痙攣予防のためにできること。耐久レースで気持ちよく完走するために。
るみおかんさん、八田さんのブログに触発されたので、ココにまとめます。
発汗で出て行くナトリウム濃度は0.33%。
もともと体内に備わったナトリウム濃度は0.9%で、過不足がある場合に、身体は0.9%を維持しようとナトリウムや水を欲する。
失う食塩水(汗)=補う食塩水のバランスが崩れなければ低ナトリウム症にはならないはず。
実体験から考える。
先日の黒姫トレイルレースで痙攣が起きたのは、携帯していた食塩水(薄いポカリ)がなくなったのが原因かもしれない。
私が携帯していたのは、ポカリの粉一袋520mgのナトリウムを1500mlの水で割った食塩水。濃度は0.34%。
(ちなみに経口補水液OS1は0.29%)
この数字は、汗から失うナトリウム濃度とほぼ同じ!
この食塩水を携帯して補給出来ていた時は、身体に変化はなく順調だった。
喉が渇いたと感じた時だけ0.33%の食塩水を補給する。体内のナトリウム濃度が0.9%に維持し続けられれば、痙攣等の症状が発生しないということになる。
食塩水がない場合には、塩そのもの!
塩をゴクンと飲めば良いけれど、摂り過ぎると体内のナトリウム濃度が高くなり過ぎて、今度は水を執拗に欲するようになる。身体が異常をきたし、パフォーマンスも落ちるだろう。
もしレース中、痙攣した後には、時すでに遅し!回復に時間がかかる。
実際に、レースでそうだったように、固形物の塩タブレットでは20分ほど経過しないと吸収、症状が回復しなかった。
(食塩水ならもっと早く回復するかもしれないが)
これらのことから考えて、長距離の耐久レースを楽しくフィニッシュするために、
1、身体の声に従って、食塩水(適正ナトリウム濃度水)を摂りたい時にだけ摂る
2、ナトリウム補給の計画を立てて準備する
3、身体に水をかけ続ける(気化熱が身体の熱を奪ってくれる)
<了>
るみおかんさん、八田さんのブログに触発されたので、ココにまとめます。
発汗で出て行くナトリウム濃度は0.33%。
もともと体内に備わったナトリウム濃度は0.9%で、過不足がある場合に、身体は0.9%を維持しようとナトリウムや水を欲する。
失う食塩水(汗)=補う食塩水のバランスが崩れなければ低ナトリウム症にはならないはず。
実体験から考える。
先日の黒姫トレイルレースで痙攣が起きたのは、携帯していた食塩水(薄いポカリ)がなくなったのが原因かもしれない。
私が携帯していたのは、ポカリの粉一袋520mgのナトリウムを1500mlの水で割った食塩水。濃度は0.34%。
(ちなみに経口補水液OS1は0.29%)
この数字は、汗から失うナトリウム濃度とほぼ同じ!
この食塩水を携帯して補給出来ていた時は、身体に変化はなく順調だった。
喉が渇いたと感じた時だけ0.33%の食塩水を補給する。体内のナトリウム濃度が0.9%に維持し続けられれば、痙攣等の症状が発生しないということになる。
食塩水がない場合には、塩そのもの!
塩をゴクンと飲めば良いけれど、摂り過ぎると体内のナトリウム濃度が高くなり過ぎて、今度は水を執拗に欲するようになる。身体が異常をきたし、パフォーマンスも落ちるだろう。
もしレース中、痙攣した後には、時すでに遅し!回復に時間がかかる。
実際に、レースでそうだったように、固形物の塩タブレットでは20分ほど経過しないと吸収、症状が回復しなかった。
(食塩水ならもっと早く回復するかもしれないが)
これらのことから考えて、長距離の耐久レースを楽しくフィニッシュするために、
1、身体の声に従って、食塩水(適正ナトリウム濃度水)を摂りたい時にだけ摂る
2、ナトリウム補給の計画を立てて準備する
3、身体に水をかけ続ける(気化熱が身体の熱を奪ってくれる)
<了>
「スラムダンク世代」必読のよいお話です^^↓
「負けたことがある」というのが、いつか大きな財産になる…
『スラムダンク』の山王工業高校は、実在した!?
2015/07/07 YAHOOニュースより抜粋
--------------------------------------------
今年も夏がやってきた。3年連続3冠(高校総体/インターハイ、国体、全国高校選抜/ウィンターカップ)を成し遂げた能代工業高校を率いた田臥勇太は、この季節が来ると思い出す。「あの夏、もうコテンパンにやられましたね」。無敗を誇った『必勝不敗』の軍団が連戦連敗を喫した、あの夏の、夜の憂鬱(ゆううつ)がよみがえる――。
秋田県北部、海沿いの町――能代。能代工業バスケ部に入部直後、神奈川県横浜市からやって来た、まだ少しほほのふっくらした少年はつぶやいた。
「高校の練習って、こんなに厳しいのか」
繰り返されるフットワーク練習、いつ終わるやも知れぬシャトルラン。
「どんなにキツくてもやるしかない。この練習を代々、先輩たちもやってきたんだ」
もちろん当時の田臥勇太は、その練習の先に、史上初となる3年連続高校3冠を獲得することも、自身が日本人初にして唯一のNBAプレーヤーになることも知る由(よし)はない。そもそも、コートサイドの加藤三彦監督が叫んでいる秋田弁の意味すら知らない。
「こいこさ!」
フリーズする田臥に、チームメイトが慌てて駆け寄って教えた。
「早く行け! 監督が『こっちに来い!』って言ってるぞ!」
夏休みに入り、練習は午前・午後の2部練習となった。午前は9時から2時間~3時間。午後は3時から再び2時間~3時間の練習を部員はこなした。
「夏の練習が一番キツかったですね。2部練なんで、単純に時間がいつもの倍。当然、フットワークもいつもの倍。能代の夏がさほど暑くないのが、せめてもの救いでした。そのかわり、冬はものすごい寒さでしたけど」
午前中は個々のスキルアップや体力アップを主目的とした練習、午後は戦術寄りの練習が多かった。
キツかったメニューのひとつが、3選手でパスを交換しながらコートを往復するスリーメンだ。何往復するかは、監督が黙ったまま差し出す指の本数が合図となる。
「3往復くらいまでは想定内なんですけど、先生の指が4本、5本となると、内心もう、『マジか!?』って。もちろん、驚いた顔なんてできませんでしたけどね」
ただ、「もっとキツかったのがシャトルラン」と田臥は続ける。
「ボールを使った練習は、やっぱりバスケなんで、なんだかんだいって楽しめるんです。でも、ボールを使わないシャトルランは……」
フロアを5往復。真夏の体育館に、バスケットシューズがこすれる音だけが響き続ける。
しかし、中には巧妙に、ライン手前でターンをする上級生もいたという。
「サボるのがうまい人がいるんです。下級生はちゃんとラインを踏まないと、後でとんでもないことになるんですけどね(笑)。基本的には小さい選手のほうが速いんで、大きな選手でズルをする選手がいたりすると、『なんで大きい選手より遅いんだ!』って先生が怒り出すんです。だから、下級生はもう死に物狂いで走ってましたね」
では、はたして上級生となった田臥は、ちゃんとラインを踏んでいたのか?
