東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

香川

2022-05-19 23:53:00 | 日記
 六郷満山ですか・・・。
 
 江戸時代の秋田県由利本荘市には本荘藩と矢島藩と亀田藩があって、本荘藩の藩主は六郷氏で、矢島藩の藩主は生駒氏で、亀田藩の藩主は岩城氏だったみたいです。本当か知りませんけど・・・。
 
 ウィキペディアで調べると、矢島藩が正式な藩になったのは明治維新の後のようだけど、矢島藩の10代目の生駒親愛と11代目の生駒親道は大分県にあった中津藩の奥平氏から来た人らしい。矢島藩の12代目で最後の生駒親敬は生駒親道の息子らしい。明治維新の後の生駒氏は岡山藩の池田氏から養子を迎えてるみたいだけど、中津藩の奥平氏繋がりらしい。
 
 矢島藩の生駒氏は江戸時代の初め頃は香川県にあった高松藩にいて、御家騒動があって秋田県に来たらしい。本当か知らない。生駒氏の後の高松藩には松平氏が来たらしいけど、高松藩の松平氏は水戸徳川家の分家らしい。
 
 香川県仲多度郡琴平町にある金刀比羅宮は江戸時代は象頭山松尾寺金光院という修験寺院で、金毘羅大権現を祀ってたらしいけど、詳しく知らない。明治維新の後に大物主を祀る神社に代わったみたいです。
 
 金刀比羅宮の奥社には厳魂神社があるらしく、厳魂彦命を祀っているようです。厳魂彦命は戦国時代に生駒氏の家臣の家に生まれた宥盛という僧で、金刀比羅宮を再興した人らしいです。
 
 金刀比羅宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

中津

2022-05-19 23:49:57 | 日記
 六郷満山ですか・・・。
 
 大分県の国東半島には六郷満山という修験道のような山岳仏教があるみたいだけど、修正鬼会が行われるようだ。
 
 八幡宮の総本宮の大分県宇佐市にある宇佐神宮では応神天皇と神功皇后と比売大神を祀っていて、応神天皇は神功皇后の息子で八幡大神ということになっていて、応神天皇は誉田別命というらしい。
 
 宇佐神宮で祀られてる比売大神は宗像三女神ということになってるらしい。宇佐神宮の本殿は三つの社殿が並んでるらしく、真中に比売大神が祀られてるらしい。
 
 大分県中津市にある大貞八幡宮といわれる薦神社は宇佐神宮の祖宮らしい。薦神社には三角池という池があるらしく、池が内宮で神殿が外宮らしい。意味不明だ。
 
 奈良時代の隼人の反乱の時、隼人の反乱を鎮めるために八幡神に祈願し、三角池に自生する真薦で枕を作って、薦枕を神験にして神輿に載せ、宮崎県や鹿児島県のほうまで担いで行ったようだ。これが日本で最初の神輿らしい。よくわからないが、宇佐神宮のHPに、そのようなことが書いてある。
 
 薦神社の鎮疫祭では鬼やらいが行われ、鬼という字が書いた旗に矢を放つようだ。そうやって神事や伝統や風習といって、日本人を呪ってるんでしょ?。
 
 薦神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

物部

2022-05-19 23:43:25 | 日記
 このブログを読んでる人なら、そろそろ、八幡神社が本当に明治時代の前に日本にあったと思えないと書いて、そうだよなあって思う人もいるんだろうか?。
 
 八幡宮の総本宮の大分県宇佐市にある宇佐神宮では応神天皇と神功皇后と比売大神を祀っていて、応神天皇は神功皇后の息子で八幡大神ということになっていて、応神天皇は誉田別命というらしい。
 
 宇佐神宮で祀られてる比売大神は宗像三女神ということになってるらしい。宇佐神宮の本殿は三つの社殿が並んでるらしく、真中に比売大神が祀られてるらしい。
 
 三重県伊勢市に猿田彦神社があって、猿田彦神社のHPを見ると、猿田彦神社には佐瑠女神社があって、天宇受賣命と記載してるようだ。天宇受賣命は猿女君の称号を受けたようだ。
 
