東方不敗の幻想

インターネットのジャーナリズムについての覚書

touhou_huhai@gemini.livedoor.com

常岡浩介論(2)

2006-08-09 21:21:05 | Weblog
私は常岡浩介を”真のジャーナリスト”だと思う。
これは称讃であると同時に批判でもある。

というのは、常岡は、取材と報道の力は優れているのは間違いないのであるが、
知名度はいま一つであり、メディアにおける発言力も小さい。
そして、自身のサイトでの発言を見る限り、
記事をたくさんの人に読んでもらう努力に熱心ではない。

彼の情熱は、いかにして真実に迫り、それを表現するかにあって、
どうやってそれを知らしめるか、にはないように思われる。

後者は、いわば政治力のようなものであって、
どうにもそれが欠けているようだ。
政治的なジャーナリストというのは、印象の悪いものであるが、
しかし、地位や発言力がなければ、せっかく取材したことが伝えられず、
ムダになってしまう。

私の考えはこうだ。
”真のジャーナリスト”というのは、決して聖なる者ではない。
ブン屋と蔑まれたころから、ジャーナリストは自分の足で駆けずり回って、
ものを書いてきた。その行為そのものは、崇高ではない。

危険を承知で取材に行き、それを記事や映像にまとめるまでは、
小説家や画家と同じ、アーティストの行為だ。
生活の手段であり、自己表現の方法だ。

意味があるのは、それを、沢山の人々に伝え、それによって社会が動き、
正義がなされたときだ。

じつのところ、ジャーナリストが正義の担い手であるなどと、
私はあまり信じていないのだが。
しかし、ジャーナリズムに意義があると仮定するならば、そうなのだ。

もし、メディアが腐敗し、ジャーナリストの報道が思うようにできないなら、
政治的、経済的、法的に戦わなければいけない。

そうでなければ、ジャーナリストはただのアーティストになってしまう。
しかも、戦争や困窮をタネに自己表現にいそしんだとするなら、
それは、もっともいやらしいアーティストだ。

(続く)


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