東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

細川

2022-05-12 23:00:44 | 日記
 明治維新の話も嘘の気がするけど、熊本県のことは何度も書いてるんだけどなあ。
 
 熊本県にあった熊本藩の初代藩主は加藤清正で、加藤清正の次の藩主の加藤忠広の時に加藤氏は山形県鶴岡市にあった丸岡藩に移ったみたいです。丸岡藩は加藤忠弘の後は無くなったみたいです。
 
 何年か前に丸岡城跡に行ってきた。丸岡城跡の隣に天澤寺という曹洞宗の寺があって、加藤清正の墳墓の五輪塔と家臣の人たちの墓があります。天澤寺の山号は金峰山です。丸岡城跡は平地に作られた館のような城跡で、周りに集落があって、その周りには田んぼがあります。
 
 丸岡城跡がある集落には諏訪神社があった。
 
 加藤忠弘の後の熊本藩には細川氏が来て、廃藩置県まで細川氏が熊本藩の藩主だったみたいです。本当か知りませんけど・・・。
 
 熊本県熊本市に龍田という地名の場所があるらしく、立田山があって、細川家の墓所の泰勝寺跡があるらしい。ウィキペディアで調べると、龍田山泰勝寺という寺があったみたいだけど、明治時代に廃寺になって細川家の別邸になったらしい。
 
 泰勝寺跡ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

高千穂

2022-05-12 22:56:00 | 日記
 強烈な眠気がしてきた。居眠り和尚ですか・・・。
 
 熊本県阿蘇市にある阿蘇神社は肥後国の一宮のようだけど、健磐龍命を祀っていて、健磐龍命は阿蘇の開拓神らしい。阿蘇市にある国造神社の祭神の速瓶玉命は健磐龍命の息子で、速瓶玉命と雨宮姫の息子が高橋の宮と火の宮ということになっているらしい。熊本県阿蘇郡小国町に小国両神社があって、高橋の宮と火の宮を祀ってるみたいです。
 
 熊本県の阿蘇地方にも鬼八伝説があるらしく、阿蘇市にある霜神社では火焚き神事が行われ、阿蘇神社の祭神の健磐龍命に斬られた鬼八の首を温める神事らしい。阿蘇地方の早霜の害は鬼八のせいということになってるらしく、地域の氏子の女子が59日間も火を焚いて、御神体を暖めるらしい。
 
 宮崎県西臼杵郡高千穂町にある高千穂神社では高千穂皇神と十社大明神を祀っていて、高千穂皇神は日向三代と配偶神で、十社大明神は三毛入野命と妃神の鵜目姫と御子神のようです。三毛入野命は鬼八を退治して鵜目姫を妻にしたことになってるみたいです。
 
 高千穂には鬼八伝説があって、神武天皇の兄弟の三毛入野命が鬼八を退治したという伝説があるらしい。高千穂神社で行われる猪掛祭では笹振り神楽が舞われ、鬼八の霊を供養して眠らせるらしく、猪が生贄に捧げられるようです。
 
 高千穂神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

鎌倉

2022-05-12 22:52:42 | 日記
 平泉ですか・・・。
 
 山形県の酒田市には奥州藤原氏の3代目の藤原秀衡の妻なのか妹なのかわからないけど、徳の前という女性が落ち延びたそうです。酒田市に泉流寺という曹洞宗の寺があって、徳の前という女性は出家して徳尼公と呼ばれ、徳尼公が住んでいた泉流庵が泉流寺になったそうです。
 
 酒田に落ち延びた奥州藤原氏の家臣の子孫の人たちは酒田の街づくりをして、江戸時代の酒田は三十六人衆といわれる人たちが中心となった町人の自治が行われていたらしい。江戸時代の酒田は港町で、とても栄えていて、本間家という有名な豪商がいて、歌にも謡われてたみたいです。
 
 ウィキペディアで調べると、本間家は戊辰戦争の時に庄内藩に金銭支援をして、戊辰戦争の後に明治政府に多額の賠償金を支払い、その後も日本最大級の地主だったようだけど、財閥にはならず、酒田に留まって酒田の近代化に関わり、太平洋戦争の後にGHQによって農地の多くを失ったみたいです。
 
 羽黒山の宿坊のある地区に正善院という修験寺院があって、黄金堂があって、黄金堂は源頼朝が奥州藤原氏の討伐の時に戦勝祈願で寄進されたらしい。黄金堂にも徳尼公の像があります。
 
