東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

平群

2024-06-26 20:08:00 | 日記
 日本在住の外国人YouTuberや日本大好きをアピールしてる外国人YouTuberが情報工作員みたいなスパイに思えてきた。
 
 それに、国際結婚っていうの?。こういう人たちも日本人に帰化して日本国籍を取得するために、そういうことをやってるんじゃないか?みたいに疑わしく思えてきた。愛があるのか知らないけど・・・。
 
 物部守屋が聖徳太子に討たれたという話は嘘の気がするけど、ここが怖いんだよなあ。
 
 奈良県生駒郡平群町にある信貴山朝護孫子寺は信貴山真言宗の寺で、HPを見ると、毘沙門天王の総本山と書いてある。昭和26年に高野山真言宗から独立して信貴山真言宗になったようだ。朝護孫子寺の由緒は聖徳太子の物部守屋討伐の話と関係あるらしく、聖徳太子が毘沙門天を感得して、毘沙門天の御加護で物部守屋を討つことができたらしい。本当か知らないけど・・・。
 
 信貴山縁起絵巻という絵巻物があって国宝になってるらしいけど、命蓮という僧は醍醐天皇の病気平癒の祈祷をしたらしく、朝護孫子寺の寺号を賜ったことになってるようだ。信貴山縁起絵巻に命蓮の醍醐天皇の病気平癒の話も描いてあるらしい。
 
 朝護孫子寺のHPを見ると、本堂の地下には戒壇巡りがあって、覚鑁上人が毘沙門天から授かった如意宝珠が収められてるらしい。行ったことが無いので、わからない。
 
 朝護孫子寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

高野

2024-06-26 19:36:15 | 日記
 日本在住の外国人YouTuberや日本大好きをアピールしてる外国人YouTuberが情報工作員みたいなスパイに思えてきた。
 
 古参YouTuberはともかく、YouTuberが増えたのって新型コロナウイルスが流行して社会活動が停滞した3年か4年ぐらい前からの気がするし、日本に外国人がたくさん来るようになって、そういう人たちがYouTubeにUPしたりしてさあ。
 
 俺は昭和の後半の生まれのアラフィフの人間だけど、平成14年(2002年)に日韓ワールドカップがあって、この頃から韓流ブームが始まった気がするけど、平成23年(2011年)に東日本大震災があって、その次の年か忘れたけど安倍さんが総理に返り咲いてアベノミクスとかいって、それで爆買いとかいって中国人観光客が日本に押し寄せてくるようになって、最近の20代や30代の人たちは、そういう時代を当たり前のように過ごしてきたのかもしれないし、俺とは国際感覚が違う気がするもんなあ。
 
 俺なんて、外国に行ったことも無ければ、飛行機に乗ったことも無いもんなあ。東京に住んでたことはあるけど、西日本なんて高校の修学旅行で奈良と京都に行ったぐらいだもんなあ。東日本大震災の後、東北から出てない。
 
 俺なんて、日本生まれの日本人なのに、ずっと呪われたような人生を送ってきて、征夷といって何度も呪い殺されそうになってさ。日本社会にだって、どこにも自分の居場所が無いみたいだし、自分の存在を否定されてるみたいだ。
 
 お寺に行くと、人種差別は許さないとか、あらゆる差別は許さないとか書いてあるけど、征夷といって日本人を呪って、人種差別をしてるのは、お寺の人たちなんじゃないのだろうか?。お寺の人たちが日本人か知らないけど・・・。
 
 岩手県一関市にあった田村藩の田村氏は坂上田村麻呂の子孫ということになってる。田村藩は伊達藩の中にあって、1つの藩のような扱いを幕府から受けていたらしい。本当か知らないけど・・・。
 
 田村氏は戦国時代は福島県の三春町にいて、戦国時代の終わり頃に途絶え、伊達政宗の妻の愛姫が田村氏の出身ということになっていて、伊達家が再興したことになってる。田村氏は伊達騒動の後に一関に来たことになっていて、一関に来る前は宮城県の岩沼市にいたことになってるらしい。
 
 平安時代に岩手県にいた安倍氏の人たちは奥六郡といわれる岩手県にあった6つの郡に勢力を広げてたことになってる。金ヶ崎町に鳥海柵跡があって、安倍貞任の兄弟の安倍宗任がいたことになってる。安倍宗任は鳥海三郎というらしい。安倍頼時の息子が安倍貞任と安倍宗任で、安倍頼時は鳥海柵で亡くなったことになってる。 
 
 安倍貞任の息子の高星丸が津軽に逃げて安藤氏(安東氏)の祖になったらしいけど、安藤氏(安東氏)は戦国時代は秋田県にいたらしい。安藤氏(安東氏)は江戸時代は秋田氏を名乗っていて、福島県にあった三春藩の藩主だったらしい。本当か知らないけど・・・。
 
 福島県の三春町には田村大元神社があって、江戸時代は大元帥明王社で、三春藩の総鎮守だったらしい。本当か知らないけど・・・。大元帥明王は密教の明王で、大元帥法は怨敵調伏の祈祷のようだ。
 
 和歌山県伊都郡高野町に金剛峰寺があって、金剛峰寺は高野山真言宗の総本山のようだ。高野山の奥の院は真言宗の開祖の空海の御廟のようだ。空海は佐伯氏の出身で、幼名は佐伯真魚というらしい。
 
 高野山は明治時代に宝物の調査が行われたらしいけど、大正10年(1921年)に高野山霊宝館が開設されたらしい。インターネットで調べると、高野山霊宝館には大元帥明王の絵があるみたいだけど、化け物みたいなのが襲ってきてる気がするんだけどさあ。
 
 金剛峰寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

お祓い

2024-06-26 18:00:30 | 日記

天台宗

2024-06-26 17:57:39 | 日記
 日本の歴史は嘘の気がするけど、呪われた人生だったなあ。
 
 天台宗の開祖の最澄の庇護者は桓武天皇ということになってるけど、坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命して東北の征夷を行った人も桓武天皇ということになってる。
 
 天台宗では明治維新の後に天台座主はいなくなり、明治17年(1885年)に復活したらしい。本当か知らないけど・・・。明治以降の天台座主も名前だけはウィキペディアに載ってる。
 
 明治以降の天台座主で一番著名な僧は山田恵諦という僧のようだけど、昭和49年(1974年)から平成6年(1994年)まで20年間も天台座主を務め、「一隅を照らす運動」の総裁を務めたようだ。
 
 山田恵諦という僧の前の天台座主の菅原栄海という僧は岩手県奥州市の江刺の出身らしい。岩手県の寺の本に、そう載ってる。菅原栄海は昭和45年(1970年)に天台座主に就いたようだ。菅原栄海は江刺にある勝軍寺という寺の息子らしい。勝軍寺の山号は愛宕山だそうだ。中尊寺の貫首をしていた千田孝信という僧は菅原栄海の親戚らしい。
 
 天台宗の総本山は滋賀県大津市にある比叡山延暦寺で、天台宗は法華経を根本経典にしていて、天台宗の発祥の地は中国にある天台山らしい。天台宗が今のようになったのも明治以降としか思えないんだよなあ。
 
 延暦寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

平泉

2024-06-26 17:54:46 | 日記
 日本の歴史は嘘の気がするけど、呪われた人生だったなあ。
 
 岩手県一関市にあった田村藩の田村氏は坂上田村麻呂の子孫ということになってる。田村藩は伊達藩の中にあって、1つの藩のような扱いを幕府から受けていたらしい。本当か知らないけど・・・。
 
 田村氏は戦国時代は福島県の三春町にいて、戦国時代の終わり頃に途絶え、伊達政宗の妻の愛姫が田村氏の出身ということになっていて、伊達家が再興したことになってる。田村氏は伊達騒動の後に一関に来たことになっていて、一関に来る前は宮城県の岩沼市にいたことになってるらしい。
 
 戊辰戦争の頃の田村藩の田村氏の田村邦栄は角田石川家から来た人で、石川義光の息子らしい。戊辰戦争の後に弟の田村崇顕に家督を譲ったみたいだけど、明治15年(1882年)に再び家督を継いで、明治20年(1887年)に亡くなったらしい。田村崇顕も角田石川家から来た人で、石川義光の息子らしい。田村崇顕は大正11年(1922年)に亡くなったらしい。次の田村氏の田村丕顕は田村邦栄の息子で、田村丕顕は海軍の軍人で、田村丕顕は昭和20年(1945年)に亡くなったらしい。田村丕顕の息子の田村良顕が継いだようだけど、それ以上わからない。
 
 坂上田村麻呂の征夷の話も嘘の気がするけど、坂上田村麻呂の敵の蝦夷には安倍高丸や悪事の高丸や大嶽丸という人が登場するようだ。字は違っても高丸という人が登場することが多いようだ。
 
 一関市の隣の平泉町に達谷窟毘沙門堂があって、坂上田村麻呂が悪路王を倒したという伝説がある。達谷窟毘沙門堂には達谷西光寺という別当寺があって、達谷西光寺は天台宗の寺だ。坂上田村麻呂の征夷の話も嘘の気がするけど、呪われた人生だったなあ。
 
 達谷窟毘沙門堂ですか・・・。
 
 
 火をつけるか