「僕は遅くてもちゃんとラインを踏んでましたね。『ちゃんと踏んでるんだから遅いんだよ』って開き直るタイプでしたから(笑)」
当時、「全国優勝するよりも、能代のレギュラーになることのほうが難しい」と言われた時代。ただ、田臥には遠征で他校を訪ねた記憶がない。そのかわり、加藤監督の言葉を今も鮮明に覚えている。
「『俺たちが行くんじゃない。他のチームが来たくなるのが、能代工業だ』ってよく言われました。選手にも、そういうプライドがありましたね。だから、夏だからといって遠征することはなかったですし、近くに寮があったので、『おまえたちは毎日が合宿のようなものだ』って言われてました」
もちろん、厳しい練習に耐えられず、逃げ出す部員もいた。
「学年にひとりはいましたね。僕らの代もいました。でも、逃げたら必ずバレるんです」
能代駅のあるJR五能線は終電が早いため、夜中に逃げ出すことはできない。授業中に逃げ出せば、すぐに教師に気づかれてしまう。必然的に、逃げるなら一般生徒に混じって下校時刻に、ということになる。しかし、そこはバスケの町・能代。「駅にデッカイのがいたぞ。この時間にいるのはおかしいぞ」と、すぐに学校に連絡が入る。結果、逃亡者は能代駅の構内、もしくはとなりの駅でマネージャーに捕まる。
「寮にみんなが集まって、逃げ出したヤツを囲んで、『もうちょっとがんばってみようぜ』って励まし合いましたね。僕ですか? 逃げたいって思ったことはありますけど、逃げる勇気がなくて(笑)」
能代市民の多くがバスケ部のファンだった。ほとんど交通量のない交差点だったとしても、信号無視をするバスケ部員がいると、すぐさま学校に連絡が来た。「強いのは当たり前。部員は人としても立派であってほしい」。その期待を背負うことが、能代工業のバスケット部員になるということだった。
代々語り継がれる都市伝説があるという。
「(加藤)三彦先生も能代のOBなんですが、先生が高校生だったころ、全国大会で負けた後、店に行くと商品を売ってくれなかったそうです。『買い物をする暇があるなら練習しろ』と。反対に、僕たちが全国大会を連覇しているとき、食堂でラーメンを頼んだら、一緒にカツカレーが出てきたりしました。『これも食べな』って。いち高校のバスケ部に、これほど興味を持ってもらえる町なんて、能代以外、全国のどこにもにないだろうなって。町全体が能代工業バスケ部を応援してくれていた。なんて素晴らしい環境だって思いながら、3年間を過ごしましたね」
ただ、夏休みが始まり1週間が過ぎたころ、田臥は最も厳しい練習がスリーメンでもシャトルランでもないことを知ることになる――。能代工業から巣立ち、全国に散ったOBの面々が、続々と体育館に戻ってきた。
「最初は大学生、その後に実業団でプレーしているOBが来てくれるんです。しかも、OBたちはチームメイトを誘って来てくれる」
インターハイ直前の最終調整として、まさに大学選抜、そして日本代表といっても過言ではない面々とのOB戦が行なわれた。しかも、夏の夜の一大イベントとして、この試合は大勢の市民で客席が埋まる。
田臥は1年生のとき、OB戦でマッチアップした選手を強烈に覚えている。長谷川誠――。能代工業OBで、1994年、松下電器に入社した1年目にチームをリーグ優勝へと導き、新人王とMVPを同時受賞。1995年、福岡ユニバーシアードでアレン・アイバーソン(元フィラデルフィア・76ersなど)率いるアメリカ代表にこそ敗れたものの、日本を準優勝に導き、自身は大会得点王に輝いた名選手だ。高校1年生の田臥がマッチアップしたのは、長谷川の全盛期といっても過言ではない1996年のこと。
「どれだけ押してもビクともしない、岩のようでした。でも、少しでも弱気になったら客席からブーイングが起こるし、先生にも怒られる」
能代市民で埋まる体育館に、監督の「田臥、こいこさ!」の怒声が響いた。
「相手が誰であろうと、勝たないと怒られる。そこが能代のすごいところ。気持ちで負けるなんて話にならない。『だから、おまえと長谷川は違うんだ!』って何度も怒られましたね。本当に試合をするのが嫌でしたね」
あの夏の、夜の憂鬱――。連夜の敗戦が、田臥たちを強くした。まさに、漫画『スラムダンク』の山王工業、堂本監督の名言のように。
「負けたことがある、というのが、いつか大きな財産になる」
田臥は言う。
「敵わないし、コテンパンにされた。ただ、あのOB戦で負けたこと、稀(まれ)に好勝負できたり、もっと稀に勝てたことが自信につながった。インターハイやウィンターカップ、高校生同士の試合で負けるはずがないって自信を持って臨めたんです」
最後に聞いた。あの夏の練習メニュー、今、もう一度やれと言われたらやりますか?
「どうしても、と言うなら……。もちろん、嫌ですけどね。ただ、あのときよりも、もう少しシャトルランでうまくごまかせるようになっているかもしれないです」
そう言って笑ったが、おそらく、田臥は今もラインを踏むはずだ。あの真夏の一歩が、今の自分の土台を築いたことを知っている。なにより、サボろうとした瞬間、その脳裏に響く「こいこさ!」の秋田弁が、田臥勇太にラインを踏まないことを許さないはずだ。
【profile】
■田臥勇太(たぶせ・ゆうた)
1980年10月5日生まれ、神奈川県横浜市出身。リンク栃木ブレックス所属。バスケットボールの名門高校・秋田県立能代工業に入学し、3年連続でインターハイ・国体・ウィンターカップの3大タイトルを制して史上初の「9冠」を達成。2004年、フェニックス・サンズと契約し、日本人初のNBAプレーヤーとなる。2008年よりリンク栃木ブレックスでプレー。ポイントガード。173センチ・75キロ。
.水野光博●構成・文 text by Mizuno Mitsuhiro
「負けたことがある」というのが、いつか大きな財産になる…
『スラムダンク』の山王工業高校は、実在した!?
2015/07/07 YAHOOニュースより抜粋
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今年も夏がやってきた。3年連続3冠(高校総体/インターハイ、国体、全国高校選抜/ウィンターカップ)を成し遂げた能代工業高校を率いた田臥勇太は、この季節が来ると思い出す。「あの夏、もうコテンパンにやられましたね」。無敗を誇った『必勝不敗』の軍団が連戦連敗を喫した、あの夏の、夜の憂鬱(ゆううつ)がよみがえる――。
秋田県北部、海沿いの町――能代。能代工業バスケ部に入部直後、神奈川県横浜市からやって来た、まだ少しほほのふっくらした少年はつぶやいた。
「高校の練習って、こんなに厳しいのか」
繰り返されるフットワーク練習、いつ終わるやも知れぬシャトルラン。
「どんなにキツくてもやるしかない。この練習を代々、先輩たちもやってきたんだ」
もちろん当時の田臥勇太は、その練習の先に、史上初となる3年連続高校3冠を獲得することも、自身が日本人初にして唯一のNBAプレーヤーになることも知る由(よし)はない。そもそも、コートサイドの加藤三彦監督が叫んでいる秋田弁の意味すら知らない。
「こいこさ!」
フリーズする田臥に、チームメイトが慌てて駆け寄って教えた。
「早く行け! 監督が『こっちに来い!』って言ってるぞ!」
夏休みに入り、練習は午前・午後の2部練習となった。午前は9時から2時間~3時間。午後は3時から再び2時間~3時間の練習を部員はこなした。
「夏の練習が一番キツかったですね。2部練なんで、単純に時間がいつもの倍。当然、フットワークもいつもの倍。能代の夏がさほど暑くないのが、せめてもの救いでした。そのかわり、冬はものすごい寒さでしたけど」
午前中は個々のスキルアップや体力アップを主目的とした練習、午後は戦術寄りの練習が多かった。
キツかったメニューのひとつが、3選手でパスを交換しながらコートを往復するスリーメンだ。何往復するかは、監督が黙ったまま差し出す指の本数が合図となる。
「3往復くらいまでは想定内なんですけど、先生の指が4本、5本となると、内心もう、『マジか!?』って。もちろん、驚いた顔なんてできませんでしたけどね」
ただ、「もっとキツかったのがシャトルラン」と田臥は続ける。
「ボールを使った練習は、やっぱりバスケなんで、なんだかんだいって楽しめるんです。でも、ボールを使わないシャトルランは……」
フロアを5往復。真夏の体育館に、バスケットシューズがこすれる音だけが響き続ける。
しかし、中には巧妙に、ライン手前でターンをする上級生もいたという。
「サボるのがうまい人がいるんです。下級生はちゃんとラインを踏まないと、後でとんでもないことになるんですけどね(笑)。基本的には小さい選手のほうが速いんで、大きな選手でズルをする選手がいたりすると、『なんで大きい選手より遅いんだ!』って先生が怒り出すんです。だから、下級生はもう死に物狂いで走ってましたね」
では、はたして上級生となった田臥は、ちゃんとラインを踏んでいたのか?
