Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ゴミのはなし

2006-05-06 12:06:14 | 農村環境
 ポケニャンさんの「5月3日はゴミの日だそうだ」を読んでいて、ごみが捨てられている姿にご意見するほどまだまだこんな姿が実はあることを認識しなくてはならないことを思うとともに、実は昔にくらべればこんな姿は減ったということも忘れてはならない。ポケニャンさんも触れているように、崖のように見難い場所にはゴミが捨てられていることはよくある。とくにそういう風景は、山間地域に行くほどに目につく。そうしたゴミは、真新しいものも時にはあるが、だいたいが古いものであることが多い。いわゆる今のような環境問題がクローズアップされる以前の「昔の田舎」にはよくあった姿なのだ。その場所が捨てる人にとっての私有地なのか、はたまたまったくよその土地に捨てられているのか、そのへんの真偽ははっきりしない。しかし、そんなことはともかくとして、山林や崖にモノを捨てるという意識がどういうものであったかも、考えなくてはならない部分ではある。

 長野県民俗の会は、平成15、16年と共通課題として「すてる・もどす」をテーマとしていた。そのテーマの意図や平成16年に行なわれたシンポジウムでの示唆などは、同会の「長野県民俗の会会報」や「長野県民俗の会通信」にいくつもの論文が掲載されているので、それを参考にされたいが、そこで議論された、あるいは述べられた内容から次のようなことを思うわけだ。

 ①崖もわざわざ人が見ようとする場所ではないから、対岸から見る意外はゴミが捨てられていることに気がつかない。そういう意味では崖ではなくとも、「竹藪」のように藪の中はまさしく人目にはつかない場所である。竹藪について巻山圭一氏は、「野と藪のトポグラフィー」において飯島町七久保における髪の毛や爪を竹やぶに捨てる事例から、「捨てる場所に困るようなものを竹やぶに捨てる行為から、仕方なく捨てる空間として竹やぶがあったのではないか」と述べた。この場合の仕方なく捨てるモノは髪の毛や爪といった人にとってはどこか命のあるようなモノであって、一般ゴミとは異なる。しかし、わたしの記憶からも「竹やぶにはゴミ」という印象がどこかにある。見え難い場所である「崖」と竹やぶが同一なものとは思えないが、見えない場所に捨てる行為には変わりはないように思うのだ。

 ②冒頭でも述べたがゴミの定義だ。ゴミというものが今では当たり前のように日常排出され、加えてゴミ問題は日常の課題として頭を悩ませたりする。しかし、かつても同様であったわけでない。「捨てる」モノがどれだけあったのか、ということに絡んでくる。焼却ゴミとして排出する袋の中をのぞいてみれば、紙や生ゴミ、もちろん今ではそうした袋の中に自らの体の排出物である髪の毛や爪も加わる。生ゴミの多くは土に返された。かつては紙をそれほど使わなかった。少量の紙だから家で焼いた。ビニール類に至っては、現代のゴミといっても差し支えないだろう。かつて多く使われた缶詰などの缶は、確かにそこらの山に捨てられた。その原点には土に還るという意識があった。そう考えてみると、山へ捨てるという行為には、環境悪化に至るという意識はなく、土に還すのだという意識があったように思う。しだいにゴミが多用になって、もちろん土に還らないゴミが混ざってきた。しかし、それまでの意識を変えなければ、結局それまでどおりにゴミは捨てられていく。そんな流れであったように思う。ただし、実際はいつの時点かにはわかっていたのにもかかわらず、知っていてゴミを継続的に捨て続けたのだろう。その境がどこなのかということになるのだろうから、この先は本人の善意にかかわる。

 以上のような経過があったからこそ、かつて多かった田舎のゴミ捨て場が、今は減少したわけだ。結局モラルとしての意識と、そうはいっても捨てる場所(環境)がある田舎という空間との狭間で現実は起きている、そんな感じなのだろう。もちろん、田舎の人が捨てていると一概にはいえない。マチからやってきて捨てる人も皆無とはいえない。再生されるものは再生するという意識が高まるとともに、「ゴミ」というものはなくなっていくのだろう。世の中が環境を重視してそんな循環型社会を構築しよう、などという意識が高まるのだろうが、それは、今に始まったことではなく、「元来ゴミなどというものはなかった」というところを気づかなくてはならない。

コメント    この記事についてブログを書く
« 新聞をめくる | トップ | 島田娘 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

農村環境」カテゴリの最新記事