嶽南亭主人 ディベート心得帳

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【解釈に係る雑感1-5】 質問2の検討~主人、かく解釈せり

2009-06-12 21:08:43 | ディベート
中略部分をディベーターが紹介してくれなかったので、自らリンクをたどって原典を確認した。

すると、中略部分は、以下の(2)であることがわかった。

質問2を再掲する形で、ご紹介しよう。

●問い(2)~「中略なし」バージョンの場合

同様に、以下の引用文を読まれたい。

1)グローバリゼーションが拡大・深化するなかで、人口減少や急速な少子・高齢化社会を迎える日本は、健全な経済社会を構築し、次世代に引き継ぐことが不可避の課題となっている。

2)したがって、「小さな政府」実現をめざした行政改革をはじめとする財政・税制、社会保障、教育などの構造改革への手綱を緩めてはならない。

3)特に、グローバリゼーションがもたらす多様かつ複雑な国内外の課題に対して、的確かつ迅速な対応を可能とする政府の改革に早急に取り組むべきである。

質問2: 上記、問い(2)の文章において、「政府の改革」は何を意味するのか。また、そのように考えられる理由は何か。

***

ここに及んで、主人は、以下のように意味を読み取った。

【検討】

1)の文についての分析

○解釈は、質問1と同じく、「日本は、健全な経済社会を構築し、次世代に継承することが課題だ」ということ。

2)の文についての分析

○「したがって」という接続詞があることから、この2)の文は、1)を理由とする主張がなされていることがわかる。

○その主張とは、行政改革をはじめとする財政・税制、社会保障、教育などの「構造改革」をしっかりやれ、というものだと解釈できる。この文章において「行政改革」とは、その他、財政・税制等とならぶ「構造改革の例示」であったということが、明らかに読み取れる。

○「構造改革」が何を意味するのか。これはさっぱりわからない。著者もディベーターも定義していないのであれば、審判/読み手が自己の論理に従って、勝手にイマージュする余地が広大に広がっている。(そもそも小泉某という前総理は、この言葉を定義せずに乱用し、改革イメージを振りまいていた。この言葉の曖昧さの罪は、4代目を世襲させようとする彼にこそ、問われるべきであろう)。

3)の文についての分析

○2)の文を所与として考えると、「特に」という語句は、「構造改革」の要素の中から、何かを特出しするための副詞である、と解釈できる。3)の文章における「国内外の課題」が1)の文章を受けた言及であると読めることから、3)の文の冒頭の「特に」は、2)の文、すなわち「構造改革」に係るものである、と解釈するのが自然だからである。

○ここで、3)の文から、修飾語句を取り除いて読んでみれば、3)の文は、要するに「特に、『政府』の改革に早急に取り組め」という主張であることが明らかになる。

○叙上のごとく、3)の文の「特に」という語句が、2)の文の「構造改革」の特出しという意味で機能すると理解すると、3)の文の言わんとしているところは、「構造改革にもいろいろあるんだけれども、とりわけ『政府』の改革に取り組むべきなんだよねー」と、読める。

○さて、ここで、3)の「政府の改革」における『政府』の意味はなんだろうかと、考え直す。「構造改革」という語句の定義が、資料の著者、ディベーター、さらには小泉純一郎前首相、いずれによっても明らかにされておらず、この語句の意味は、読み手の勝手解釈に委ねられることになる。

○とすると、3)の文において、「構造改革のうち、とりわけ早急に取り組むべき『政府の改革』」もまた、読み手の解釈に委ねられることとなり、結果、狭義の「構造改革としての『行政府』の改革」、広義の「構造改革としての『統治機構』の改革」、いずれの解釈も成立すると考えざるを得ない。


【質問2に係る個人的見解 ~ 主人が、広義の解釈/統治機構の方を選好する理由】

○一見したところ、3)の文の「政府」の改革は、2)で例示された行政改革を含む構造改革の要素の特出しなのだから、行政改革=「行政府」の改革と理解してよいのではないか、と思われた。しかし、それら語句の修飾語句を見ると、そう話は簡単ではなくて・・・

 2)「小さな政府」実現をめざした行政改革 
 3)国内外の課題に対して、的確かつ迅速な対応を可能とする政府の改革

とある以上、2)の行政改革=3の「行政府」の改革とするには、大いに躊躇する。「小さな政府」論が主張するのは政府の規模の縮小であり、的確かつ迅速化という働きは、その範疇に入るとは思えず、それぞれ独立の要素であると思われるからである。

○とすると、3)において、「政府」を「行政府」とする解釈はとりにくい。結局、2)の行政改革は構造改革の例示に過ぎず、かつ、3)の「政府」の改革は、構造改革の中で特に早急に取り組むべきものであるとはいえるものの、それぞれ客観的定義不在の「構造改革」の一要素・一側面であるということが言えるだけであって、両者が等値であると理解しづらい。換言すれば:

