東方不敗の幻想

インターネットのジャーナリズムについての覚書

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言葉は誰のためにある。

2006-08-20 19:02:47 | Weblog
言葉は誰のためにある。
物書きが、犯罪の被害者について論じるとき、それは被害者のためになる言葉か?

かっこうだけ立派で、じつは「本人の生活」のため、あるいは「精神の満足」のため、「人格の陶冶」のためだというのなら、いっそ小説家になればいい。フィクションならまだ罪が軽い。いやいっそ坊主にでもなれ。

他人の不幸や争いごとをタネに、そんなことをする権利はない。
少なくとも、誇りをもてるようなマネではない。
どれだけ真剣であろうが、懸命であろうが、行為そのものの醜さは変わらない。

そんな物書きは、誰かが受けた傷から、血を吸う虫だ。
吸血行為の醜さを、自覚できないほど、動物的な連中だとは思いたくはない。
だから笑え。自らの醜さを笑え。
吸血の崇高さや、苦労を語る口を、少しは自嘲にゆがめるがいい。

血を流す誰かは、自分を傷つけた連中と闘うのに精一杯で、
血を吸う虫を憎む余裕もない。
だが、私は、気取り屋の虫ケラどもが叩き潰されればいいと思う。


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