言葉は誰のためにある。
物書きが、犯罪の被害者について論じるとき、それは被害者のためになる言葉か?
かっこうだけ立派で、じつは「本人の生活」のため、あるいは「精神の満足」のため、「人格の陶冶」のためだというのなら、いっそ小説家になればいい。フィクションならまだ罪が軽い。いやいっそ坊主にでもなれ。
他人の不幸や争いごとをタネに、そんなことをする権利はない。
少なくとも、誇りをもてるようなマネではない。
どれだけ真剣であろうが、懸命であろうが、行為そのものの醜さは変わらない。
そんな物書きは、誰かが受けた傷から、血を吸う虫だ。
吸血行為の醜さを、自覚できないほど、動物的な連中だとは思いたくはない。
だから笑え。自らの醜さを笑え。
吸血の崇高さや、苦労を語る口を、少しは自嘲にゆがめるがいい。
血を流す誰かは、自分を傷つけた連中と闘うのに精一杯で、
血を吸う虫を憎む余裕もない。
だが、私は、気取り屋の虫ケラどもが叩き潰されればいいと思う。
物書きが、犯罪の被害者について論じるとき、それは被害者のためになる言葉か?
かっこうだけ立派で、じつは「本人の生活」のため、あるいは「精神の満足」のため、「人格の陶冶」のためだというのなら、いっそ小説家になればいい。フィクションならまだ罪が軽い。いやいっそ坊主にでもなれ。
他人の不幸や争いごとをタネに、そんなことをする権利はない。
少なくとも、誇りをもてるようなマネではない。
どれだけ真剣であろうが、懸命であろうが、行為そのものの醜さは変わらない。
そんな物書きは、誰かが受けた傷から、血を吸う虫だ。
吸血行為の醜さを、自覚できないほど、動物的な連中だとは思いたくはない。
だから笑え。自らの醜さを笑え。
吸血の崇高さや、苦労を語る口を、少しは自嘲にゆがめるがいい。
血を流す誰かは、自分を傷つけた連中と闘うのに精一杯で、
血を吸う虫を憎む余裕もない。
だが、私は、気取り屋の虫ケラどもが叩き潰されればいいと思う。