Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

尹良親王像

2006-11-17 08:14:36 | 歴史から学ぶ


 先日、上伊那郡中川村の桑原を通った。小渋川の谷から北へ四徳川という支流の谷が分かれるのだが、その分岐した西斜面を中心にその集落がある。山間地域にある天竜川以東のなかでも、険しい地域に家が点在している。桑原神社から四徳川のキャンプ場に続く横道は、等高線に沿っているが、左右とも山で傾斜地であるから、その道沿いに家があるなどと知らない人は気がつかない。かつての桑原分校跡の向こうに尾根が飛び出て家が見えるが、ほかはほとんど急傾斜な山である。ところがこの横道から下る道が時折あるのだが、そんな道を下ると人家があったりする。昼間でもわからないような人家だから夜通ったら、とても家を探すことなどできない。久しぶりに通ったのだが、猿が道端に姿を見せるほどだ。

 分校までの道端に道を背にして東を向いて石碑がたくさん立っている。向こうを向いているから何の碑が立っているかは解らない。車を止めて覗き込んでみると、馬頭観音や庚申さんが並んでいる。そんな中に写真の像があった。一見して天神さんなのかと思ったのだが、調べてみると違うようだ。これは尹良親王像だという。なかなか読めない字であるが、呼び方がいろいろある。わたしは「ゆきよし」と覚えているが、「これよし」とか「ただなが」「ゆきひら」などというところもあるという。南北朝時代、南朝方だった後醍醐天皇の第八皇子宗良親王は、北朝方と転戦し、隣接する大河原(現大鹿村)に長きに渡って滞在していた。その子どもと伝えられる尹良親王であるが、実在していなかった人物ともいわれ、定かではない。

 この像は尹良親王像と伝えられてはいるが、あくまでも伝承である。天保4年(1833)に像立されたもので、全国的にも尹良親王の像というものは珍しいという。
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