東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

伊勢

2021-05-10 20:51:52 | 日記
 はあ。頭痛がする。
 
 明治維新の後、久邇宮朝彦親王から皇族の人が伊勢神宮の祭主を務めるようになったらしく、太平洋戦争の後は天皇の娘が祭主を務めるようになったみたいです。今の伊勢神宮の祭主は上皇の娘の黒田清子さんらしい。
 
 三重県伊勢市に猿田彦神社があって、猿田彦神社には佐瑠女神社があって、天鈿女命を祀ってるようだ。猿田彦神社のHPを見ると、天宇受賣命と記載してるようだ。
 
 猿田彦大神の子孫の大田命は倭姫命に天照大神を祀る場所に宇治の地を勧めたらしく、その場所に伊勢神宮の内宮が創建されたようです。本当か知らない。
 
 三重県伊勢市にある伊勢神宮の内宮は皇大神宮というらしく、御神体は八咫鏡のようです。天皇の祖先は天照大神ではない気がするけど、明治天皇は朝鮮人なんだろうか?。
 
 伊勢神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

平泉

2021-05-10 20:42:28 | 日記
 はあ。中々思うようにブログが進まないもんだなあ。カルト神道の呪いもカルト密教の呪いも凄まじいなあ。
 
 岩手県の平泉町に達谷窟毘沙門堂があって、坂上田村麻呂が悪路王を退治したという伝説があります。坂上田村麻呂の話は嘘の気がするけど、毘沙門天に持ってる槍で頭を突かれてるような頭痛がする。
 
 達谷窟毘沙門堂ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

阿波

2021-05-10 20:35:56 | 日記
 頭痛がする。首が痛い。
 
 徳島県の阿波は忌部氏が開拓したことになってるようだけど、徳島県鳴門市にある大麻比古神社は阿波国の一宮で、大麻比古神社では大麻比古大神と猿田彦大神を祀っていて、大麻比古大神は忌部氏の祖神の天太玉命のことのようです。
 
 徳島県徳島市には天石門別八倉比売神社があって、ウィキペディアで調べると、大日霊貴命を祀っていて、大日霊貴命は天照大神の別名らしい。
 
 徳島県の神山町に上一宮大粟神社があってオオゲツヒメを祀っていて、徳島市に一宮神社があってオオゲツヒメと八倉姫を祀ってるようだ。天石門別八倉比売神社の祭神もオオゲツヒメの気もするけど、わからない。
 
 忌部氏の話も嘘の気がするけど、神社に今のような祭神が祀られたのは、明治維新の後としか思えないんだよなあ。
 
 大麻比古神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

熊本

2021-05-10 20:29:52 | 日記
 明治天皇は朝鮮人なんだろうか?。
 
 大隈重信は日本の総理大臣を2回務め、早稲田大学の創立者のようだけど、大隈重信もフルベッキという人に教わった一人のようだ。
 
 ウィキペディアで調べると、熊本洋学校にあったジェーンズ邸が日本赤十字社の前身の博愛社の発祥の地ということになってるんだろうか?。
 
 明治維新の後にキリスト教の禁教が解かれたみたいだけど、熊本バントと横浜バンドと札幌バンドが日本のプロテスタントの初期の源流らしい。ウィキペディアに、そんなかんじで載ってる。
 
 L.L.ジェーンズというアメリカ人が熊本バンドの創設に関係してるようだけど、L.L.ジェーンズという人はフルベッキというキリスト教の宣教師の斡旋で日本に来て、熊本洋学校の教師になったようだ。フルベッキはアメリカ・オランダ改革派教会というアメリカに移住したオランダ改革派教会の宣教師らしい。
 
 フルベッキという人はオランダの出身で、アメリカに移住してキリスト教の宣教師になったようだ。フルベッキは長崎に来たようだけど、当時の日本ではキリスト教は、まだ禁教で、フルベッキは長崎で英語塾の講師を始めたようだ。その後にフルベッキは幕府が長崎に作った英語学校の教師になり、佐賀藩に雇われ、佐賀藩の藩校で英語と聖書を教えてたようだ。明治維新の後にフルベッキは東京に移り、学校の教師を務めたり、布教活動にも力を入れていたようだ。
 
 それで、フルベッキに教わった人に明治維新の後に政府の要職に就いた人たちがいたようだ。
 
 明治維新の後に九州と山口県では士族の反乱があったようだけど、明治7年(1874年)に佐賀県で佐賀の乱があって、明治9年(1876年)には、熊本県で神風連の乱があって、福岡県で秋月の乱があって、山口県で萩の乱があったみたいです。西南戦争は明治10年(1877年)にあったみたいです。
 
 神社に今のような祭神が祀られたのは、この後としか思えないんだよなあ。
 
 それに、この前に本当に天皇は日本にいたんだろうか?。いたとしたら、なんで、嘘の話を作ってまで人を呪い封じ込める必要があるんだろう?。
 
 アメリカ・オランダ改革派教会ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

島津

2021-05-10 20:18:44 | 日記
 明治天皇は朝鮮人なんだろうか?。
 
 李氏朝鮮では1866年には丙寅教獄という大規模なキリスト教の弾圧があって、フランス人の神父と8000人近い信者が虐殺されたみたいです。その後にフランスと李氏朝鮮で戦争が起こったみたいです。ウィキペディアに、そう載ってる。
 
 長崎県長崎市にある大浦天主堂は元治元年(1864年)に建てられ、次の年に隠れキリシタンの人が大浦天主堂を訪れたようだ。信徒発見というみたいです。明治維新の後も、日本では、しばらくキリスト教は禁教だったようだけど、明治6年(1873年)にキリスト教の禁教が解かれたみたいです。
 
 日本にはカトリックの中のパリ外国宣教会というところが来てたみたいだけど、李氏朝鮮にもパリ外国宣教会が来てたみたいだ。
 
 浦上四番崩れというみたいだけど、ウィキペディアで調べると、慶応3年(1867年)に長崎県の浦上村にいた隠れキリシタンの人たちが捕まって、流罪になって拷問を受けたようだ。キリスト教の禁教が解禁になるまで流罪や処罰が続いていたようだ。
 
 鹿児島県鹿児島市に福昌寺という曹洞宗の寺があったらしく、ウィキペディアで調べると、薩摩藩の島津氏の菩提寺だったらしく、明治時代に廃寺になって墓所が残ってるみたいです。
 
 浦上四番崩れの人たちには薩摩藩に預けられて廃寺になった福昌寺に収容された人たちもいたようだ。その人たちは丁寧に迎えられたらしく、民家に住まわされたり、福昌寺で自炊生活をしたりして、内職のような仕事もしてたようだ。ウィキペディアに、そう載ってる。福昌寺跡にはキリシタン墓地があるらしい。
 
 薩摩藩では明治維新の後の廃仏毀釈が凄かったらしく、藩内の寺が全て廃寺になり、全ての僧が還俗させられたようだ。
 
 福昌寺跡ですか・・・。
 
 
 火をつけるか