東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

高野

2021-05-31 22:37:47 | 日記
 佐賀ですか・・・。
 
 真言宗は大きく分けて古義真言宗と新義真言宗があって、新義真言宗では興教大師といわれる覚鑁上人を中興の祖としているようです。新義真言宗の中に新義真言宗という宗派があって、和歌山県岩出市にある根来寺は新義真言宗の総本山で、根来寺には覚鑁上人の廟所があるみたいです。
 
 覚鑁上人は佐賀県鹿島市の出身らしく、鹿島市に誕生院という寺があって、覚鑁上人の生誕地に創建された寺らしい。誕生院は大正時代に鹿島藩の最後の藩主だった鍋島直彬が再興したらしい。
 
 佐賀県にあった佐賀藩の藩主は鍋島氏で、蓮池藩と小城藩と鹿島藩は佐賀藩の支藩だったみたいです、たぶん。
 
 和歌山県伊都郡高野町に金剛峰寺があって、金剛峰寺は高野山真言宗の総本山のようです。真言宗の開祖の空海上人は佐伯氏の出身で、幼名は佐伯真魚というそうです。高野山の奥の院は空海上人の御廟のようです。
 
 真言宗が今のようになったのも明治維新の後の気がするけど、どうなんだろうなあ?。
 
 金剛峰寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

密教

2021-05-31 22:17:57 | 日記
 別に政治家が俺を救ってくれるとか助けてくれるなんて思ってないもんなあ、安倍政権の頃から、そう思ってたけど。
 
 日本中、天皇崇拝のカルト神道の信者ばっかり。国会にも天皇を読んで何か喋ってもらうんでしょ?。
 
 昭和天皇は太平洋戦争の後に出家して仁和寺の住職になる計画もあったらしい。京都にある仁和寺は真言宗御室派の総本山で、皇族や公家の人が出家して住職を務めていた門跡寺院ということになってるみたいです。
 
 小松宮彰仁親王が皇族出身の最後の仁和寺の門跡らしく、還俗して明治維新の時に軍事総裁を務め、戊辰戦争では奥羽征討総督に就いたようです。佐賀の乱でも征討総督を務め、西南戦争にも行ったみたいです。その後も軍の要職に就き、日清戦争では征清大総督を務めたみたいです。小松宮彰仁親王はヨーロッパ諸国を歴訪したり、社会事業でも日本赤十字社や各種団体の総裁を務めたみたいです。小松宮家は小松宮彰仁親王で途絶えたようです。
 
 明治以降の仁和寺の門跡はウィキペディアに載ってる。
 
 釈雲照という僧は高野山で密教を学び、戒律の仏教を提唱したようだ。釈雲照という僧は十善会という会を発足したようです。
 
 次の仁和寺の門跡の泉智等という僧は真言宗の布教のために日本各地を巡り、仁和寺の門跡になり、高野山派管長や金剛峰寺の座主も務め、真言宗連合総裁になったようです。
 
 次の仁和寺の門跡の土宜法龍という僧は釈雲照を補佐し、十善会には山岡鉄舟や久邇宮朝彦親王や小松宮彰仁親王も教えを受けに行ったようだ。土宜法龍はシカゴで行われた万国宗教会議に日本代表として行ったり、西域やチベットを旅行して密教学研究の基礎を築いたみたいです。土宜法龍は仁和寺の門跡や真言宗御室派の管長や高野山真言宗の管長や真言宗連合総裁を務めたようです。
 
 明治維新の後の神仏分離や廃仏毀釈の話も怪しいんだけど、カルト神道の人たちの背後にはカルト密教の人たちが付いてる気がするけど、どうなんだろうなあ?。
 
 仁和寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

赤十字

2021-05-31 20:51:20 | 日記
 佐野厄除け大師ですか・・・。
 
 岩手県奥州市の水沢の出身の後藤新平は南満州鉄道の初代総裁で、南満州鉄道は単なる鉄道会社じゃなく、様々な事業を展開したようだ。本社は大連というところにあったみたいです。
 
 日露戦争が明治37年(1904年)から明治38年(1905年)にあって、日露戦争の後に鉄道がロシア帝国から日本に譲渡され、その鉄道の会社が南満州鉄道のようだ。それで鉄道を起点にして、どんどん満州に進出していったようだ。
 
 1905年にはロシア第一革命があったようだけど、1917年のロシア革命でソ連が成立したようです。後藤新平はソ連との外交にも関わっていたようだ。ソ連の崩壊は1991年のようです。
 
 ウィキペディアで調べると、ロスチャイルド家は日露戦争の頃に巨額を貸し付けたり、関東大震災の後の復興融資をしたようだ。
 
 後藤新平は関東大震災の後の東京の復興計画に携わったみたいだけど、どうなんだろうなあ?。
 
 後藤新平はボーイスカウト日本連盟の初代総長らしい。新幹線の水沢江刺駅には後藤新平と少年の像がある。
 
 日本赤十字社の創始者の佐野常民という人は佐賀藩の出身らしい。佐野常民の息子の佐野常羽はボーイスカウトに関わってたようだ。佐野常羽の息子の佐野常光は一条家から来た人で、一条実輝の息子らしい。
 
 明治天皇の皇后の昭憲皇太后は一条家の出身のようだけど、日本赤十字社の初代の名誉総裁らしく、今の皇后の雅子さんが今の日本赤十字社の名誉総裁らしい。ウィキペディアで調べると、小松宮彰仁親王が初代名誉総裁と書いてあったり、昭和天皇の皇后の香淳皇后が初代名誉総裁とも載ってるけど、詳しいことが、わからない。
 
 近衛文麿の娘は熊本藩の藩主だった細川氏の人の妻になったみたいだけど、近衛家は細川氏の人が継いでいて、日本の総理大臣にもなった細川護熙という人の兄弟みたいです。ウィキペディアを見ると、今の近衛家の人は日本赤十字社の社長を務め、今は名誉社長なんだろうか?。国際赤十字赤新月社連盟という国際機関の会長も務めたようだ。
 
 日本赤十字社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

キリスト教

2021-05-31 20:21:22 | 日記
 謎だなあ。
 
 カトリックは分派が無くて、カトリックの中に~会という修道会が幾つもあるみたいです。カトリックの総本山はバチカンにあるサン・ピエトロ大聖堂で、ローマ教皇が最高権威者でいいんでしょうか?。
 
 幕末の日本には日本にはパリ外国宣教会というところが来てたみたいだけど、ウィキペディアで調べると、日本でのカトリックの布教は明治維新の後もパリ外国宣教会の独占状態だったらしく、日露戦争の後の明治38年(1905年)にローマ教皇から明治天皇に文書が送られ、他の修道会も日本に来るようになったみたいです。
 
 プロテスタントはプロテスタントという宗派があるわけではなく、プロテスタントの教義に基づいた教団がいくつもあるというかんじで、いいんだろうか?。大きな教団もあれば、信者が少ない教団もあるみたいだし、教団によって聖書の解釈やキリスト教の解釈が違うようだ。
 
 明治維新の頃の日本にはアメリカ・オランダ改革派教会というところとアメリカ長老派教会というところの宣教師が来ていたようだ。
 
 日本のキリスト教の歴史は嘘の気がするけど、この人たちは仲間なんだろうか?。
 
 明治維新の後にキリスト教の禁教が解かれたみたいだけど、熊本バントと横浜バンドと札幌バンドが日本のプロテスタントの初期の源流らしい。ウィキペディアに、そんなかんじで載ってる。
 
 明治以降にプロテスタントの教団が幾つかできたみたいだけど、日中戦争の頃に統合され、太平洋戦争の後に分かれたところもあるようだ。
 
 日本では日本基督教団が一番大きなプロテスタントの教団のようだけど、日本基督教団は1941年に日本国内のプロテスタントの教団が合同で設立した教団らしい。ウィキペディアに、そう載ってる。
 
 1940年に皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会が行われ、その時に国民儀礼として宮城遥拝と君が代斉唱が行われ、皇国に忠誠を尽くすみたいなことも宣誓されたようだ。
 
 富田満という人が日本基督教団の教団統理者に就いたようだけど、富田満は伊勢神宮に参拝して、天照大神に教団の成立を報告したらしい。富田満は昭和天皇にも会ったみたいだし、日本基督教団は海軍に飛行機を献納したらしい。GHQは日本基督教団の戦争責任は問わなかったようだ。
 
 東久邇宮稔彦王はポツダム宣言の後に日本の総理大臣になって、全国民総懺悔と言ったようだけど、賀川豊彦という日本基督教団の人で社会活動家の人の助言があったようだ。賀川豊彦という人について、まったく知らないけど、戦後にノーベル文学賞やノーベル平和賞の候補になった人のようだ。
 
 キリスト教ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

バチカン

2021-05-31 20:02:53 | 日記
 ヨーロッパの貴族社会とか神聖ローマ帝国とか教会領とか詳しく知らないんですよね、俺は。
 
 16世紀にキリスト教では宗教改革が起こったようだ。ローマ教会ではサン・ピエトロ大聖堂の建設の金を集めるために贖宥状を販売したようだ。それがルターの批判の的になったようだ。当時のローマ教皇のレオ10世はメディチ家の出身で、贅沢三昧の人だったようだ。
 
 ウィキペディアで調べてると、ローマ教皇には貴族の出身の人が就くことも多かったみたいだけど、どうなんだろうなあ?。
 
 イエス・キリストの弟子にペトロという人がいて、ペトロはカトリックでは初代ローマ教皇とされているようです。ウィキペディアで調べると、ペトロはケファと呼ばれていたらしく、ケファは岩の意味のようです。「私はこの岩の上に私の教会を建てる」とイエス・キリストに言われたことに由来するようです。バチカンにあるサン・ピエトロ大聖堂はペトロの墓所に建てられたといわれてるみたいです。
 
 サン・ピエトロ大聖堂ですか・・・。
 
 
 火をつけるか