【ネットより】
本棚にずっと眠っていた「まぼろしの邪馬台国」を引っ張り出して再読しはじめた。古びた昔のベストセラーは昭和42年第1刷とあるから、私の大学生活真っ只中だった。当時、その本の出版で邪馬台国ブームが起こった。
昨日、最近封切りの映画「まぼろしの邪馬台国」を観てきた。主演は宮崎康平の妻、和子役の吉永小百合と宮崎康平役を演じた竹中直人だ。
映画のネット解説によると、「悲運や貧苦を乗り越え、「邪馬台国」に情熱を捧げた夫婦を描いた感動作」とあった。なるほど、著書「まぼろしの邪馬台国」の、邪馬台国が島原にあたっと主張する学説的な内容だけではなく、そこに至るまでの、盲目の康平の目となり杖となった、妻との半生を描いた夫婦愛の物語であった。
40年も放って置いた本を辿った。かつて文章の所々に引いた鉛筆の傍線が、あらためて心を打った。そして、かすかに記憶の引き出しに埋もれていた思いが浮かんできた。
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著書の「まえがき」には、恩師津田先生への思いから邪馬台国を自らの手で探し出そうとした決意が書かれ、妻と共に手探りで生き抜いてきた生活記録であると書かれている。 傍線個所のいくつかをしみじみ読んだ。
・「そうだ、失明は古代史のナゾを解くために天が私に与えた試練ではなかったのか。と、こう考えたとき、「邪馬台国」の四字は、ふたたび太陽のように暗黒の私の胸に輝きはじめた。」
・「戦死者や傷ついたより多くの人々の不幸を知るに及んで、不幸が自分だけではないことを知るようになった。」
・「暗い眼底に去来する白い雲の流れと、青く広がる有明海から天草灘の潮騒が、私を、ゆえ知らず仕事へかりたてるのである。」
・「目あきは不必要なものを見すぎる」「楽しかった病床生活」など、彼の、眼が見えないことからかえって本質的なことに気づき、病床にある苦しみも幸せに転化していく強靱なこころに気づかされる。また、それ以上に康平を支えた妻の強さ、立派さがこの上なくすばらしい。
また、傍線の一つ、白秋詩碑の前で、詩の一節に涙した康平の気持ちを思った。
・「背後で妻が碑面の朗読をはじめた。
山門は我が産土
雲騰がる南風のまほら
飛ばまし今一度
・・・・・・
盲(し)ふるに早やもこの眼
見ざらむまた葦かび
籠飼や水かげろふ─
「盲ふるに早やもこの眼」と言う言葉が棘のようにグサリと喉につきささる。 こらえようとしたがわれ知らず熱いものがこみ上げてきて、不覚にも涙が出た。」
・「この地図には私の苦しかった半生と貧しい人生のすべてが秘められていた。指 先は、生きることを教え、触れてゆく凹凸の海や島は、限りない故郷の郷愁を誘 いゆくりなく病床に舞いこんできた木の葉に、たけてゆく季節を知るのだった。」
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「まぼろしの邪馬台国」の執筆は、康平の口述を和子が書き留めていく共同作業だった。共著と言っていいであろう作品は、第1回吉川英治文化賞を受賞した。1980年にその後の更なる研究内容が加筆された決定版が出版された。いずれも絶版だったが、映画化もあったのか、この8月に講談社より新装版が発売されているという。
再読し終わった「まぼろしの邪馬台国」を「今日の風、なに色?」(辻井いつ子:アスキー)「盲目の科学者」(ヒーラット・グチャーメイ:講談社)の隣に戻した。
これらの本にどんなにか力付けられたことか。
本棚にずっと眠っていた「まぼろしの邪馬台国」を引っ張り出して再読しはじめた。古びた昔のベストセラーは昭和42年第1刷とあるから、私の大学生活真っ只中だった。当時、その本の出版で邪馬台国ブームが起こった。
昨日、最近封切りの映画「まぼろしの邪馬台国」を観てきた。主演は宮崎康平の妻、和子役の吉永小百合と宮崎康平役を演じた竹中直人だ。
映画のネット解説によると、「悲運や貧苦を乗り越え、「邪馬台国」に情熱を捧げた夫婦を描いた感動作」とあった。なるほど、著書「まぼろしの邪馬台国」の、邪馬台国が島原にあたっと主張する学説的な内容だけではなく、そこに至るまでの、盲目の康平の目となり杖となった、妻との半生を描いた夫婦愛の物語であった。
40年も放って置いた本を辿った。かつて文章の所々に引いた鉛筆の傍線が、あらためて心を打った。そして、かすかに記憶の引き出しに埋もれていた思いが浮かんできた。
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著書の「まえがき」には、恩師津田先生への思いから邪馬台国を自らの手で探し出そうとした決意が書かれ、妻と共に手探りで生き抜いてきた生活記録であると書かれている。 傍線個所のいくつかをしみじみ読んだ。
・「そうだ、失明は古代史のナゾを解くために天が私に与えた試練ではなかったのか。と、こう考えたとき、「邪馬台国」の四字は、ふたたび太陽のように暗黒の私の胸に輝きはじめた。」
・「戦死者や傷ついたより多くの人々の不幸を知るに及んで、不幸が自分だけではないことを知るようになった。」
・「暗い眼底に去来する白い雲の流れと、青く広がる有明海から天草灘の潮騒が、私を、ゆえ知らず仕事へかりたてるのである。」
・「目あきは不必要なものを見すぎる」「楽しかった病床生活」など、彼の、眼が見えないことからかえって本質的なことに気づき、病床にある苦しみも幸せに転化していく強靱なこころに気づかされる。また、それ以上に康平を支えた妻の強さ、立派さがこの上なくすばらしい。
また、傍線の一つ、白秋詩碑の前で、詩の一節に涙した康平の気持ちを思った。
・「背後で妻が碑面の朗読をはじめた。
山門は我が産土
雲騰がる南風のまほら
飛ばまし今一度
・・・・・・
盲(し)ふるに早やもこの眼
見ざらむまた葦かび
籠飼や水かげろふ─
「盲ふるに早やもこの眼」と言う言葉が棘のようにグサリと喉につきささる。 こらえようとしたがわれ知らず熱いものがこみ上げてきて、不覚にも涙が出た。」
・「この地図には私の苦しかった半生と貧しい人生のすべてが秘められていた。指 先は、生きることを教え、触れてゆく凹凸の海や島は、限りない故郷の郷愁を誘 いゆくりなく病床に舞いこんできた木の葉に、たけてゆく季節を知るのだった。」
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「まぼろしの邪馬台国」の執筆は、康平の口述を和子が書き留めていく共同作業だった。共著と言っていいであろう作品は、第1回吉川英治文化賞を受賞した。1980年にその後の更なる研究内容が加筆された決定版が出版された。いずれも絶版だったが、映画化もあったのか、この8月に講談社より新装版が発売されているという。
再読し終わった「まぼろしの邪馬台国」を「今日の風、なに色?」(辻井いつ子:アスキー)「盲目の科学者」(ヒーラット・グチャーメイ:講談社)の隣に戻した。
これらの本にどんなにか力付けられたことか。
