東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

嵯峨

2021-06-14 22:26:47 | 日記
 ちょっと謎なんだけどなあ。
 
 佐賀藩の最後の藩主の鍋島直大の娘の鍋島伊都子という女性は梨本宮守正王の妻になり、梨本宮守正王と鍋島伊都子の娘は大韓帝国の最後の皇太子の人の妻になったようだ。
 
 ウィキペディアを見ると、鍋島伊都子はローマで生まれたらしく、イタリアの都で生まれたので伊都子という名前を付けられたようだ。
 
 和歌山県伊都郡高野町に金剛峰寺があって、金剛峰寺は高野山真言宗の総本山のようです。真言宗の開祖の空海上人は佐伯氏の出身で、幼名は佐伯真魚というそうです。高野山の奥の院は空海上人の御廟のようです。
 
 これだけじゃローマと関係あるかなんて、わからんよなあ。
 
 京都にある真言宗の寺の大覚寺は嵯峨天皇の離宮のあった場所に創建された寺で、旧嵯峨御所ともいうようです。大覚寺の近くに嵯峨天皇の墓所があるようですが、詳しく知りません。嵯峨天皇は空海上人の庇護者ということになってるみたいです。
 
 源氏は嵯峨天皇の息子が源を名乗ったのが最初ということになってるみたいです。嵯峨天皇の子孫の源氏は嵯峨源氏というみたいです。
 
 大覚寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

八幡

2021-06-14 22:09:31 | 日記
 何年も何年も呪われた人生だったなあ、俺の人生は。このブログだって、そういう話ばっかりだもんなあ。
 
 奥州市の隣の金ヶ崎町に鳥海柵跡があって、安倍貞任の兄弟の安倍宗任がいたそうです。安倍頼時の息子が安倍貞任と安倍宗任で、ウィキペディアを見ると、安倍頼時は鳥海柵で亡くなったことになってる。
 
 安倍貞任の息子が津軽に逃げて安藤氏(安東氏)の祖になり、安藤氏(安東氏)は戦国時代は秋田県にいたらしいです。安藤氏(安東氏)は江戸時代は秋田氏を名乗っていて、福島県にあった三春藩の藩主だったみたいです。
 
 安藤氏の発祥の地は藤崎町のようだけど、藤崎町にある堰神社では堰を作るために人柱になった堰八太郎左衛門安高という人を祀ってるらしい。堰八太郎左衛門安高は安倍氏の子孫の人のようだけど・・・。
 
 京都について詳しく知らないけど、桂川は南丹市から亀岡市の辺りでは大堰川で、亀岡市から京都市の嵐山の辺りでは保津川で、場所によって呼び方が変わるんだろうか?。
 
 京都府南丹市八木町にある船井神社には安倍貞任の腕を埋めたといわれる腕守社があるらしい。京都市右京区の辺りから南丹市の辺りには安倍貞任伝説があって、安倍貞任の遺体はバラバラにされ、京都市右京区の下宇津というところの辺りに埋められたことになってるようだ。
 
 平安時代に岩手県にいた安倍氏の人たちは前九年の役で源頼義と源義家に討たれたことになってます。源義家は京都府八幡市にある石清水八幡宮で元服したので八幡太郎といわれるみたいです。本当にいた人か知りませんけど・・・。
 
 石清水八幡宮の猿の彫刻には右目に釘が打たれてるらしいけど、呪いか何かなんだろうか?。
 
 石清水八幡宮のHPを見ると、石清水八幡宮の楼門の東に青龍と西に白虎の龍と虎が反対になってらしい。石清水八幡宮は京都の裏鬼門守護のようだけど、鬼門というと北東の方角だけど、東西が逆になると、北西の方角が北東になるんだろうか?。
 
 石清水八幡宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

南丹

2021-06-14 22:03:35 | 日記
 はあ。なんか、蛇に首を絞められてるみたいに苦しくなってきたなあ。
 
 奥州市の隣の金ヶ崎町に鳥海柵跡があって、安倍貞任の兄弟の安倍宗任がいたそうです。安倍頼時の息子が安倍貞任と安倍宗任で、ウィキペディアを見ると、安倍頼時は鳥海柵で亡くなったことになってる。
 
 平安時代に岩手県にいた安倍氏は奥六郡といわれる岩手県にあった六つの郡を治めてたことになってます。安倍氏の棟梁は安倍貞任で、盛岡にあった厨川柵にいて、厨川次郎といわれるみたいです。
 