 源頼朝は鎌倉幕府を開いたことになってるけど、神奈川県鎌倉市には鶴岡八幡宮があるみたいです。鎌倉幕府の話も嘘の気がするけど、釈宗演って臨済宗の僧が関わってるんだろうか?、やっぱり。
 
 鶴岡八幡宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

八幡

2022-05-12 22:38:24 | 日記
 明治維新の話も嘘の気がするけど、今一つ、決定力に欠けるんだよなあ。
 
 奥州市の隣の金ヶ崎町に鳥海柵跡があって、安倍貞任の兄弟の安倍宗任がいたことになってる。安倍宗任は鳥海三郎というらしい。安倍頼時の息子が安倍貞任と安倍宗任で、安倍頼時は鳥海柵で亡くなったことになってる。
 
 奥州市の江刺に豊田館跡があって藤原経清の居館跡だそうです。豊田館跡の近くに藤原経清の墓所の五位塚があります。藤原経清は宮城県の亘理郡の辺りにいた人で、亘理権太夫ともいわれるらしい。
 
 平安時代に岩手県にいた安倍氏の人たちは前九年の役で源頼義と源義家に討たれたことになっていて、藤原経清も安倍氏の人たちと一緒に戦って、首を刎ねられたことになってます。
 
 奥州藤原氏の初代の藤原清衡は奥州市の江刺で生まれ育ったことになっていて、藤原清衡は藤原経清と安倍頼時の娘の息子だそうです。前九年の役の後に後三年の役があって、その後に奥州藤原氏は今のほぼ東北六県を治めることになって、藤原清衡は拠点を平泉に移す前は江刺にいたことになってるらしい。
 
 秋田県横手市にある後三年駅という駅名は明治時代に付けられたようだけど、高橋午山という美郷町の出身の人が付けたようだ。前九年の役の話も後三年の役の話も明治時代に作られたとしか思えないんだよなあ。
 
 後藤宙外という人は秋田県の大仙市の出身で、小説家の人たちと交友を持ち、本の編集業に携わったようだ。六郷町は今は合併して美郷町になってるけど、後藤宙外という人は六郷町長も務めたようだ。
 
 深澤多市という秋田県の美郷町の出身の人がいて、昭和の初め頃に秋田県の郷土史をまとめた本と菅江真澄を研究した本を出したようだ。戦国時代に秋田県にいた小野寺氏を研究した本も出してるようだ。
 
 平安時代に岩手県にいた安倍氏の人たちは前九年の役で源頼義と源義家に討たれたことになってます。源義家は京都府八幡市にある石清水八幡宮で元服したので八幡太郎といわれるみたいです。本当にいた人か知りませんけど・・・。
 
 石清水八幡宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

皇族

2022-05-12 22:26:57 | 日記
 明治維新の話も嘘の気がするけど、欧米の人たちが中国人や朝鮮人を利用して日本を征服したんじゃないか?って話なんだけどなあ。
 
 皇族っていうのは、最近、日本社会を騒がせてるので説明しなくてもわかると思うけど、太平洋戦争の後、大正天皇の息子の宮家以外は皇籍から離脱したらしい。この人たちを旧皇族というらしい。
 
 明治維新の後、久邇宮朝彦親王から皇族の人が伊勢神宮の祭主を務めるようになったらしく、太平洋戦争の後は天皇の娘が伊勢神宮の祭主を務めるようになって、今の伊勢神宮の祭主は上皇の娘の黒田清子さんらしい。
 
 久邇宮朝彦親王の息子の梨本宮守正王は太平洋戦争の終戦前の伊勢神宮の祭主らしい。梨本宮守正王は佐賀藩の最後の藩主の鍋島直大の娘の鍋島伊都子という女性を妻にしたようだ。梨本宮守正王と鍋島伊都子の娘は大韓帝国の最後の皇太子の人の妻になったようだ。
 
 久邇宮朝彦親王の息子の久邇宮邦彦親王は鹿児島県にあった薩摩藩の最後の藩主の島津忠義の娘を妻にしたらしく、久邇宮邦彦親王の娘が昭和天皇の皇后の香淳皇后らしい。
 
 久邇宮朝彦親王の息子の東久邇宮稔彦王はポツダム宣言の後に日本の総理大臣になって、一億総懺悔みたいなことを言ったようだ。東久邇宮稔彦王は戦後にフリーメイソンに入会したようだ。
 
 京都にある泉涌寺という真言宗の寺に江戸時代の天皇の墓所があるらしいけど、久邇宮家の墓所も泉涌寺にあるらしい。明治維新の話も嘘の気がするけど、カルト神道の呪いは凄まじいなあ。
 
 泉涌寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか