Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

北アルプスと霊園、そして団地

2006-11-28 08:10:58 | 自然から学ぶ


 先日松本市内へ行く途中で北アルプスが美しかったこともあって、写真にでも納めようと立ち止まった。いや、アルプスを納めようとしたというよりは、いつも通るこの道で、通るたびに意識している風景を納めようとした方が正しいかもしれない。加えたかたちでアルプスを・・・、と思ったわけだ。その写真がこれだ。東山山麓線が松本市中山へ入ったところから松本市街方面を撮影したものである。道下から中山丘陵に向って隙間なく家々が立ち並んでいる。埴原西地籍にできた棚峯町会である。松本市都市開発部開発課が造成から分譲まで手がけた公営の団地で、中山住宅地といった。昭和62年に分譲が始まり、実際に宅地化してきたのは、平成元年のころというから、これほど見事な団地の姿になったのは、それほど昔のことではない。4百以上の戸数が、忽然と現れたのである。

 この団地となった場所は、半僧原と言われ畑やブドウ園があったりしたが、多くは野原だったという。そんな場所だったから子どもたちの格好の遊び場だったともいう。「あんな場所に造って人がくるか」などという心配もあったが、順調にことは進んだようだ。時には松本のスイスなどといわれるほどで、北アルプスを望める高台にあるため、人気があったようである。この半僧原では、かつて競馬が行なわれたといい、半僧様の社が団地内の一角に置かれていて、団地の人たちの信仰のよりどころとなっている、などという話も聞いた。

 さて、写真で右前方に見えている丘陵は中山丘陵で、南斜面は広大な霊園となっている。市内の人々にもここに墓地を持っている人たちがいて、松本市民の霊園という印象がある。「中山」という地名からイメージすると、山の中という印象があるのだが、松本市中山は、美ヶ原西麓になだらかに展開する肥沃な場所であり、ほかの地域の中山とはイメージが異なる。なぜ西側に中山丘陵が独立して存在しているか、その地形の由来は知らないがおそらく断層活動に関連するものなのだろう。この山がなければ、中山から松本市内をよく望めるし、また松本市内から中山がよく見えるわけだ。その丘陵の南側にこの団地があって、団地の東側は崖となっていて、西側も牛伏川まで傾斜している。ようはこの団地が天井のような台地になっているのだが、実はこの団地の下を断層が走っている。牛伏寺断層といわれ、危険な部類に入る活断層である。おそらく造成時、あるいは分譲時に活断層を認識してここに住宅地を求めた人はほとんどいないのかもしれないが、今では住民のほとんどは認識されているはずだ。造成して売り出した松本市が、まさかの時にどういう対応をとるかは知らないが、心配な問題なのだろう。いずれにしても、この見事な地形条件の上に、これまた見事な住宅団地ができたものだと、通るたびに感心するのはわたしだけなのだろうか。北アルプスの山々、中山丘陵、そして断層上の団地群、とみごとに調和?している風景である。
コメント


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****