 猿田彦大神の子孫が猿田彦神社の宮司家の宇治土公家で、宇治土公家は伊勢神宮の式年遷宮の時に心御柱と御船代を作る役目を務めるらしい。インターネットで調べると、伊勢神宮の内宮の社殿の中には心御柱というものがあるらしく、建物の真中にあって、柱の役目をしてないらしい。その上のあたりに伊勢神宮の内宮の御神体の八咫鏡が収められてるらしい。
 
 島根県大田市にある物部神社は石見国の一宮で、物部氏の祖のニギハヤヒの息子のウマシマジを祀っているようです。
 
 物部神社では鎮魂祭が行われるらしく、猿女の鎮魂法というみたいだけど、鎮魂は魂を鎮めるみたいなことではなく、魂を揺り動かし、魂に活力を与えるみたいなことらしい。ウィキペディアで鎮魂祭を調べると、猿女の鎮魂法は巫女さんが箱の上に乗って、箱を矛で突くらしい。物部神社の鎮魂祭は宮中で行われる鎮魂祭に最も近いらしい。
 
 物部氏は歴史から消された氏族で、物部氏の祖のニギハヤヒは伊勢神宮の本当の祭神って言ってる人もいるの?。
 
 物部神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

水沢

2022-05-19 23:38:22 | 日記
 このブログを読んでる人なら、そろそろ、八幡神社が本当に明治時代の前に日本にあったと思えないと書いて、そうだよなあって思う人もいるんだろうか?。
 
 岩手県奥州市に鎮守府八幡宮があって、平安時代の初め頃に坂上田村麻呂が胆沢城を造営し、鎮守に祀ったらしい。本当か知りませんけど・・・。
 
 奥州市の水沢の羽田というところには坂上田村麻呂と戦った蝦夷の長のアテルイの拠点といわれる場所があって、田茂山という丘のような山で、出羽神社があって坂上田村麻呂の創建ということになってます。奥のほうに愛宕神社があって、古塚があります。
 
 伊達藩の初代藩主の伊達政宗は山形県米沢市の出身という説が通説だけど、仙台にある愛宕神社は伊達政宗が仙台に来た時に祀ったらしい。もともとは米沢にあった愛宕神社らしく、伊達政宗が宮城県の岩出山町に移った時は岩出山町に遷され、伊達政宗が仙台に来て城下町をつくる時に仙台に移されたみたいです。愛宕神社のHPを見ると、そのようなかんじです。
 
 京都市右京区にある愛宕神社が愛宕神社の総本社のようだけど、愛宕神社では火の神のカグツチか火産霊命を祀ってると思ってたけど、ウィキペディアで調べると、愛宕権現はイザナミで、本地仏に勝軍地蔵を祀ってたようだ。京都府亀岡市には元愛宕といわれる愛宕神社があるらしい。
 
 鎮守府八幡宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

仙台

2022-05-19 23:35:19 | 日記
 また話が混乱しそうで嫌だなあ。
 
 岩手県奥州市に鎮守府八幡宮があって、平安時代の初め頃に坂上田村麻呂が胆沢城を造営し、鎮守に祀ったらしい。本当か知りませんけど・・・。
 
 宮城県仙台市にある大崎八幡宮は奥州市にある鎮守府八幡宮が遷座されたことになってるようだ。室町時代の頃なのかわからないけど、鎮守府八幡宮が宮城県大崎市の辺りに遷座されて大崎八幡宮になり、江戸時代の初め頃に仙台に遷座されたことになってるらしい。山形県米沢市にある成島八幡神社も合祀されているようです。
 
 八幡宮が明治時代の前に日本にあったと思えないんだけど、なんで、奥州市から遷座されたことになってるんだよ・・・。
 
 大崎八幡宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか