Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

眼下に広がる町なみ

2006-11-02 08:14:58 | 農村環境


 写真は上伊那郡飯島町日曽利(「ひっそり」という。呼び方だけ聞くとまさしく「ひっそり」)の山の田から下りてくると、正面に見える飯島の家々である。この道の先に日曽利の集落が展開されていて、その向こうには天竜川の谷がある。その向こうに飯島の町が広がるのだが、まさしく眼下に常にこうした光景があるわけだ。向こう側とこちら側の境界に天竜川の谷があるから、この両者には大きな隔たりを覚えるが、現実的にも両者には大きな違いがある。川向こうの飯島の平は、緩やかに木曽山脈の麓まで傾斜している。家々が立ち並ぶ向こうに木々が横に並んでいるが、これが段丘となっていて大きな地形の変化はそのくらいである。その段丘以外は、ほぼ一定に麓まで連続する。

 いっぽう川のこちら側は、いっきに集落に登った地形は、そのまま山の上まで急傾斜になっている。狭くとも若干の平坦地を利用して水田が点在しているが、まさしく点在であって、集団で水田が広がっている場所はない。川向こうとは大きな違いである。両者とも同じ飯島町であるが、川東にある地域はこの日曽利だけで、あとはすべて西側に位置する。もともとこの日曽利は、現在の上伊那郡中川村の旧南向村の一部だった。距離でいえば、正面に見える飯島が近かったということもあって、昭和の大合併のころ、分村して飯島に加わったわけだ。

 間に挟まれている天竜川がなければ、それほど意識はしないのだが、約百メートル低いところに流れる川が作り出したこの大きな谷は、明らかに両者の間に境界をもたらせている。その境界は現実的な境界でもあるが、意識的な境界ともなる。眼下にこんな風景を毎日見ていれば、そこに住む人たちは何を思うのだろう。と、そんなことを思ったりする。わたしの生家には、天竜川の支流である与田切川をはさんで、これと同じような風景を見せてくれる田んぼがある。その田んぼに子どものころ訪れると、川向こうの飯島の町がまさしく眼下に見えて、こちらとの空間が違うことを教えてくれていた。向こう側とは違うのだと。とくに当時は分校に通っていて、川向こうの本校のある地域とは世界が違ったのだ。「マチとムラ」そんな対比であったように感じる。このごろひさしぶりにそんな風景を見て、昔のことを思い出したのだが、その近くには家があって、その家の人たちは、毎日のようにこんな谷を挟んだ眼下の町なみを眺めているわけだ。「何を思っているんだろー」、そんなことを思うのだ。この大きな谷が、いったいそこに暮らす人々にはどう見えているのだろうと・・・。
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