Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

重い文化生活

2007-03-16 08:17:02 | 農村環境
 地方交付税を削って、地方を疲弊した状態に陥らせていることは事実ではあるが、いっぽうで地方はその現実を受け止め、どう自立してゆくかと、多くの自治体は苦労しているのだろう。国は地方に都会と同じレベルの生活をおくることのできる空間と設備は提供してきたのだろうが、いざその提供を終えると、あとは勝手にしろ、みたいな地方交付税の削減である。しかし、よく考えれば限られた財源の中で(無駄なものをたくさん造ったことはともかくとして)、とりあえず希望は聞いたが、一応の生活を与えた段階で、管理段階に入った現在、その効率性を求めて金の使い道を考え直すという流れは当然のことなのだろう。いつまでも希望どおりにはいかないぞ、ということは少し考えればわかることなのである。そういう意味で意見は多様だろうが、道州制を取り入れるという考えも必然的な流れだろうし、おそらく簡単にはゆかないことではあるが、いずれはその方向に向いてゆくのは、国に財源を依存している以上、仕方のない流れであることは確かである。おおよその流れを作っている国政の流れは、政権でも変わらない以上、どうにもならない事実だろうし、たとえ政権が変わっても、大まかな流れは変えることはできないほど、世の中は複雑に組み合わさってしまっている。

 わたしの住む町の町税収入は14億弱である。町税を含めた自主財源は18億であって、地方交付税20億を含めた依存財源は32億ほどある。一般会計と特別会計というものはどこの自治体にもあるのだろうが、一般会計では約50億のうち、依存している財源は64%もあるのだ。町民の1人当たりの一般会計上の負担額は10万円である。ようは一人当たり10万円1年間に払えば14億円となる。加えて特別会計をあわせると、総予算は約100億円であるから、1人当たりにすれば約70万余である。こういう計算が正しいかどうかは、行政関係者でもないし、ふだんこんな計算をしたこともないわたしにはよく解らないのだが、現実的に必要額を人口で割ればこれだけ1人当たり必要だよ、という意味では概算にはなる。わが家は3人家族だから、約210万円税金として出さないとこの町はやっていけないという勘定になる(実際は事業者がいるからこんな多額な負担計算にはならないが)。これが高いか安いかはともかくとして、人並みの暮らし振りを持ちえた以上、その暮らしを維持するには必要な額なんだということぐらいは認識しなくてはならない。実は町税だけではないわけだから、負担額はさらに増大するのだろう。しかし、もしこの国のシステムをひっくり返したとしても、今暮らしてゆくには、とんでもなく金がかかっているということを解っていないといけないのだろう。

 田舎で文化的な暮らしをしてゆくために戦後に進められた事業はいくつかあるだろう。まず電気が当たり前のように使われるようになった。この電気は民間事業者によって提供されている。次に水道事業は自治体が提供している。上水道ののちに整備された下水道は、まだ100%とはいえないものの、かなり整備率はあがった。前述したようにそれら事業には多くの補助金が与えられて、人並みの暮らし振りを実現するために一大事業をなしえてきた。しかしである。実はこうした昔風にいえば文化的生活の基盤は整備されてきたが、これらの施設は永遠ではない。いずれ更新時期も来るだろうし、地震国であるこの国においては、そうした地震対策に応じざるを得ない現実が後おいで付加されることは多い。このごろでは耐震補強工事が必要な施設が莫大な数あることが解っている。人並みの生活のための施設は、結局は住民にとって重い荷物となってゆく。しかし、それを望んだのも事実だし、結果として「良かったのか」という疑問が浮上しても、それを当初に判断するだけのデータは何もないし、あくまでも「良かったのか」という問いに過ぎない。だからこそ、基盤が整備はされたものの、その後の維持的部分を考慮した場合、どう自治はあるべきか、ということになってゆくのだろう。

 そうした現実をどう共有してゆくか、そうした広報は必要だろうし、大事な部分なのだろう。今やモノを造るために税金は多く使われていない。にもかかわらずそういう部分に視点が向いてしまうのは、結局はモノ神話が経済の量りとされていることにほかならない。
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