Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

しつけに消極的な日本

2007-03-09 08:10:53 | ひとから学ぶ
 「日本の親 しつけ消極的」という記事が、あちこちの新聞に見えた。それによると「日本の小学生は中国や韓国に比べて家庭で注意を受ける割合が際立って低いことが7日、財団法人「日本青少年研究所」の調査報告書で分かった。家庭でよく言われる注意事項23項目のうち21項目について3カ国中最下位で、家庭での教育力の低さが浮き彫りになっている。」というのだ。教育力の低さ、という捉え方が正しいかどうかには、ちょっと疑問もあるが、いずれにしても放任されている日本の子どもたち、と捉えられるのだろうか。

 新聞に掲載された実数をちょっとあげてみる。下記の数字は左から東京、ソウル、北京である。

 ①勉強しなさい 31, 47, 32
 ②友だちと仲良くしなさい 11, 30, 36
 ③先生の言うことをよく聞きなさい 20, 44, 44
 ④親の言うことをよく聞きなさい 19, 39, 42
 ⑤きちんと片付けなさい 41, 45, 45
 ⑥自分のことは自分でしなさい 32, 43, 46
 ⑦うそをついてはいけません 21, 40, 46
 ⑧お手伝いしなさい 20, 18, 26
 ⑨人に迷惑をかけないようにしなさい 21, 32, 29

などである。東京の場合、親にしてみれば言わなくても自分に直接的な影響がないようなことに対しては、消極的だということがわかる。とくにソウルや北京と差がついている②とか③、⑦なんていうものは、しつけなくても親に災いは降りかからないかもしれない。またそれらの背景には、まじめに人と付き合っても将来が約束されるわけでもないから、人との付き合いはしつけないのである。いっぽうで⑤とか⑥、そして⑧といったものは、よそとの差が少ない。親にとってそれらはしつけないと自分にそのつけがくることが解っているから、意識しているのである。とはいえ、数値そのものは低い位置で接近しているわけだから、全体的にしつけていないということは歴然としている。

 同研究所は「最近の日本の親は、親と子は別個の存在と考える米国型の価値観に変化してきているため、子供に注意をしないのではないか」と述べているようだが、親と子が別個の存在とは言いようは格好いいのだが、そこまで日本の親たちは子どもをひとりの人間として尊重しているようには思えない。むしろ自分が大事、自分の時間をもちたい、という意識の現われではないだろうか。たまたま子どもができたけれど、「そんなに欲しいとは思わなかった」という意識がどこかにあったら最悪だ。しかし、そんなことでもなければ、子どもに自由(この場合の〝自由〟とは、やりたい放題といった方がよいかもしれない)という切符を渡すわけがない。

  斎藤哲瑯・川村学園女子大教授(教育社会学)は、「親からしつけをきちんと受けていない団塊の世代ジュニアが親になり、子供に何を伝えればいいのかが分からなくなっているのではないか。学力は重視するが、人格形成はおろそかになっている。子供のうちにきちんとしつけをしないと、将来の自立を妨げることになりかねない。親だけでなく、社会全体でしつけていく視点も必要だ。」という。このごろは家庭が教えないから、やたらと地域が、社会が連携して教えていかなくてはならない、と叫んでいるが、果たして親としての義務を放り出している社会が正当と言えるだろうか。

 ただ、良い見方をすれば、こんな世代が親になっているのなら、いっそそんな身勝手な親に間違ったしつけをされるよりも、されない方が〝まし〟だという見方もある。しかし、それこそがこの国の不幸たる所以である。
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