 京都府南丹市八木町にある船井神社には安倍貞任の腕を埋めたといわれる腕守社があるらしい。船井神社では住吉三神と春日四神を祀ってるようです。
 
 京都市右京区の辺りから南丹市の辺りには安倍貞任伝説があって、京都市右京区の下宇津というところには貞任峠があって、安倍貞任の遺体はバラバラにされ、下宇津の辺りに埋められたことになってるようだ。
 
 船井神社の拝殿には左甚五郎作といわれる馬の彫刻があって、額から馬が抜け出すということで網が掛けられているみたいです。
 
 船井神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

諏訪

2021-06-14 21:49:22 | 日記
 疲れたなあ。神社の話になると話が混乱してくる。
 
 牛頭天王とスサノオは同じということになってるみたいだけど、京都の八坂神社ではスサノオを祀っていて、京都の八坂神社には疫神社があって、蘇民将来を祀ってるらしい。牛頭天王は疫病の神ということになってるようだ。
 
 諏訪神社の祭神の建御名方命の妻は八坂刀売命というようだ。長野県諏訪市には手長神社と足長神社があって、手摩槌命と足摩槌命を祀ってるらしいけど、手摩槌命と足摩槌命の娘がスサノオの妻の稲田姫ということになってるみたいです。
 
 諏訪神社の祭神は建御名方命だよなあ。
 
 大国主には息子に事代主と建御名方命がいたことになっていて、国譲りは大国主から事代主に託され、事代主は国譲りを承諾して自分から海に沈み、大国主は出雲大社に引き籠ったことになってるようです。建御名方命は出雲から諏訪に逃げたことになっているようです。
 
 長野県にある諏訪大社は諏訪湖の周りに上社と下社があって、上社には本宮と前宮があって、下社には春宮と秋宮があるらしい。 諏訪大社の上社には本殿が無いらしく、拝殿から守屋山という山を拝むようになってるんだろうか?。諏訪大社の下社は御神木があるみたいです。
 
 諏訪大社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

兵庫

2021-06-14 20:25:30 | 日記
 蘇民将来ですか・・・。
 
 明治維新の後に岩手県奥州市の水沢の街には胆沢県庁が置かれたらしい。安場保和という人が大参事という役職に就いたみたいだけど、安場保和は熊本藩の出身で、水沢の地元の少年から選んで仕事をさせてたみたいだ。その中の1人が後藤新平で、後藤新平は安場保和の娘を妻にしたみたいだ。
 
 安場保和は東北や北海道の開拓に携わっていて、福島県の郡山の辺りの開拓事業の安積疎水の工事のためにオランダ人技師を雇ったりしたようだ。安積疎水は明治12年から約3年かかって完成したようだ。
 
 杉山茂丸という人は玄洋社の財政基盤確立のための資金調達のため、安場保和を福岡県知事に就かせたようだ。福岡県令が福岡県知事になったようだけど、ウィキペディアで調べると、安場保和が福岡県知事だった期間は明治19年(1886年)から明治25年(1892年)のようです。
 
 この人も右翼の仲間みたいだけど・・・。
 
 福岡県福岡市にある志賀海神社は安曇族の神社で、海神の総本社や龍の都といわれるようです。志賀海神社では綿津見三神を祀ってるみたいです。福岡県大川市にある風浪宮も安曇族の神社で、風浪宮の摂社には安曇氏の祖神の安曇磯良が祀られているみたいです。
 
 長野県安曇野市にある穂高神社では穂高見命を祀っていて、穂高見命は海神族の祖神で、その後裔が安曇族らしい。詳しく知らないけど、穂高神社のHPに、そのように書いてある。
 
 日本各地に安曇に由来する地名があるようだけど、安積疎水ですか・・・。
 
 兵庫県姫路市にある広峰神社は牛頭天王の総本宮といってるようです。京都の八坂神社は広峰神社から勧請されたという説もあるらしい。広峰神社の今の祭神はスサノオのようです。
 
 広峰神社には黒田官兵衛を祀る官兵衛神社が創建されたみたいだけど、福岡藩の黒田氏は戦国時代は兵庫県にいて赤松氏の家臣の小寺氏に仕えていたみたいだけど、嘘の気がするけど、どうなんだろうなあ?。
 
 広峰神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか