エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

天才歌人 啄木の人生

2013-05-25 | 文芸

久々に憧れの歌人啄木の人生を見つめた。
昨夜のNHKTV「そして、歌が溢れた~松本幸四郎×石川啄木~」を視聴した。
(見過ごしていた5月6日(月)NHKBSプレミアムの再放送)
  ---番組解説から---
   啄木の波乱の半生を、幸四郎さんは50年前に舞台『悲しき玩具』で演じた。破滅的な啄木の生き様と格闘した当時から今に至るまで、幸四郎さんにはずっと抱えていた疑問がある。なぜ、絶望的な生活の中で、啄木は瑞々しい短歌を紡ぎ出せたのか。その答えを見つけるため、幸四郎さんは啄木と向き合う旅に出る。

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はからずも啄木のわずか27年の人生を振り返りつつ、青春のこころに戻り忘れていた感動に浸った。

    書棚の蔵書 「新潮日本文学アルバム 石川啄木」よりまとめてみた。

渋民尋常小学校の階段、教室、黒板が目に浮かぶ。
 ”そのかみの神童の名よかなしさよふるさとに来て泣くはそのこと
  北上の岸辺に建つ文学碑
 ”やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに
盛岡へ堀合節子との初恋、退学、上京    【明治35年 17歳】
 ” 師も友も知らで責めにき謎に似るわが学業のおこたりの因
○ 「明星」(啄木に影響を与えた与謝野鉄幹が主宰)に掲載された一首。
 ” 血に染めし歌をわが世のなごりにてさすらいここに野にさけぶ秋
渋民へ帰郷    【明治36年 18歳】
  結婚 代用教員  【明治38年 20歳】
   詩集「あこがれ」刊行
北海道へ渡る    【明治40年 22歳】
  ”船に酔ひてやさしくなれるいもうとの眼見ゆ津軽の海を思へば
   函館:函館日々新聞 遊軍記者
  ” 潮かをる北の浜辺の砂山のかの浜薔薇よ今年も咲けるや
 ” 函館の青柳町こそかなしけれ友の恋歌矢ぐるまの花
  札幌:北門新報社校正係 
  ” アカシヤの街?(なみき)にポプラに秋の風吹くがかなしと日記に残れり
  小樽:小樽日報社       
  小樽へ旅行したとき、高台の小樽公園に啄木の歌碑を訪ねたことがあった。
 ” かなしきは小樽の町よ歌ふことなき人々の声の荒さよ
      *事務長小林寅吉と喧嘩し退社
     小林は会津高田出身 法用寺に歌碑  (参)拙ブログ「雪の中の 啄木歌碑」(2008-02-12 )
                                           http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/21638bf167d5a30168f39fdea59c15ca

 釧路 :釧路新聞
  ” さいはての駅に下り立ち雪あかりさびしき町にあゆみ入りにき
  ” しらしらと氷かがやき 千鳥なく 釧路の海の冬の月かな 
  ” 子を負いて雪の吹き入る停車場にわれ見送りし妻の眉かな

上京 朝日新聞校正係【明治41~明治43   24 25歳】
   明43年  詩集「一握の砂」刊行
  明治44年  慢性腹膜炎で入院
  ” 水嚢の下より眼を光らせて寝むられぬ夜は人をにくめり
   明治45年  4/13永眠  27歳   病名:肺結核
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    啄木のはかない生涯を見つめた。
  かつてゆかりの地を訪ねた。
   盛岡、不来方の城跡へは3度、渋民へも、学生時代とその後1度訪ねた。
  ” 不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心
   ” 己が名を ほのかに呼びて涙せし 十四の春に かへる術なし
   〈十四の春〉は教室で生徒に何度となく語ったこころだ。

 不思議な夜を迎える あふれ出た歌はこころの奥底からほとばしり出る。
 天才である。彼は平易な言葉で感動の歌を苦もなく歌う。
  切ない歌人・啄木の胸中が甦った。