「僕は遅くてもちゃんとラインを踏んでましたね。『ちゃんと踏んでるんだから遅いんだよ』って開き直るタイプでしたから(笑)」
当時、「全国優勝するよりも、能代のレギュラーになることのほうが難しい」と言われた時代。ただ、田臥には遠征で他校を訪ねた記憶がない。そのかわり、加藤監督の言葉を今も鮮明に覚えている。
「『俺たちが行くんじゃない。他のチームが来たくなるのが、能代工業だ』ってよく言われました。選手にも、そういうプライドがありましたね。だから、夏だからといって遠征することはなかったですし、近くに寮があったので、『おまえたちは毎日が合宿のようなものだ』って言われてました」
もちろん、厳しい練習に耐えられず、逃げ出す部員もいた。
「学年にひとりはいましたね。僕らの代もいました。でも、逃げたら必ずバレるんです」
能代駅のあるJR五能線は終電が早いため、夜中に逃げ出すことはできない。授業中に逃げ出せば、すぐに教師に気づかれてしまう。必然的に、逃げるなら一般生徒に混じって下校時刻に、ということになる。しかし、そこはバスケの町・能代。「駅にデッカイのがいたぞ。この時間にいるのはおかしいぞ」と、すぐに学校に連絡が入る。結果、逃亡者は能代駅の構内、もしくはとなりの駅でマネージャーに捕まる。
「寮にみんなが集まって、逃げ出したヤツを囲んで、『もうちょっとがんばってみようぜ』って励まし合いましたね。僕ですか? 逃げたいって思ったことはありますけど、逃げる勇気がなくて(笑)」
能代市民の多くがバスケ部のファンだった。ほとんど交通量のない交差点だったとしても、信号無視をするバスケ部員がいると、すぐさま学校に連絡が来た。「強いのは当たり前。部員は人としても立派であってほしい」。その期待を背負うことが、能代工業のバスケット部員になるということだった。
代々語り継がれる都市伝説があるという。
「(加藤)三彦先生も能代のOBなんですが、先生が高校生だったころ、全国大会で負けた後、店に行くと商品を売ってくれなかったそうです。『買い物をする暇があるなら練習しろ』と。反対に、僕たちが全国大会を連覇しているとき、食堂でラーメンを頼んだら、一緒にカツカレーが出てきたりしました。『これも食べな』って。いち高校のバスケ部に、これほど興味を持ってもらえる町なんて、能代以外、全国のどこにもにないだろうなって。町全体が能代工業バスケ部を応援してくれていた。なんて素晴らしい環境だって思いながら、3年間を過ごしましたね」
ただ、夏休みが始まり1週間が過ぎたころ、田臥は最も厳しい練習がスリーメンでもシャトルランでもないことを知ることになる――。能代工業から巣立ち、全国に散ったOBの面々が、続々と体育館に戻ってきた。
「最初は大学生、その後に実業団でプレーしているOBが来てくれるんです。しかも、OBたちはチームメイトを誘って来てくれる」
インターハイ直前の最終調整として、まさに大学選抜、そして日本代表といっても過言ではない面々とのOB戦が行なわれた。しかも、夏の夜の一大イベントとして、この試合は大勢の市民で客席が埋まる。
田臥は1年生のとき、OB戦でマッチアップした選手を強烈に覚えている。長谷川誠――。能代工業OBで、1994年、松下電器に入社した1年目にチームをリーグ優勝へと導き、新人王とMVPを同時受賞。1995年、福岡ユニバーシアードでアレン・アイバーソン(元フィラデルフィア・76ersなど)率いるアメリカ代表にこそ敗れたものの、日本を準優勝に導き、自身は大会得点王に輝いた名選手だ。高校1年生の田臥がマッチアップしたのは、長谷川の全盛期といっても過言ではない1996年のこと。
「どれだけ押してもビクともしない、岩のようでした。でも、少しでも弱気になったら客席からブーイングが起こるし、先生にも怒られる」
能代市民で埋まる体育館に、監督の「田臥、こいこさ!」の怒声が響いた。
「相手が誰であろうと、勝たないと怒られる。そこが能代のすごいところ。気持ちで負けるなんて話にならない。『だから、おまえと長谷川は違うんだ!』って何度も怒られましたね。本当に試合をするのが嫌でしたね」
あの夏の、夜の憂鬱――。連夜の敗戦が、田臥たちを強くした。まさに、漫画『スラムダンク』の山王工業、堂本監督の名言のように。
「負けたことがある、というのが、いつか大きな財産になる」
田臥は言う。
「敵わないし、コテンパンにされた。ただ、あのOB戦で負けたこと、稀(まれ)に好勝負できたり、もっと稀に勝てたことが自信につながった。インターハイやウィンターカップ、高校生同士の試合で負けるはずがないって自信を持って臨めたんです」
最後に聞いた。あの夏の練習メニュー、今、もう一度やれと言われたらやりますか?
「どうしても、と言うなら……。もちろん、嫌ですけどね。ただ、あのときよりも、もう少しシャトルランでうまくごまかせるようになっているかもしれないです」
そう言って笑ったが、おそらく、田臥は今もラインを踏むはずだ。あの真夏の一歩が、今の自分の土台を築いたことを知っている。なにより、サボろうとした瞬間、その脳裏に響く「こいこさ!」の秋田弁が、田臥勇太にラインを踏まないことを許さないはずだ。
【profile】
■田臥勇太(たぶせ・ゆうた)
1980年10月5日生まれ、神奈川県横浜市出身。リンク栃木ブレックス所属。バスケットボールの名門高校・秋田県立能代工業に入学し、3年連続でインターハイ・国体・ウィンターカップの3大タイトルを制して史上初の「9冠」を達成。2004年、フェニックス・サンズと契約し、日本人初のNBAプレーヤーとなる。2008年よりリンク栃木ブレックスでプレー。ポイントガード。173センチ・75キロ。
.水野光博●構成・文 text by Mizuno Mitsuhiro
家庭Serviceスーパーポイントが全く貯まらないので
いつ行くか分からないが、名峰 飯豊連峰トレラン縦走に向けて。
走りながら給水できるアイテムを購入。ネイサン・ハイドレーション3リットル。
&
2015黒姫トレイルランの装備
いつ行くか分からないが、名峰 飯豊連峰トレラン縦走に向けて。
走りながら給水できるアイテムを購入。ネイサン・ハイドレーション3リットル。
&
2015黒姫トレイルランの装備
フィニッシュ後。
メダリスト(アミノ酸&ビタミン)を飲み干して、着替えて、荷物を整理して。
13KMをスタートした2人を待つ。
FINISHゲート最前列で、カメラを待ち構えること30分。
まずはHさんがフィニッシュ。十数分後にA田さんがつづく。
フィニッシュ後に、達成感の余韻に浸っている様子のお二人。
おめでとうございました!!!
