Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

成績記録紛失について

2007-03-12 06:33:47 | ひとから学ぶ
 知人が「記憶媒体の紛失と再発防止」について触れているが、実はわが息子の情報もこの事件のメモリにあったという。別に漏洩したとしてもたいした内容ではないとは思うが、ではやたらにそんな情報が流れていたら大変なことだ。だから今回のようなことがあっても「気をつけて欲しい」程度である。しかし、世の中ではそういうことに対して敏感だから、学校も同様に敏感に対応したのだろう。なくした先生のことは息子にも聞いていて性格からして、きっとうっかりどこかに落としたか、どこかに置き忘れているのだとわたしは思う。ところが、もし誰かの手に渡っては大変だということもあって公表したわけだ。それほど新聞紙上で問題にするほどのことではないと思うが、そんなことを言っているのはわたしだけなのだろうか。この程度のことが新聞のWEBページに乗っかっていることじたいが〝お笑い〟である。

 さて、知人が仕事を持ち帰るのはともかくとして、学校の先生が情報を学校外に持ち出すのは当たり前のように行なわれている。学校から持ち出さないように、なんていうことを指導したら、学校の先生は自宅に帰れなくなるだろう。それこそ人並みの暮らしなんてできなくなる。なぜかといえば、試験の回答合せをするにも、通知表をつけるにしても、平常勤務の時間にそうした余裕はないに等しい。結局成績に関わる大事な部分ではあるが、それを持ち歩くということが常態化する。それを否定するのなら、先生からそうした作業を切り離すか、相応の手当てをするべきだ。教員の質が落ちたといってさまざまな場面で批判されているが、現実的に多様な指導を先生に押し付けておいて、何もかも完璧にこなすように求めることは不可能である。

 わたしも単身赴任していて、仕事が間に合わなければデータを持って家に帰る。そうしなければ自宅に帰れないケースなんて多々ある。そこまで負荷を与えておいてセキュリティーがどうたらこうたら言われると、こうした仕事はやっていられない。業務ごとその環境は異なる。わたしの場合は、小さいものだとどこかへ忘れたり落としたりするから、ハードディスクごと持ち歩く。1年ほど前までは小型のマイPCを仕事でも使っていて、それごと持ち歩いていた。性格上そうでもしないとやっていけない。こんな具合に日記のコメントを残すときも、ひらめいたことはその時にメモしておかないと忘れてしまう。だから、PCは不可欠なのである。それでもひらめいたことはメモ帳に、あるいは付箋に書き込んでおくことにしている。とまあ、わたしにとっては仕事を持ち歩くことは当たり前のことだ。その中に漏洩したら大変な仕事上の情報はほとんど入っていないから、なくなってもむしろ自分の情報が心配でならない。それだけ人の情報で仕事をしている人は、わたしとは緊張感が違うのかもしれないが、どうなんだろう。いずれにしても教員にとっては人事ではないことであることは確かである。

 追伸
 予想通り、この先生の車のシートをはずしてもらったらメモリーが見つかったという。2度も新聞紙上を賑わせてゴメンナサイ…てところだ。
コメント (2)


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****