとも多く保存している博物館という。諏訪湖という大きな湖だけに、特徴ある生業をしていた地域なのだろう。ちなみに漁にかかわる神様はいなかったというように、漁業が盛んであった割には、そこに関わる暮らしぶりがなかなか見えてこないわけだ。技術だけではなく、ふだんの暮らしはどうだったのか、そんな興味がまた湧いてくる。



 写真は、富部のあたりから対岸の上川河口のあたりを撮影したものである。かつて湖だった場所も、今は大きなホテルが立ち並んでいるわけだ。
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