その他大会の模様はコチラから
無料の「サバ缶入り竹の子の味噌汁」をすすり、ひと段落してから、宿に向かった。
今回の宿は、ペンション「スターボード」さん。
ログハウス造りの立派なペンションでした。
部屋は、個別トイレやユニットバスがついていて、必要十分。
エアコンやアメニティも完備。
広くて高さのある屋根裏部屋の雰囲気が、たいへん気に入りました。
3人で一緒に貸切露天風呂の石風呂に入り、身体の汚れと疲れを取る。
ほんとは、身体が冷えてきて、すぐに、宿の風呂に入りたかった俺。
30分近く入った風呂を出てから3人でビール飲んで、祝杯を上げる。
18時になると、BBQ会場への送迎車が出発。
宿の車で5分。300人入る会場に到着。
楽しいBBQパーティ開始。
---------------------------------------------------------------
(続く)
焼きたての肉や野菜が振る舞われ、テーブルにはビュッフェ形式の御馳走が並ぶ。
缶ビール、缶チューハイは飲み放題。
名古屋、静岡、東京、新潟市の方々と合席させていただき、親睦・交流し、楽しい宴となりました。
トレイル談義、マラソン談義に花が咲き、情報を交換し。
余興のくじ引き大会は、何も当たらず。。
開始2時間後に、恒例のキャンプ・ファイヤー。
月のきれいな夜
黒姫山の麓。
星空の下で、若人、ナイスミドルな方達と輪になり、マイム・マイムを踊る。
楽しい1日となりました。
翌朝。爽やかなSUNNY DAY!
朝食は、素材が生きていて一品一品、すごくおいしかった。
手作りジャム&手作りパンやハムエッグ、モーニングコーヒー。イチイチ美味しい。
朝食後、貸切露天風呂のジャグジーバスに。
天気がよくて、日の光がまぶしく、鳥のさえずりが聴こえ、解放感が半端でない。
心も体も癒され、リラックスできました。
青空の下、湯船で1時間ほど談笑。
いい思い出となりました。
-------------------------------------------------------
(続く)
チェックアウトを済ませて、レースに参加したA田さん知り合いの「東京のグループ」に会いに。
その前に、道の駅に寄り道。家族の土産を購入。(これを忘れると大変なことに。。)
野尻湖湖畔の高原キャンプ場に向かいます。
少し道に迷いながら、たどり着いた先には、東京の男女8人くらいの若人。
夜中3時まで騒ぎ、テントで夜を明かしたとのこと。
俗に「ファスト・パック」っていわれる携帯できる極小テントを持参して、食事や睡眠をとるスタイル。
高台にある緑に囲まれたキャンプ場は、下方に野尻湖が見える、最高のロケーション。
こういうのって、いい感じですワ。。
終始、鳥のさえずりも、カエルの鳴き声も、かき消したA田さんの軽妙トークが炸裂(笑
フリスビーしてーの、話の輪を囲でーの、1時間少々滞在した後、締めのランチへと向かいました。
締めはこれだ!
じゃじゃーーーん。
定番中の定番。
妙高新井の「ニューミサ」の味噌ラーメン※。
※「ニュー・ミサ」は初めから大量のにんにくが入っていて、「ミサ」は、自分で調節できるようにオニオンの容器が別にあるんですね。
絶品ラーメンで満腹になった後で、高速に乗る前に、少々寄り道。
アウトドア・ショップ「WEST」上越店さんに寄ります。
ハイエンドなアウトドア用品がたくさん。
あれも欲しい、これも欲しい、全部ほしいと思わせる素敵なお店でした。
子供たちが、ハンモックに揺られたり、壁に上ったり遊んでました。
店内をうろつくだけで、商品を見ているだけでワクワクするお店でした。
私は、マウンテン・ハードウエアの山ズボンを購入。(山田琢也さんが当日履いていたヤツを3割引でGET!)
安全運転で帰路へ。2日間を通して、怪我なく無事に帰宅できました。
大会スタッフの皆さんに感謝!
大会を共にしたお二人に感謝!!楽しい旅路となりました。
送り出してくれた家族に感謝!!!
<了>
メダリスト(アミノ酸&ビタミン)を飲み干して、着替えて、荷物を整理して。
13KMをスタートした2人を待つ。
FINISHゲート最前列で、カメラを待ち構えること30分。
まずはHさんがフィニッシュ。十数分後にA田さんがつづく。
フィニッシュ後に、達成感の余韻に浸っている様子のお二人。
おめでとうございました!!!
その他大会の模様はコチラから
無料の「サバ缶入り竹の子の味噌汁」をすすり、ひと段落してから、宿に向かった。
今回の宿は、ペンション「スターボード」さん。
ログハウス造りの立派なペンションでした。
部屋は、個別トイレやユニットバスがついていて、必要十分。
エアコンやアメニティも完備。
広くて高さのある屋根裏部屋の雰囲気が、たいへん気に入りました。
3人で一緒に貸切露天風呂の石風呂に入り、身体の汚れと疲れを取る。
ほんとは、身体が冷えてきて、すぐに、宿の風呂に入りたかった俺。
30分近く入った風呂を出てから3人でビール飲んで、祝杯を上げる。
18時になると、BBQ会場への送迎車が出発。
宿の車で5分。300人入る会場に到着。
楽しいBBQパーティ開始。
---------------------------------------------------------------
(続く)
焼きたての肉や野菜が振る舞われ、テーブルにはビュッフェ形式の御馳走が並ぶ。
缶ビール、缶チューハイは飲み放題。
名古屋、静岡、東京、新潟市の方々と合席させていただき、親睦・交流し、楽しい宴となりました。
トレイル談義、マラソン談義に花が咲き、情報を交換し。
余興のくじ引き大会は、何も当たらず。。
開始2時間後に、恒例のキャンプ・ファイヤー。
月のきれいな夜
黒姫山の麓。
星空の下で、若人、ナイスミドルな方達と輪になり、マイム・マイムを踊る。
楽しい1日となりました。
翌朝。爽やかなSUNNY DAY!
朝食は、素材が生きていて一品一品、すごくおいしかった。
手作りジャム&手作りパンやハムエッグ、モーニングコーヒー。イチイチ美味しい。
朝食後、貸切露天風呂のジャグジーバスに。
天気がよくて、日の光がまぶしく、鳥のさえずりが聴こえ、解放感が半端でない。
心も体も癒され、リラックスできました。
青空の下、湯船で1時間ほど談笑。
いい思い出となりました。
-------------------------------------------------------
(続く)
チェックアウトを済ませて、レースに参加したA田さん知り合いの「東京のグループ」に会いに。
その前に、道の駅に寄り道。家族の土産を購入。(これを忘れると大変なことに。。)
野尻湖湖畔の高原キャンプ場に向かいます。
少し道に迷いながら、たどり着いた先には、東京の男女8人くらいの若人。
夜中3時まで騒ぎ、テントで夜を明かしたとのこと。
俗に「ファスト・パック」っていわれる携帯できる極小テントを持参して、食事や睡眠をとるスタイル。
高台にある緑に囲まれたキャンプ場は、下方に野尻湖が見える、最高のロケーション。
こういうのって、いい感じですワ。。
終始、鳥のさえずりも、カエルの鳴き声も、かき消したA田さんの軽妙トークが炸裂(笑
フリスビーしてーの、話の輪を囲でーの、1時間少々滞在した後、締めのランチへと向かいました。
締めはこれだ!
じゃじゃーーーん。
定番中の定番。
妙高新井の「ニューミサ」の味噌ラーメン※。
※「ニュー・ミサ」は初めから大量のにんにくが入っていて、「ミサ」は、自分で調節できるようにオニオンの容器が別にあるんですね。
絶品ラーメンで満腹になった後で、高速に乗る前に、少々寄り道。
アウトドア・ショップ「WEST」上越店さんに寄ります。
ハイエンドなアウトドア用品がたくさん。
あれも欲しい、これも欲しい、全部ほしいと思わせる素敵なお店でした。
子供たちが、ハンモックに揺られたり、壁に上ったり遊んでました。
店内をうろつくだけで、商品を見ているだけでワクワクするお店でした。
私は、マウンテン・ハードウエアの山ズボンを購入。(山田琢也さんが当日履いていたヤツを3割引でGET!)
安全運転で帰路へ。2日間を通して、怪我なく無事に帰宅できました。
大会スタッフの皆さんに感謝!
大会を共にしたお二人に感謝!!楽しい旅路となりました。
送り出してくれた家族に感謝!!!
<了>
“ROCKIN’ BEAR” モントレイル黒姫トレイルランニングレース
と き 2015年6月27日(土)
ところ 長野県上水内郡信濃町
距離 公称36km(実距離37km) 獲得標高差1,250m
天候 雲(濃霧)、気温22度、コース状況 悪路(前日雨のため)
(体調管理と練習)
体重65.0kg 安静時脈拍 41 体脂肪12.3%
2日前からカフェインアウト(結果:前夜、寝られた)
3日前から夜だけカーボアウト(結果:体重1kg落ちた)
2ヶ月前からトレイル練習開始。(結果:櫛形山2往復4回、800mインターバル15本5回、体幹トレ)
(当日日程)
今回は、家族抜きでH先輩とA田さん同伴。
6:00 H邸から出発。運転が疲れると悪いというので、Hさんに運転を代わってもらい。
9:00 新潟市でA田さんをピックアップして、休憩入れて会場到着9時。受付、W-アップ
10:00 レースブリーフィングでは、実際の距離は、37キロ近くあると説明。。
10:30 スタート
13:31 ゴール
(RACE PLAN)
ペースを一定に、じわりじわりと体脂肪を燃やして、ジワジワ順位を上げる。
(補給計画・補給食とタイミング)
・ハイポトニック650ml(随時)※1リットル用ポカリ粉末を1.5リットルで溶かした
・ウイダー180ml(スタート30分前)
・ZEN虎 3錠(スタート30分前)
・塩タブレット×1(スタート1時間後)
・ウイダー180ml(行きの激坂踏破後)
・ショッツ×1(スタート2時間後)
・ツムラ芍薬甘草湯×1(スタート2時間後)
・塩タブレット×1(スタート2時間後)
・ウイダー180ml(スタート2時間半)
・塩タブレット×1(スタート3時間後)
・メダリストを溶かした水500ml(レース後)
(装備)
・シューズ モントレイル・ログフライ
・ボトルホルダー ネイサン・エリート1(ゼリーはベルト部に養生テープで張り付け)
・時計・鈴・車のカギ
・(膝とすね毛そり)膝にニューハレ 疲労予防に。
・キャップ(ミズノ) 枝が頭に刺さるかもと説明があり。
・シャツ(アンダーアーマー) 通気性良好。
・パンツ(アシックス) ゴミはバックポケットに収納。
・靴下(ナイキ) 卸したて。
・天候曇りのため、サングラスなし。
(RACE REPORT)
スタートの号砲前。
現在日本トップの実力を持つ上田瑠偉選手をはじめ、豪華な招待選手が最前列で記念撮影。
とても華やかな雰囲気。
「いよいよだ」という感じ。
自分は、2列目に陣取り、彼らの装備を観察していた。
トレイルの世界では「36㎞」は決して長くないが、結構、エネルギージェルをたくさん携帯していた。
自分に比べると皆、体重管理されたスマートな体型だった。
65キロの体重は完全に重量級。
10秒前からカウントダウン。スタートの合図!!
スタート・ダッシュしている選手もいるが、惑わされない。
目標は、楽しいトレイルランニング。
そんなに目くじら立てて走る必要ないでしょ。
後半で苦しまないためにも、オーバー・ペースを避けたい。
(スタートから第一エイドまでの)初めの4キロは「準備運動」と捉えていた。
先は長い。焦らない。
いや、あえて急がない。
体調を確認したり、コンディションを徐々に上げていく感覚があれば十分。
招待選手「2」の渡辺千春選手の後ろについて、周りの様子を見る。
ここの区間はウォーミングアップだ。
落ち着いて。
最初の坂は、結構きつい上りだけれど、息を切らさず200m登って、気持ちよく200m下る。
ほとんどエネルギーを使わないまま、第一エイドを到着すると、すごい歓声。
H先輩とA田さんから熱いエールを頂戴し、深い森の山道へと入っていった。
(続く)
天候は曇り。気温は高くなく、湿気も感じない。
携帯した水は持ちそうだった。
森林の中は、フカフカのシングルトラック。
事前の説明どおり、走りやすいセクションがおおく、スピードの強弱をつけやすい。
足が合う選手のペースに合わせて、力みなく省エネ走法で、前に進んでいく。
そのうち、スタートダッシュで疲労した選手が前から落ちてくるが、欲を張らずに一定ペースを心がける。
次第に登りがきつくなって行き、激坂区間に突入する。
「不要不急なダッシュは絶対しない」
階段では積極的に歩く。
階段を歩く練習は、十分やったつもり。
膝に手を置いて、一歩一歩を確実に、フォームを忠実に守って上る。
頂上にたどり着く前には、前の3選手に追いついていた。
-----------------------------------------------------------------
5キロ以上はあっただろうか?
激坂を上った後には、延々と続く下りの林道が待ち構えていた。
「歩く筋肉」は疲労したけれど、「走る筋肉」はまだフレッシュな状態。
鼻歌を歌う余裕があるほど、快調に走ることができていた。
そんなに速いペースではないけれど、疾走できている。(あくまで自分のレベルですが)
ジワリジワリ体脂肪を燃やして、一定ペースで。
何度も言い聞かせて。
山に溶けて、風に溶けて、飛んでる感覚。
緑の景色が自分の後ろに跳んでいく。
いい感じ。
エネルギーが切れる前に、計画どおり補給。
数人を追い抜いて、気分は上々。
全てが順調。
そのはずだった。
ここまでは。
(続く)
下り基調の林道が終わりを迎えようとしていた。
その時だ。
なんと、行き先がない。
車両通行止めのバリケード・テープが張られ、走路が完全に塞がれている。
先を行っていた2人が立ち往生し、途方に暮れて右往左往していた。
「コースをロストしたようだ」と話しかけてきた。
・・・うっ、うそでしょ?!
何十秒後かに、また一人、後ろから合流する。
ここまできてコースアウトで棄権に・・?
