goo極楽トンボの人生行路

勝手気ままに、独断と偏見の瞑想空間ほ

酔人の小噺

2015-04-16 16:44:58 | 日記
若かりし頃から、新地やミナミで夜の世界を渡り歩いてバブル時にはミナミでクラブを数件経営していた酔人がいる。

毎夜、多くの美女に囲まれながら、来客からは座るだけで数万円と言うお店には大阪の政界 財界 官界にお相撲さんまで札束を持ってやって来たらしい。

わんさかうねりをあげて雪崩れ込んでくる儲けで手当たり次第美女に跨がった。
健康な彼のご本尊様は相手構わず周囲の美女のお腹を膨らませた。

容姿端麗の彼も年月が経って来年には喜寿を迎える。
久しぶりに彼の容姿を眺めると、下腹が異常に膨らんでいるのでどうしたのかと聞くと

昔馴染みと久しぶりに会ったら、彼女が上に乗りたいと言うので昔のよしみでチン貸しをしたら、昔のカタキを撃つが如く際限無く腰を振り回しのたうって夜が明けた。

酔人は首を傾げて、若しかして その時の子かなぁ?

名前遊び

2015-04-16 03:44:37 | 日記
自己流の姓名判断が良く当たる。

大学を出て生命保険会社に勤めていた時代にビジネスの合間に顧客や社内の人物の名前をチェックしている内に、何となく

スタートは身近にいる女性の名前に興味を持ったことが少しずつ膨らんでしまった。

私の姓名判断は名前の持つ音読みによる印象を基本としている。

例えばま行とさ行の名前
まさこ すみこ みさこ ますこ等の名前の持主は支配的であり指図的なタイプである。

まさこ は支配的に人に指図をするタイプ
まさよ は支配的に人に指図をするが物事を
達成するタイプ
まさみ は強烈に支配するタイプである

先日、知人との会話の中で、知人が疑うので彼の知り合いの名前を言わせて答を確認して貰ったら、今度は何処かの本でも読んだのだろうと。

この話をすると多くの女性達はご自分の周りの男性を列挙して来る。
過去に腹の上で踊った男を思い出しながら、こちらは人数を気にしながら、女性の痴態を知らされることになる。

残念ながらわが子が生まれる前にある程度の知識を得ていれば良かったのですが、残念ながらわが子に「みどり」と言う名前はつけれなかった。




目線

2015-04-14 02:23:32 | 日記
人とのお付き合いには必ず相手に対する目線がある。

毎日 何人かの人とお会いするが、私は年長者には必ず自分との年齢差を意識してお話をすることを心がけている。

喜寿を過ぎたこの歳になると、お会いする殆どの方は自分よりも年下なのであるが、私は相手との目線を常に相手の世代に対応することにしている。

この生活習慣は老化予防に極めて有効な結果を導き出している。
お話をしている相手との年齢差を少なくしなければならない事が、私に求められるからだ。
それは、各年代の持つ時代感覚 意識 生活環境等ある意味ではとてもじゃないが付いて行けない事も多々ある。、可能な限り求めるように努力をしている。

こちらが目線を下げて話していると、
相手との話しの中で面白い事が分かる。
常識人は年齢差を意識して会話をするが、 少々レベルの低い人には年齢差なんてことに意識すること無く気楽に話をしている。
この格差はその人の学歴 職歴等にも左右されるが素養の有る無しは常日頃からの意識した言行が育てあげる。

私はお話をする相手の方には必ず◯◯さんと さんづけでお呼びすることにしている。
君づけて呼ぶたけでも自然発生的に年齢差が生じる。
若さの維持 否老化予防のためにも役立つし、ましてや年寄りの空威張りの無様な姿を見られないためにも さんづけで人に接することは良い。

年寄りのくせに若者たちに負けないように日進月歩のインターネット世界をもがきながら、目線を下げて頑張ろう。

男はつらいね

2015-04-13 04:01:15 | 日記
私はヒジネス環境下ではどちらかと言えば支配的な振る舞いが多いと自認している。
余り相手の話を黙認するタイプではない。
然し乍ら家に帰れば私は口で勝ったことは無い。

こうした環境を醸成した要因は、私が一言厳しい事を言うと体調を崩しかねない妻と私の攻撃的なものの考え方がすっくり引き継いだ娘の存在が大きい。

何処の夫婦でも妻は夫の家庭内の生活習性しか目にしておらず、社会人としての価値なんて殆ど頭に無い。在るのは夫としての振る舞いのみが奥さんの評価である。

一般的に男性の視線は家庭内では無くビジネス線上にあるから、当然観点が異なる。がしかし女性の主張は家庭が中心であることを忘れてはいけない。

世間ではSだが、家庭内ではM男の存在は家庭が円満な環境を整えることになる。

癒されるブルックナー

2015-04-12 21:09:16 | 日記
甘い物が食べたい。辛い物が食べたい。
水を飲みたい。お湯に浸かりたい。
これらはみんな身体が求めるから自然と一つの欲望として行動に移される欲求である。

私はクラシック音楽を聴くのに、今は何を聴こうかな?と その時の雰囲気や感傷から常々曲を選んでいるのだが、時たまこの曲が聴きたいと感じることがある。

今日は午後から阪神タイガースの試合をテレビで見ていたのだが、草野球並みのエラーで得点をえれられたので、テレビを消して音楽を聴いたのだが、テレビを見ている時から無性にブルックナーの7番が聴きたくなっていたので、早速それを耳にした。

多くの名曲は全曲が一つに感じ、聴き終えるとその曲の持つ味わいを感じるのだが、いつ聴いてもブルックナーの7番は何かが異なる。

モーツァルトのピアノ協奏曲なら何か清々しいものであったり、今日は頑張ろうと思う時はベートーベンの7番を聴くとか自己の存在を確認する時はブラームスの1番と言うようにそれぞれに迷題がある。

然し乍らブルックナーの7番には迷題ではなくて、私の精神的な欲求がリクエストをするかの如くに、私はこの曲を聴くと、今までの焦燥感が吹っ飛び 心に沸き立つ何かを感じ 精神的に何か継続的な粘り気のある喜びが滲み出る想いが得られる。

音楽って大変不思議なものである。
同じ曲を2回続けて聴いてしまいました。