Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

食と季節感

2006-11-03 09:24:55 | ひとから学ぶ


 「ため池の環境は繊細である」で触れたように、この日の作業を「ツボとり」という。ツボを拾うことが目的のような名前なのだが、ため池を干して管理して、その副産物としてのツボなのだ。そして、ツボだけではなく、モロコやメダカも副産物となる。結婚するまではそんなものを食べた経験はなかったのだが、結婚後は毎年そんな副産物をいただくことが楽しみとなった。わたしはそれほど酒には強くないが、酒のつまみにこのツボはよくあう。せいぜい缶ビール一本でも、このつまみを前にすると、まさしく至福の時となる。とはいえ、写真のように煮付けるまでには手間がかかる。一つずつたわしで洗い、尖っている尻尾の部分をはさみで切断する。それからようやく煮付けるわけだが、ちょうど山椒の実がつくこのころ、山椒を匂い消しに入れる。山椒の風味が出るとともに、泥臭さはなくなる。それでもあまり好きではない人は多いかもしれない。息子も小さいころはけっこう食べたのだが、最近は食卓に並んでも食べるのはわたしだけだ。妻も息子も好みではない。とくに息子に至ってはまったく食べなくなった。

 今年は妻が味噌汁に入れてみるといって具のかわりに入れてみた。聞くところによれば、昔は味噌汁に入れて食べたことがある、という経験談を語る人が多いようだ。しかし、妻の家では味噌汁に入れることはなかった。やはり煮付けた方が美味しいからだ。妻は煮付けるときと同じように山椒の葉を入れて泥臭さ消そうと試みたが、確かに臭みはないが山椒の風味が強すぎて味噌汁らしさがなくなってしまった。ツボそのものは煮付けるよりは泥っぽくなくて見た目はよくなるのだが、実際に食べるとなんともいえない。息子に「シジミが入っていると思って汁だけでも飲んだら・・・」というが、一口飲んだだけで「もういい」と飲まなかった。結局息子の味噌汁もわたしが飲むことになったのだが、まずくはないが、やはり煮付けたものの方が美味しい。

 ツボの隣に盛り付けたのはモロコである。とはいえ、分別するわけではないから、メダカも混ざっている。これもまた煮付け方なのだろうが、砂糖をたくさん使って煮付けると生くささはなくなる。もちろん酒のつまみに合うことは言うまでもない。どちらもこの時期でなくとも食べることは可能だが、やはり秋の収穫後、ため池を管理することにより得られる楽しみということに意味がある。それとともにそれが旬のころだと自然と認識しているところに、経験からくる季節感があるのだ。
コメント


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****