絶望感が漂い始める。
ただ、4人が4人とも「⇒」を見失うはずがないので、これまで来た道は間違いないはず。
それが、私の判断だった。
「失格覚悟で、一か八か、バリケードの先を行ってみましょう!!」と、皆でテープの先を行くことに。
しばらく行くとスタッフが居て、コースミスはしていないことを確認。
どのくらいタイムをロスしたか?は、わからないけれど、
失格になる可能性が排除できて、4人とも安堵の表情に。
マジ焦ったわー。絶対絶命でした。
少しだけ、和やかなムードが流れた。
4人が一団となり協調して走っていたが、
「待てよ。あくまで、これはレースだぞ・」
自分が率先して「こっから先は、勝負に徹しましょう!!」と3人を鼓舞したら、速い人が一人、ピューと先に行ってしまった。
あれまー。。かっこつけて、言わなきゃよかったワ・。
計画通りに、ボトルのスポドリを飲みきって、ようやく(最初で)最後のエイドに到着。(第1エイドは寄らなかったので)
その前に、補給に備えて、ボトルの中は空にしておいた。
さあ、ここで予定通りに補給だ。
「スポドリくださーい。」とスタッフに元気よく伝えたら、返ってきた答えはNO.
えっ?!
「ボトル補給は水しかやれない」と。
うっ、うそでしょ。聞いてないよ。頭真っ白。補給計画ボツ。
「塩だけは・・」
とっさの判断で塩タブレットを2粒いただき。ボトルに真水だけは入れてもらう。(うーん。そこのところ、事前説明なかったよね?)
集中力が途切れかけたけれど、気を取り直して、痙攣予防にと携帯した「芍薬甘草湯」を流し込み、前の選手を追いかける。
トレイルランナーとはいっても、ロード10キロ31、2分のスピードのある選手がザラにいるんだろう。
途中で、その選手を完全に見失ってしまい、走力の差を見せつけられる。
「もともと持っている才能が違うんだわ」と開き直り、マイペースに徹する。
急激に沢に降りる箇所。
九十九折になって非常に危険な場所に到着。
ここで、滑って転んで2回ほど滑落しかけたけれど、なんとか耐えしのぐ。
急勾配の下りの丘を尻餅つきながら、駆け下りたあと、、
突然それは起きた。
ついに(想定内の)最悪の事態!!!!!!!
(続く)
起きてしまった最悪の事態。
ふくらはぎの痙攣が発生したかと思いきや、激痛に耐えきれず立ち止まってしまう。
走行不能って、やつだよな?
気持ちは慌てている反面、客観的に見れてる自分が居て、頭の中は割と冷静。
両側のふくらはぎが、針で刺されたような痛みが断続して起きている。
私の経験上、この後、復活できたレースは一度もなかった。
症状が治まるまで、しばらく歩いてみるけれど、なかなか大人しくならない。
そのうち、ゼッケン「3」HOKA所属の招待選手に抜かれてしまう。
悔しいけど、ムキになって追ったりしない。まあ、どーせ、走れない訳だし。
「そうだ、塩だ。きっと、まだまだ塩が足りないんだ。」
エイドで、もう一つ塩タブレットをもらったことを思い出し、噛み砕いた後で、一気に胃袋に流し込む。
10分後に、少しずつ痙攣が収まりだし、20分後に回復。
ここからが終盤。
最も重要なポイントに位置付けていたセクションだ。
いけるか?
結果から言うと、この先の大事な区間で、まさか、まさかのロング・スパートがキマるとは思いもしなかった。。
奇跡だった。
--------------------------------------------------------------------
最後の最後は、下り基調のフカフカ山道。
接地感、着地感が、心地よく、野鳥のさえずりや沢の水の流れる音が森林にこだましていた。
霧かかった深い森林の道を駆け抜けていると、ますます集中力が高まってくる。
いま、非日常の世界にいる。
出てよかったこの大会。
楽しかったな。
足の負担も少ないし、痙攣は再発せずに、(「3」の選手には追いつかないまでも、)このまま走ってゴールまでイケルと確信。
やったー^^気持ちよくゴールできる。
頭の中では、すでにカッコよくフィニッシュを決めていた。
(続く)
余裕のフィニッシュとなった??
いやいや、人生そんなにうまくいかない。いった試しがない。
後ろから、1人の後続ランナーの足音がどんどん近づいてきた。
のこり3キロの看板。
とうとう、クライマックスだ。がんばってここまで来たんだ。
誇らしい気持ち。
いや、違う。
すこし、ムキになってきた。
ここまで頑張って来て、抜かれたくないと思い始める。
ギアを上げて、スピードアップした。
大会前に何度もスピード練習もやってきた。
自信があった。
残り2キロの看板。
選手が背後に、まだ付いてくる。
抜かれたくない気持ちがますます大きくなり。
ムキになりスピード・アアップ!!
自称キロ3分30秒くらいまで上がる。
足は万全ではないけれど、呼吸だけは、余裕があった。
残り1キロの看板。
まだまだ付いてくる。
どうしても抜かれなくない。
さらにスピード・アアアップ!!!
自称キロ3分20秒でダッシュだ!!!!。
逃げ切った。
そして感激のフィニッシュへ。
自分のレースを出し切った。走り切った。押し切った。
最悪の状況でもあきらめなかった。不運も幸運なこともあった。
観衆の集まる大音量のBGMの流れるFinishゲートを潜り抜けられて、最高に爽快な気分を味わった。
10年に1度の衝撃的爽快感・達成感。
30歳代4位。入賞まで33秒。
入賞はかなわなかったけれど、それ以上に実のある豊作レースでした^^
反省あれど、悔いなし。
これで、今年の山レースはおしまい。
また次の山シーズンを楽しみに待ちたい。
(結果)ロング36km 3時間31分10秒 総合11位 出走数577名/完走者558名/完走率96.7%
次のメイン・レースは、7月温海鼠ヶ関(海レース)、9月村上笹川流れ(海レース)
------------------------------------------------------------------------------
(自分の中で)動作規則と確認事項
ウォームアップは、走りすぎず、ほどほどに、スキルの確認程度で。
ふくらはぎの痙攣とハムストリングの攣りは別物?筋痙攣の原因は、血中の電解質濃度の低下。早め早めの電解質の補給が必要。「突発的な攣り」の原因は、鍛練不足。鍛えるしかないが、「持続的な痙攣」は適格な給水と補給で、予防できる。
ペースは一定に。カロリー消費を抑えるため、不要不急なジャンプやダッシュは行わない。ジワリジワリ体脂肪を燃やして、ジワジワ順位を上げていく。スタート後3kmは準備運動。
根や石など凸凹を最大限利用して、地面を蹴る。スタート・ブロックの代わりになる上、ゲーム性があり集中力を高める。
登りは、膝を出来るだけ曲げないように。特に、段差のある階段を登るときは、両腕を膝に当てて、膝を曲げないように。
下りは、下る角度に応じて、腰を低くして、膝を曲げて。臨機応変に気持ちよく。
下りは、下る角度に応じて、上半身を前傾に、肩の力を抜いて。腹筋と背筋を稼働して体幹の姿勢を維持。
歩く筋肉と走る筋肉は異なる。上手に使い分けて、一方を途中で使い切らないこと。
視線の先は、下だけを見ないで、前もみて、前だけを見ないで、下も見る。
常に体の変調に敏感になる。体は消耗品なので、できるだけダメージを回避する。アスファルト上は優しく着地。
天候と起伏、路面状況に応じて、足の置き場を判断。水たまり、ぬかるみ、泥の上は危険。シューズも重くなる。
鈴をつけると前の人を抜くときに、気づいてくれて道を空けてくれる。
肘は直角に、腕ふりは、縦に振らずに、横に振る。(のぼり、平地)
静的ストレッチは、筋肉バネを壊すので、準備運動は「動的ストレッチ」のみ。
のぼりと平地は、小指球で着地、拇指球で蹴る。下りは、足裏全面で着地。
速い人に抜かれても、無理に追いつこうとせず、ムキにならず、出来るだけ離されないようにマイペースで。
遅い人を抜いても、無理に差を広げようとせずに、欲張らずにマイペースで。
靴ひもは、一番上の段まで締め上げる。つま先の保護と小石の入り込み防止のため。
エイドステーションで、スポーツドリンクをもらえない場合があるので注意(笑
<了>
と き 2015年6月27日(土)
ところ 長野県上水内郡信濃町
距離 公称36km(実距離37km) 獲得標高差1,250m
天候 雲(濃霧)、気温22度、コース状況 悪路(前日雨のため)
(体調管理と練習)
体重65.0kg 安静時脈拍 41 体脂肪12.3%
2日前からカフェインアウト(結果:前夜、寝られた)
3日前から夜だけカーボアウト(結果:体重1kg落ちた)
2ヶ月前からトレイル練習開始。(結果:櫛形山2往復4回、800mインターバル15本5回、体幹トレ)
(当日日程)
今回は、家族抜きでH先輩とA田さん同伴。
6:00 H邸から出発。運転が疲れると悪いというので、Hさんに運転を代わってもらい。
9:00 新潟市でA田さんをピックアップして、休憩入れて会場到着9時。受付、W-アップ
10:00 レースブリーフィングでは、実際の距離は、37キロ近くあると説明。。
10:30 スタート
13:31 ゴール
(RACE PLAN)
ペースを一定に、じわりじわりと体脂肪を燃やして、ジワジワ順位を上げる。
(補給計画・補給食とタイミング)
・ハイポトニック650ml(随時)※1リットル用ポカリ粉末を1.5リットルで溶かした
・ウイダー180ml(スタート30分前)
・ZEN虎 3錠(スタート30分前)
・塩タブレット×1(スタート1時間後)
・ウイダー180ml(行きの激坂踏破後)
・ショッツ×1(スタート2時間後)
・ツムラ芍薬甘草湯×1(スタート2時間後)
・塩タブレット×1(スタート2時間後)
・ウイダー180ml(スタート2時間半)
・塩タブレット×1(スタート3時間後)
・メダリストを溶かした水500ml(レース後)
(装備)
・シューズ モントレイル・ログフライ
・ボトルホルダー ネイサン・エリート1(ゼリーはベルト部に養生テープで張り付け)
・時計・鈴・車のカギ
・(膝とすね毛そり)膝にニューハレ 疲労予防に。
・キャップ(ミズノ) 枝が頭に刺さるかもと説明があり。
・シャツ(アンダーアーマー) 通気性良好。
・パンツ(アシックス) ゴミはバックポケットに収納。
・靴下(ナイキ) 卸したて。
・天候曇りのため、サングラスなし。
(RACE REPORT)
スタートの号砲前。
現在日本トップの実力を持つ上田瑠偉選手をはじめ、豪華な招待選手が最前列で記念撮影。
とても華やかな雰囲気。
「いよいよだ」という感じ。
自分は、2列目に陣取り、彼らの装備を観察していた。
トレイルの世界では「36㎞」は決して長くないが、結構、エネルギージェルをたくさん携帯していた。
自分に比べると皆、体重管理されたスマートな体型だった。
65キロの体重は完全に重量級。
10秒前からカウントダウン。スタートの合図!!
スタート・ダッシュしている選手もいるが、惑わされない。
目標は、楽しいトレイルランニング。
そんなに目くじら立てて走る必要ないでしょ。
後半で苦しまないためにも、オーバー・ペースを避けたい。
(スタートから第一エイドまでの)初めの4キロは「準備運動」と捉えていた。
先は長い。焦らない。
いや、あえて急がない。
体調を確認したり、コンディションを徐々に上げていく感覚があれば十分。
招待選手「2」の渡辺千春選手の後ろについて、周りの様子を見る。
ここの区間はウォーミングアップだ。
落ち着いて。
最初の坂は、結構きつい上りだけれど、息を切らさず200m登って、気持ちよく200m下る。
ほとんどエネルギーを使わないまま、第一エイドを到着すると、すごい歓声。
H先輩とA田さんから熱いエールを頂戴し、深い森の山道へと入っていった。
(続く)
天候は曇り。気温は高くなく、湿気も感じない。
携帯した水は持ちそうだった。
森林の中は、フカフカのシングルトラック。
事前の説明どおり、走りやすいセクションがおおく、スピードの強弱をつけやすい。
足が合う選手のペースに合わせて、力みなく省エネ走法で、前に進んでいく。
そのうち、スタートダッシュで疲労した選手が前から落ちてくるが、欲を張らずに一定ペースを心がける。
次第に登りがきつくなって行き、激坂区間に突入する。
「不要不急なダッシュは絶対しない」
階段では積極的に歩く。
階段を歩く練習は、十分やったつもり。
膝に手を置いて、一歩一歩を確実に、フォームを忠実に守って上る。
頂上にたどり着く前には、前の3選手に追いついていた。
-----------------------------------------------------------------
5キロ以上はあっただろうか?
激坂を上った後には、延々と続く下りの林道が待ち構えていた。
「歩く筋肉」は疲労したけれど、「走る筋肉」はまだフレッシュな状態。
鼻歌を歌う余裕があるほど、快調に走ることができていた。
そんなに速いペースではないけれど、疾走できている。(あくまで自分のレベルですが)
ジワリジワリ体脂肪を燃やして、一定ペースで。
何度も言い聞かせて。
山に溶けて、風に溶けて、飛んでる感覚。
緑の景色が自分の後ろに跳んでいく。
いい感じ。
エネルギーが切れる前に、計画どおり補給。
数人を追い抜いて、気分は上々。
全てが順調。
そのはずだった。
ここまでは。
(続く)
下り基調の林道が終わりを迎えようとしていた。
その時だ。
なんと、行き先がない。
車両通行止めのバリケード・テープが張られ、走路が完全に塞がれている。
先を行っていた2人が立ち往生し、途方に暮れて右往左往していた。
「コースをロストしたようだ」と話しかけてきた。
・・・うっ、うそでしょ?!
何十秒後かに、また一人、後ろから合流する。
ここまできてコースアウトで棄権に・・?
絶望感が漂い始める。
ただ、4人が4人とも「⇒」を見失うはずがないので、これまで来た道は間違いないはず。
それが、私の判断だった。
「失格覚悟で、一か八か、バリケードの先を行ってみましょう!!」と、皆でテープの先を行くことに。
しばらく行くとスタッフが居て、コースミスはしていないことを確認。
どのくらいタイムをロスしたか?は、わからないけれど、
失格になる可能性が排除できて、4人とも安堵の表情に。
マジ焦ったわー。絶対絶命でした。
少しだけ、和やかなムードが流れた。
4人が一団となり協調して走っていたが、
「待てよ。あくまで、これはレースだぞ・」
自分が率先して「こっから先は、勝負に徹しましょう!!」と3人を鼓舞したら、速い人が一人、ピューと先に行ってしまった。
あれまー。。かっこつけて、言わなきゃよかったワ・。
計画通りに、ボトルのスポドリを飲みきって、ようやく(最初で)最後のエイドに到着。(第1エイドは寄らなかったので)
その前に、補給に備えて、ボトルの中は空にしておいた。
さあ、ここで予定通りに補給だ。
「スポドリくださーい。」とスタッフに元気よく伝えたら、返ってきた答えはNO.
えっ?!
「ボトル補給は水しかやれない」と。
うっ、うそでしょ。聞いてないよ。頭真っ白。補給計画ボツ。
「塩だけは・・」
とっさの判断で塩タブレットを2粒いただき。ボトルに真水だけは入れてもらう。(うーん。そこのところ、事前説明なかったよね?)
集中力が途切れかけたけれど、気を取り直して、痙攣予防にと携帯した「芍薬甘草湯」を流し込み、前の選手を追いかける。
トレイルランナーとはいっても、ロード10キロ31、2分のスピードのある選手がザラにいるんだろう。
途中で、その選手を完全に見失ってしまい、走力の差を見せつけられる。
「もともと持っている才能が違うんだわ」と開き直り、マイペースに徹する。
急激に沢に降りる箇所。
九十九折になって非常に危険な場所に到着。
ここで、滑って転んで2回ほど滑落しかけたけれど、なんとか耐えしのぐ。
急勾配の下りの丘を尻餅つきながら、駆け下りたあと、、
突然それは起きた。
ついに(想定内の)最悪の事態!!!!!!!
(続く)
起きてしまった最悪の事態。
ふくらはぎの痙攣が発生したかと思いきや、激痛に耐えきれず立ち止まってしまう。
走行不能って、やつだよな?
気持ちは慌てている反面、客観的に見れてる自分が居て、頭の中は割と冷静。
両側のふくらはぎが、針で刺されたような痛みが断続して起きている。
私の経験上、この後、復活できたレースは一度もなかった。
症状が治まるまで、しばらく歩いてみるけれど、なかなか大人しくならない。
そのうち、ゼッケン「3」HOKA所属の招待選手に抜かれてしまう。
悔しいけど、ムキになって追ったりしない。まあ、どーせ、走れない訳だし。
「そうだ、塩だ。きっと、まだまだ塩が足りないんだ。」
エイドで、もう一つ塩タブレットをもらったことを思い出し、噛み砕いた後で、一気に胃袋に流し込む。
10分後に、少しずつ痙攣が収まりだし、20分後に回復。
ここからが終盤。
最も重要なポイントに位置付けていたセクションだ。
いけるか?
結果から言うと、この先の大事な区間で、まさか、まさかのロング・スパートがキマるとは思いもしなかった。。
奇跡だった。
--------------------------------------------------------------------
最後の最後は、下り基調のフカフカ山道。
接地感、着地感が、心地よく、野鳥のさえずりや沢の水の流れる音が森林にこだましていた。
霧かかった深い森林の道を駆け抜けていると、ますます集中力が高まってくる。
いま、非日常の世界にいる。
出てよかったこの大会。
楽しかったな。
足の負担も少ないし、痙攣は再発せずに、(「3」の選手には追いつかないまでも、)このまま走ってゴールまでイケルと確信。
やったー^^気持ちよくゴールできる。
頭の中では、すでにカッコよくフィニッシュを決めていた。
(続く)
余裕のフィニッシュとなった??
いやいや、人生そんなにうまくいかない。いった試しがない。
後ろから、1人の後続ランナーの足音がどんどん近づいてきた。
のこり3キロの看板。
とうとう、クライマックスだ。がんばってここまで来たんだ。
誇らしい気持ち。
いや、違う。
すこし、ムキになってきた。
ここまで頑張って来て、抜かれたくないと思い始める。
ギアを上げて、スピードアップした。
大会前に何度もスピード練習もやってきた。
自信があった。
残り2キロの看板。
選手が背後に、まだ付いてくる。
抜かれたくない気持ちがますます大きくなり。
ムキになりスピード・アアップ!!
自称キロ3分30秒くらいまで上がる。
足は万全ではないけれど、呼吸だけは、余裕があった。
残り1キロの看板。
まだまだ付いてくる。
どうしても抜かれなくない。
さらにスピード・アアアップ!!!
自称キロ3分20秒でダッシュだ!!!!。
逃げ切った。
そして感激のフィニッシュへ。
自分のレースを出し切った。走り切った。押し切った。
最悪の状況でもあきらめなかった。不運も幸運なこともあった。
観衆の集まる大音量のBGMの流れるFinishゲートを潜り抜けられて、最高に爽快な気分を味わった。
10年に1度の衝撃的爽快感・達成感。
30歳代4位。入賞まで33秒。
入賞はかなわなかったけれど、それ以上に実のある豊作レースでした^^
反省あれど、悔いなし。
これで、今年の山レースはおしまい。
また次の山シーズンを楽しみに待ちたい。
(結果)ロング36km 3時間31分10秒 総合11位 出走数577名/完走者558名/完走率96.7%
次のメイン・レースは、7月温海鼠ヶ関(海レース)、9月村上笹川流れ(海レース)
------------------------------------------------------------------------------
(自分の中で)動作規則と確認事項
ウォームアップは、走りすぎず、ほどほどに、スキルの確認程度で。
ふくらはぎの痙攣とハムストリングの攣りは別物?筋痙攣の原因は、血中の電解質濃度の低下。早め早めの電解質の補給が必要。「突発的な攣り」の原因は、鍛練不足。鍛えるしかないが、「持続的な痙攣」は適格な給水と補給で、予防できる。
ペースは一定に。カロリー消費を抑えるため、不要不急なジャンプやダッシュは行わない。ジワリジワリ体脂肪を燃やして、ジワジワ順位を上げていく。スタート後3kmは準備運動。
根や石など凸凹を最大限利用して、地面を蹴る。スタート・ブロックの代わりになる上、ゲーム性があり集中力を高める。
登りは、膝を出来るだけ曲げないように。特に、段差のある階段を登るときは、両腕を膝に当てて、膝を曲げないように。
下りは、下る角度に応じて、腰を低くして、膝を曲げて。臨機応変に気持ちよく。
下りは、下る角度に応じて、上半身を前傾に、肩の力を抜いて。腹筋と背筋を稼働して体幹の姿勢を維持。
歩く筋肉と走る筋肉は異なる。上手に使い分けて、一方を途中で使い切らないこと。
視線の先は、下だけを見ないで、前もみて、前だけを見ないで、下も見る。
常に体の変調に敏感になる。体は消耗品なので、できるだけダメージを回避する。アスファルト上は優しく着地。
天候と起伏、路面状況に応じて、足の置き場を判断。水たまり、ぬかるみ、泥の上は危険。シューズも重くなる。
鈴をつけると前の人を抜くときに、気づいてくれて道を空けてくれる。
肘は直角に、腕ふりは、縦に振らずに、横に振る。(のぼり、平地)
静的ストレッチは、筋肉バネを壊すので、準備運動は「動的ストレッチ」のみ。
のぼりと平地は、小指球で着地、拇指球で蹴る。下りは、足裏全面で着地。
速い人に抜かれても、無理に追いつこうとせず、ムキにならず、出来るだけ離されないようにマイペースで。
遅い人を抜いても、無理に差を広げようとせずに、欲張らずにマイペースで。
靴ひもは、一番上の段まで締め上げる。つま先の保護と小石の入り込み防止のため。
エイドステーションで、スポーツドリンクをもらえない場合があるので注意(笑
<了>