 「小さな政府」をめざす行政改革 ⊂ 構造改革
  的確・迅速対応のための政府の改革 ⊂ 構造改革

  が成立していたとしても、

 「小さな政府」を目指す行政改革 = 的確・迅速対応のための政府の改革

  が成立するとは【限らない】ということだ。

○さらに申さば、2)で例示されている行政改革をはじめとする「構造改革」の課題は、いずれも行政府の中で収まる改革とは、とてもではないが思われない。いずれも、まごうことなき統治上の改革問題である。

<行政改革>

○行政改革は実は統治の問題であるということは、政治学徒には容易に知れる。主人は、以前、産経新聞の懸賞論文で「行政改革の遅滞は、本質的に、政党間の競争メカニズムの不全=政治プロセス上の欠陥に起因する」と論じたことがあるくらいであり、行政改革は「行政府を改革するもの」であったとしても、政治プロセスの改革が必然的に付随すると承知している。

○また、日本経済新聞2009年6月4日の経済教室、薬師寺泰蔵先生の「再考ー厚労省分割論議1:政策にもイノベーション」では、厚労行政は単なる組織再編では再生せず、政治のファクターを入れていかなければ上手くいかない、との趣旨の主張がなされている。

<財政・税制>

○財政・税制しかり。消費税の税率引き上げ問題ひとつをとっても、行政府内の利害調整だけでは改革が上手く進まないのは明らか。マニフェスト選挙というのは、国民的合意を調達するための一つの方法であるが、そのような「政策の決め方」において、政治の主導による「決め方上の工夫や革新」が決定的に重要になる。

○政治理論的にも、この問題には根が深いものがあり、政治経済学者のブキャナンやタロックによれば、政府の際限なき財政拡大を抜本的に制御するには、憲法にまでさかのぼって縛りをかけることが必要不可欠になってくる、という議論があるくらいである。

<社会保障、教育>

○社会保障、教育もまた同じ。影響が世代間を越えて及ぶような長期的な政策課題の場合、短期的な争点選択はなじまず、じっくりと国民的合意を形成することが必要になる(この点、現在の与野党とも、アプローチを誤っている、と主人は思う)。年金制度の改革などでは、超党派の協議会を設定することが外国で行なわれているように、この改革を進めるには政策の「決め方」から工夫・改革することが必要になる(事実、我が国でも、年金制度の改革にあたって、与野党間の協議が行なわれようとした・・・党派的対立によって水泡に帰したものの)。教育問題においても、教育基本法の改正が問題になる場合などには、同様の取組みが必要になってくると思われる。

結論

○このように、つらつら考えてくると、狭義の解釈を支持すべき積極的な理由は見当たらず、逆に広義の解釈を支持する根拠が上記のごとく考えられる以上、3)の文における「構造改革の一側面たる『政府』の改革」とは、「行政府」の改革ではなく、「立法や司法をも含む統治機構」の改革であると、解釈したくなるのである。仮に資料の著者が、3)の文において、「政治の改革」が「行政府の改革」を意味しようとしたのであるならば(←これは、直接インタビューでもしない限り、知る由もないが)、主人が為したような「誤読」が生じないよう、端からそう書いておけばよかったのに、と思うくらいである。

***

誤解なきように繰り返しておく。

上記は、資料を眺めた結果として至った、主人なりの解釈にすぎない。これが唯一絶対の解釈などとは死んでも言わないし、「標準解釈である」などと主張するものでも、さらさらない。

人によって解釈/受け取り方が異なるのが普通の姿である。他の方から見れば、主人の受け止め様は、所詮「そう解釈できないこともない」程度のレベルなのかもしれないのであって、皆さんにおかれては、放っておくとこの資料をこのように解釈してしまう政治学徒もいるのだなぁ、とでも思っておいて頂くのがよいと思う。


【さて】

放置しておくと、証拠資料を上記のように勝手に解釈してしまう受け手(審判かもしれないし、主人のような第三者的傍観者かも知らぬ)がいるということが、これまでに明らかになった。

では、ディベーターは、そのような解釈をする人の認識を、自らの議論・説明によって、どのように制御することができたのか。

この点に関して問題となるのは、

☆ 中略「なし」、すなわち証拠資料が原典どおりに引用されていた時と、中略「あり」の時との文意上の「差」が、どのように発生しうるのか、

ということであり、

☆ 否定側、肯定側は、「差あり→文意に変動あり」もしくは「差なし→文意に変動なし」を、それぞれ、どのように説明することが可能であったのか、

ということである。

次回以降、質問3、質問4の検討を通じて、それらについて考えながら、あわせて、どのように議論して欲しかったかという主人の感想も申し述べてみたい。

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