東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

京都

2024-06-15 23:40:22 | 日記
 キツネ目の男ですか・・・。
 
 稲荷神社の総本社といわれる京都にある伏見稲荷大社では宇迦之魂と佐田彦大神と大宮能売と田中大神と四大神を祀ってるらしい。伏見稲荷大社の千本鳥居の奥には稲荷山があって、稲荷山には鳥居がたくさんあって、ミニチュアの鳥居もたくさんあって、お塚といわれる場所がたくさんあるらしい。稲荷山が今のようになったのは明治以降らしいけど・・・。伏見稲荷大社も秦氏の人が創建したことになってるらしい。
 
 高山昇という神道家の人がいて、ウィキペディアで調べると、群馬県の今の吾妻町の出身で、大宮巌鼓神社の神職の息子らしい。本当か知らないけど・・・。高山昇は日本各地の神社の宮司を務め、大正13年(1924年)に伏見稲荷大社の宮司に就いたらしい。高山昇は稲荷山に禊道場をつくったり、神道を学ぶ学生のための稲荷神社奨学金を設立したり、附属稲荷講社を設立したようだ。昭和4年(1929年)には東京都西東京市に東伏見稲荷神社を創建したらしい。
 
 高山昇は昭和11年(1936年)に稲荷神社の宮司を退き、皇典講究所の専務理事に就いたようだけど、次の年の昭和12年(1937年)に退任して、その後は神奈川県藤沢市に移住したようだ。昭和18年(1943年)には藤沢市に鵠沼伏見稲荷神社を創建したらしい。その後も乃木神社の社司を兼務したり、神社局参与、神祇院参与、大日本神祇会顧問に就き、昭和20年(1945年)に乃木神社社司を退任して、新しく出来た神社本庁の顧問になったようだ。高山昇は昭和25年(1950年)に亡くなったらしい。
 
 伏見稲荷大社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

京都

2024-06-15 23:37:47 | 日記
 キツネ目の男ですか・・・。
 
 福岡県にあった福岡藩の最後の藩主の黒田長知は三重県にあった津藩の藤堂氏から養子で入った人で、明治11年(1878年)に家督を譲って隠居して、明治35年(1902年)に亡くなったらしい。次の福岡藩の黒田氏の黒田長成は黒田長知の息子で、貴族院の議員になって、明治27年(1894年)から大正13年(1924年)まで貴族院の副議長を務めたらしい。黒田長成は豊臣秀吉を顕彰する豊国会や菅原道真を顕彰する菅公会の会長を務めたらしい。黒田長成は昭和14年(1939年)に亡くなったらしい。次の福岡藩の黒田氏の黒田長礼は黒田長成の息子で、黒田長礼の時に華族制度が廃止になったようだ。黒田長礼は鳥類学者で、日本野鳥之会を設立したり、日本鳥学会の会長を務めたようだ。
 
 大阪市にある大阪城には豊臣秀吉を祀る豊国神社があるようだけど、HPを見ると、明治6年に京都の阿弥陀ヶ峰に豊国神社が創建され、明治13年に別社として創建され、昭和36年に今の場所に遷ったらしい。本当か知らないけど・・・。京都の阿弥陀ヶ峰には豊臣秀吉の墓所の豊国廟があるらしい。
 
 ウィキペディアで調べると、明治天皇の墓所は京都にある伏見桃山陵らしいけど、豊臣秀吉の築いた伏見城の本丸跡地にあるらしい。本当に明治天皇の墓所か知らないけど、なんで、そんなところを墓所にしたんだろう?。
 
 伏見桃山陵ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

お祓い

2024-06-15 23:34:44 | 日記

京都

2024-06-15 23:33:16 | 日記
 雷ですか・・・。
 
 福岡県にあった福岡藩の最後の藩主の黒田長知は三重県にあった津藩の藤堂氏から養子で入った人で、明治11年(1878年)に家督を譲って隠居して、明治35年(1902年)に亡くなったらしい。次の福岡藩の黒田氏の黒田長成は黒田長知の息子で、貴族院の議員になって、明治27年(1894年)から大正13年(1924年)まで貴族院の副議長を務めたらしい。黒田長成は豊臣秀吉を顕彰する豊国会や菅原道真を顕彰する菅公会の会長を務めたらしい。黒田長成は昭和14年(1939年)に亡くなったらしい。次の福岡藩の黒田氏の黒田長礼は黒田長成の息子で、黒田長礼の時に華族制度が廃止になったようだ。黒田長礼は鳥類学者で、日本野鳥之会を設立したり、日本鳥学会の会長を務めたようだ。
 
 福岡県太宰府市にある太宰府天満宮のHPを見ると、全国天満宮総本宮と書いてある。菅原道真公は太宰府に左遷されて太宰府で亡くなったことになっていて、太宰府天満宮は菅原道真公の墓所に創建されたらしい。菅原道真公の弟子の味酒安行という人が亡くなった菅原道真公を埋葬したらしい。
 
 島根県出雲市にある出雲大社の祭祀は千家家が行ってるみたいだけど、出雲国造家は千家家と北島家に分かれているらしく、出雲大社の祭祀を千家家が行い、出雲大社の隣にある北島国造館の祭祀を北島家が行ってるらしい。千家家は出雲大社教で、北島家は出雲教らしい。
 
 出雲国造家の祖先は天穂日命で、天穂日命は大国主の国譲りの話に登場して、大国主のところに国譲りのために最初に送り込まれ、そのままいて任務を果たさなかったことになっているらしい。
 
 京都にある北野天満宮のHPを見ると、全国天満宮総本社と書いてある。北野天満宮でも菅原道真公を祀ってるらしい。菅原道真公は天穂日命の子孫ということになってるらしく、北野天満宮の本殿の後ろ側には天穂日命が祀られているらしい。
 
 北野天満宮には地主社があって、北野天満宮の創建前からあったことになってるらしいけど、地主社では天神地祇を祀ってるらしい。北野天満宮の七不思議には筋違いの御本殿があって、北野天満宮の参道の正面には北野天満宮の本殿ではなく、地主社があるらしい。
 
 北野天満宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

出雲

2024-06-15 23:28:28 | 日記
 雷ですか・・・。
 
 大国主の国譲りの話も嘘の気がするけど、大国主の国譲りの話は大きく3つに分けられて、最初に天穂日命が大国主のところに送り込まれ、次に天稚彦命が大国主のところに送り込まれ、次に建御雷命が大国主のところに送り込まれ、大国主の国譲りが成立したことになってるようだ。
 
 島根県出雲市にある出雲大社の祭祀は千家家が行ってるみたいだけど、出雲国造家は千家家と北島家に分かれているらしく、出雲大社の祭祀を千家家が行い、出雲大社の隣にある北島国造館の祭祀を北島家が行ってるらしい。千家家は出雲大社教で、北島家は出雲教らしい。 
 
 出雲国造家の祖先は天穂日命で、天穂日命は大国主の国譲りの話に登場して、大国主のところに国譲りのために最初に送り込まれ、そのままいて任務を果たさなかったことになっているらしい。
 
 北島国造館のHPを見ると、北島脩孝という人が明治維新の頃の人で、次の北島家の北島斉孝は北島脩孝の息子で明治26年(1893年)に家督を継いで、大正7年(1918年)に亡くなったようだ。次の北島家の北島貴孝は北島斉孝の息子で、北島貴孝の時に華族制度が廃止になったようだ。
 
 北島国造館ですか・・・。
 
 
 火をつけるか